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エマヌエーレ・コッチャ『植物の生の哲学──混合の形而上学』

2020年06月15日号

翻訳:嶋崎正樹

発行所:勁草書房

発行日:2019/08/30

本書の著者エマヌエーレ・コッチャ(1976-)は、イタリアに生まれ、現在はパリの社会科学高等研究院(EHESS)で教鞭を執る哲学者である。もともとは中世哲学の専門家として『イメージの透明性(La trasparenza delle immagini)』や、『天使(Angeli)』(ジョルジョ・アガンベンとの共編)をはじめとするさまざまな仕事を手がけてきたが、ここ数年は本書『植物の生の哲学』(2016)や『変身』(2020)をはじめとする、より一般的なテーマの著書により注目を集めている。昨今のコロナウィルス問題をめぐって、『リベラシオン』をはじめとする複数の媒体にコメントを寄せていることからも、同時代の哲学者としてのコッチャの知名度がうかがえるだろう。

さて、本書『植物の生の哲学』については、いくつかの紹介の仕方が考えられる。まず、人間および動物を中心としてきた従来の「生の哲学」に対する何らかのオルタナティヴを模索する読者にとって、本書の議論は大いに示唆に富むはずである。むろん哲学だけではない。生物学をはじめ、およそ「生」に関わるあらゆる学問において周縁に置かれてきた「植物の生」について新たな認識を得たいと願う読者にとって、本書は格好の入口となるはずである。

しかし本書の射程はそれにはとどまらない。著者コッチャの立場は、これまで相対的に軽んじられてきた「植物の生」を尊重しよう、といった程度の「穏当な」ものではないからだ。著者によれば、植物はこの世界にある生のうち、もっともラディカルな形態であるという。なぜか。それは植物こそが、人間や動物よりもはるかにこの世界に「密着」しており、周囲の環境と「溶け合って」いるからである。ゆえに「植物は、生命が世界と結びうる最も密接な関係、最も基本的な関係を体現している」(6頁)。

こうした見通しのもと、本書では植物における運動や四肢の不在が、まるごと肯定的なものとして捉えなおされることになる。植物は動物のように行為によって、あるいは人間のように意識によって、この世界に変化をもたらすのではない。むしろ植物は世界に「浸ること(immersion)」によって、さまざまな生が混合する環境そのものを作り上げている。植物に着目することではじめて見えてくるこの「混合の形而上学」こそ、コッチャが本書において提唱する新たな自然哲学なのだ。

つまるところ本書が提案するのは、呼吸、流体、混合といったキーワードをもとに世界を捉える、壮大なコスモロジー(宇宙論)であると言ってよい。本文の記述そのものは一貫して軽やかだが、全体に散りばめられた註の端々からは、同時代の思想的潮流──たとえば思弁的実在論──への容赦のない批判も垣間見える。本書の最終章(第15章)が唐突に哲学論によって締めくくられているのも、故なきことではない。「植物の生」をめぐる哲学は、最終的に、われわれの従来の思考の枠組みそのものの転換をともなわざるをえない──いくぶん簡略的なかたちながら、本書はそのようなところにまで届く、遠大な問題系を描出している。

2020/06/01(月)(星野太)

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