2019年09月15日号
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artscapeレビュー

鳥公園「鳥公園のアタマの中」展

2018年04月01日号

会期:2018/02/27~2018/03/04

東京芸術劇場 アトリエイースト[東京都]

鳥公園・西尾佳織の6本の戯曲を西尾を含めた5人の演出家がそれぞれ演出し、リーディング公演として(台本を手に持ち、それを読み上げるかたちで)上演するという今回の企画。ただし、演出家と俳優はその日の朝からリハーサルを始め、稽古のほとんどの時間は一般に開かれた状態で行なわれる。公演後には西尾と俳優や演出家とのトークもある。創作のプロセスをそのまま見せるという意味で、会場の名前でもある「アトリエ」での作業を見せる試みと言えば近いだろうか。

しかし、創作のプロセスを開示することに、あるいはたった1日しか稽古していないリーディング公演を上演することにどのような意味があるのだろうか。私のように演劇そのものに興味がある人間、あるいは自らも創作に携わる人間にとっては有意義かもしれないが、そうでない人々はこの取り組みに何を見ればよいのだろうか。

27日に上演された『カンロ』(演出は西尾)の初演は2013年。複数の視点から見た現実や夢、妄想が溶け合うような上演のあり方はそれ自体が作品の魅力をなしている一方、舞台上で何が起きているかを完全に把握することを難しくしている印象もあった。ところが今回のリーディング公演では戯曲の構造がはっきりと見えた。戯曲の複数のレイヤーが、俳優の立ち位置や移動によってはっきりと可視化されていたからだ。トークで聞いたところによれば、それは演出の西尾の指示によるものでなく、俳優が自発的に動いた結果なのだという。

ここに示されているのは、戯曲を上演するという行為には、俳優が(あるいは演出家が)戯曲と向き合い思考するプロセスが含みこまれているという当たり前の、しかし忘れがちな事実だ。稽古がそうだというだけでない。繰り返される上演もまた、本来的には思考のプロセスとしてあるはずだ。観客もまた、舞台上の俳優たちと場を共有し、ともに思考する時間を過ごす。であるならば、よい上演の条件とは何だろうか。

公式サイト:https://www.bird-park.com/

2018/02/27(山﨑健太)

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