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ジャック・デリダ『メモワール──ポール・ド・マンのために』

2023年02月15日号

翻訳:宮﨑裕助、小原拓磨、吉松覚

発行所:水声社

発行日:2023/01/10

本書は、哲学者ジャック・デリダ(1930-2004)が、アメリカ合衆国における「脱構築」の後見人であり、唯一無二の友人であった批評家ポール・ド・マン(1919-1983)について書いた文章をまとめたものである。いずれもド・マン没後数年のうちに書かれた文章であるが、前半「Ⅰ」と後半「Ⅱ」でテクストの性格がかなり異なる。まずはそのあたりの事情を見ていくことにしたい。

本書の第Ⅰ部は、1984年にカリフォルニア大学アーヴァイン校で行なわれた連続講演にもとづいている。もともと「アメリカにおける脱構築」というテーマを構想していたデリダは、その前年末のド・マンの訃報に接し、急遽その内容に変更を加えた。「1 ムネモシュネ」「2 メモワールの技法」「3 行為──与えられた言葉の意味」と題されたこれらのテクストでは、おもにド・マンにおける「記憶」の問題を論じるというかたちで、その数ヶ月前に亡くなったド・マンに対する「喪の作業」を遂行するとともに、もともとのテーマであった「アメリカにおける脱構築」にも間接的に応じる格好となっている★1

これに対して第Ⅱ部は、それから4年後の1988年に執筆・公表されたものである。その経緯については本文でも述べられているように、やはりその前年(1987年)に明らかになったド・マンのベルギー時代の活動が直接的なきっかけとなっている。ご存じの読者も多いだろうが、戦後アメリカ合衆国に渡り、のちにイェール大学で教鞭をとることになる若きド・マンが、『ル・ソワール』という親ナチ的な新聞に文芸時評を書いていたことが一大スキャンダルを引き起こした。さらにこれをきっかけとして、ひとりポール・ド・マンのみならず、アメリカにおける脱構築批評、さらにはその震源地であるデリダらの「フレンチ・セオリー」にも、その攻撃は飛び火したのである。

この反・脱構築のキャンペーンが当時においてどれほど苛烈なものであったか、それを直接見聞していないわたしでも、その光景を容易に想像することができる。というのも、このたぐいの批難は、それから30年以上が経った最近でも──ミチコ・カクタニの『真実の終わり』(岡崎玲子訳、集英社、2019)などを通じて──また異なったしかたで反復されたものであるからだ★2。何らかの理由からデリダやド・マンの理論──さらにはそのエピゴーネン──に苦々しい感情を抱いていた人々が、鬼の首をとったようにこの事実に飛びかかったことは間違いない。だが、これはほとんど断言してよいと思われるが、それらの人々は、20歳そこそこのド・マンが親ナチ的な新聞に文章を寄せていたという「事実」を強調するばかりで、その文章に目を通してみようとすら思わなかったに違いない。これに対して、デリダが本書第Ⅱ部(「貝殻の奥にひそむ潮騒のように──ポール・ド・マンの戦争」)で行なったのは、この若きベルギー人が書いたものをまずは徹底的に読み、そこから何が読みとれるのかを日のもとに晒すという作業であった。

その成果が少しでも気になった読者は、まずは本書をじかに読んでみてほしい。友人ド・マンへの深い哀悼の意と、その過去の出来事にたいする(あくまでも公平な立場からなされた)弁護からなる本書は、これからデリダを読もうとする読者にとっての最初の一冊として、留保なく推薦できるものである。

本書を読んでいると、ある資料体を徹底的に、時間をかけて読むことがひとつの「倫理」であるということを、あらためて痛感せざるをえない。本書をはじめとするデリダの文章はたしかに迂遠な印象を与えるかもしれないが、そこに不必要に難解なところはひとつもない(念のため付言すると、本書『メモワール』の訳文はきわめて正確かつ流麗である)。ある「新事実」の暴露に右往左往する今日の人間からすれば、そこで告発されたテクストをゆっくり、丹念に検討するというのはどこか反時代的な身振りに映るかもしれない。だが、そうした倫理=慣習(エートス)を失ったとき、わたしたち人間を人間たらしめる根拠はまたひとつ失われるだろう──本書を読んでいると、いささか大仰とも思われるそのような感慨を抱かずにはいられない。

★1──本書のタイトルでもある単語「メモワール(mémoires)」の多義性についてはここでは踏み込まない。これについては宮崎裕助「訳者あとがき」(本書 pp.325-339)のほか、郷原佳以「記憶と名前──ド・マンとデリダの「メモワール」」(『コメット通信』第30号、水声社、2023、pp.11-13)を参照のこと。
★2──この問題については次の拙論で論じた。星野太「真実の終わり?──21世紀の現代思想史のために」(東京大学東アジア藝文書院(編)『私たちは世界の「悪」にどう立ち向かうか──東京大学 教養のフロンティア講義』トランスビュー、2022、pp.53-81)

2023/02/09(木)(星野太)

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