artscapeレビュー
ミッドサマー
2020年06月15日号
5月末の段階では、東京の映画館が再開しておらず、やはりTOHOシネマズ仙台で『ミッドサマー』と『ブレードランナー』を鑑賞した。いずれも数名の入りしかなく、まだ映画館に人は戻っていない。後者はファイナル・カット版をスクリーンで初鑑賞したが、CGが当たり前になった現代から見ても、なんの遜色もないノワールなSFである。架空と実物の建築・都市を巧みに組み合わせた実在感が強烈だ。またリドリー・スコットらしい煙や霧、照明も美しい。人間よりも人間らしいレプリカントの設定が、作品を普遍的にしている。
さて、ようやく観ることになった話題の『ミッドサマー』は、様々な象徴を散りばめた美術、独特の建築デザイン(三角形のファサードをもつ黄色い神殿、変わった屋根形状の棟など)、音楽、衣装などを通じて、小さな共同体の世界観が綿密に構築されていた。ネットでも解説や謎解きを試みる多くのサイトが登場しているように、本作はすでにカルト的な人気を獲得している。
以前、新宗教の建築を研究した筆者にとって興味深いと思われたのは、サブカルチャーにおけるカルトの描き方である。通常、映画や漫画などでカルトが登場する場合、「実は教祖がひどい奴で、偽物の宗教が暴かれる」というのが、お決まりのパターンだ。しかし、本作はこの飽きるほど繰り返された物語とは違う。正確に言えば、教祖がいるわけではなく、昔から続く村の風習にもとづく夏至の祝祭なのだが、それがインチキだという構えはとらない。むしろ、あくまでも心を病む主人公の大学生ダニーの、心中で失った家族や、不安定な恋人との関係性を軸に、特殊な共同体を描いている。大きな家族に受け入れられ、傷心のダニーが再生する儀式というべきか。
そして客観的にはおぞましい出来事が起きているにも関わらず、笑顔の村人は明るく、花が咲き乱れる風景なのだ。また白夜のために、太陽が沈んでも完全な闇は訪れない。徹底して明るいのだ。だからこそ、ダニーが見せる最後のあの表情が、いつまでも余韻をもって記憶に残る。
公式サイト:https://www.phantom-film.com/midsommar/
2020/05/29(金)(五十嵐太郎)