artscapeレビュー
藤原辰史『分解の哲学──腐敗と発酵をめぐる思考』
2020年06月15日号
発行所:青土社
発行日:2019/07/10
新型コロナウィルスの感染拡大とともにあったこの数カ月間、国内外を問わず、さまざまな人々がこのウィルスと、それがわれわれの社会におよぼす政治的・経済的・文化的影響について言葉を発してきた。むろん、それはいまだ過去形で記述されうるようなものではなく、現在もまたその只中にあることは確かだろう。とはいえ目下のところ、そのうちもっとも広く読まれた日本語の文章のひとつが、藤原辰史「パンデミックを生きる指針──歴史研究のアプローチ」
であることは断言してよいと思われる。今年の4月2日に発表されたこの学術的エセーは、「B面の岩波新書」というウェブ媒体で公開され、先行きの見えない現状を前に戸惑う人々に、文字通り一定の「指針」を与えることとなった。ちょうどこのエセーの公表と前後して、著者・藤原辰史(1976-)のこれまでの著書を読み返していた。前掲の「パンデミックを生きる指針」は、農業史を専門とする著者が、約100年前のスパニッシュ・インフルエンザをおもな比較対象として、コロナウィルス感染拡大の渦中にある現在、および未来についての見通しを平易かつ求心的な言葉により示した名文であった。ここで著者は「虚心坦懐に史料を読む技術を徹底的に叩き込まれてきた」ひとりの歴史家として、パンデミックに直面した人々の「楽観主義」に警鐘を鳴らそうとしている。
他方、わたしの関心は、こうした「歴史研究のアプローチ」の見本とも呼べるようなエセーにではなく──もちろんそれはそれで興味深く読んだが──この著者が一貫した執念とともに取り組んできたひとつのテーマにあった。すなわち「食べること」である。
ここしばらく、気づけばいつも「食べること」について考えていた。むろん、わたし一人のみならず、自由な外出を大幅に制限されたこの約2カ月は、ふだんの日常においてその感覚を摩耗させていた人々にとっても、多かれ少なかれ「食べること」に意識的にならざるをえない期間であったはずだ。毎日の食事はひとり、もしくは同居する家族に限られ、友人や同僚といつものようにテーブルを囲むことは叶わない。食事のメニューは自炊かテイクアウトに限られ、自宅以外の空間で日常の息抜きをすることも難しい。道行く人々の減少と反比例して、Uber Eatsの黒いバッグを背負った自転車は日増しに目立つようになる。かたやスーパーマーケットはいつも以上に盛況で、リモートワークに切り替えることもできず、食べ物の流通を維持するために外で働いている人たちへの敬意は増すばかりである──等々。
さて、農業史家としての藤原辰史の仕事には、トラクターと戦車、化学肥料と火薬、毒ガスと農薬をはじめとする、いわゆる「デュアルユース」の問題がつねに中心にあった(『トラクターの世界史』中公新書、2017年など)。くわえてここ数年は、そうした狭義の歴史学の仕事にとどまらず、「食べること」から人間存在を──ひいては世界そのものを──根本的に捉えなおそうとする刺激的な試みが目立つようになった。「人間は、生物が行き交う世界を冒険する主体というよりは、生きものの死骸が通過し、たくさんの微生物が棲んでいる一本の弱いチューブである」(『戦争と農業』集英社インターナショナル新書、2017年、190頁)という達観したヴィジョンからさらに進んで、「分解」を鍵概念とする壮大なコスモロジーを開陳したのが本書『分解の哲学』である。
雑誌『現代思想』における連載を核とする本書の目次には、ネグリ=ハート、フリードリヒ・フレーベル、カレル・チャペックをはじめとする、一見すると接点を見いだすことが困難な名前がならぶ。あるいはまた、壊れたものに愛着を示す「ナポリ人」をめぐるゾーン=レーテルの見識、「糞虫」を活写するファーブル、あるいはそれを翻訳する大杉栄の筆の冴え、さらにはここ数年小さくないブームを巻き起こしている「金繕い」(金継ぎ)についての考察にいたるまで、本書が博捜するフィールドはきわめて広大だ。
終章「分解の饗宴」でまとめられているとおり、こうした多彩なトポスの先には、「食を通じた人間と非人間の関係の統合的分析」や「生と死という二項対立から漏れ出る生物および非生物の形態の分析」といった壮大な問題系が控えている。いずれにせよこうした「分解」論が、「脱領域的かつ拡張的に『食現象』を再考する」(318頁)ことに結びつけられている点に、個人的には何より興味をひかれる。それに「哲学」という言葉を冠することに、著者は「正直いまでもためらいがある」(324頁)という。だが、本書が投げかける問い、たとえば「なぜ、食べる方が『上位』で食べられる方が『下位』なのか」(239頁)という根本的な問いがひとつの「哲学」であることを疑う理由は、少なくともわたしには見当たらない。
2020/06/05(金)(星野太)