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artscapeレビュー

アンジェラ・マクロビー『クリエイティブであれ──新しい文化産業とジェンダー』

2023年06月15日号

監訳:田中東子

発行所:花伝社

発行日:2023/02/25

「創造的(creative)」という言葉が、行政文書のなかに目につくようになって久しい。2004年に始まったUNESCOの「創造都市ネットワーク」はすでに20年弱の歴史をもつが、これにかぎらず、今日において「創造(的)」という言葉は、国家や企業が推進する事業に完全に絡め取られている。おそらく、ひろく芸術に携わる誰もがそのことに気づきながら、この言葉が行政やビジネスの論理に掌握される様子を、なすすべもないまま眺めている。

本書『クリエイティブであれ──新しい文化産業とジェンダー』の著者であるアンジェラ・マクロビーは、ロンドン大学ゴールドスミス校で長らく教鞭をとったカルチュラル・スタディーズの研究者である。ポピュラー文化やフェミニズム理論を専門とし、昨年には『フェミニズムとレジリエンスの政治──ジェンダー、メディア、そして福祉の終焉』(田中東子・河野真太郎訳、青土社、2022)が訳出されている。

おもにロンドンとベルリンを対象とする本書は、ファッション、音楽、現代アートをはじめとする文化的労働についての研究書である。とはいえ、ここに書かれていることは、すでに「やりがい搾取」という言葉が定着して久しい日本語圏の読者にとってみれば、ごく馴染みのある事象ばかりであるかもしれない。マクロビーが本書において明らかにしようとしているのは、つまるところ、ファッションやアートのような「創造的な」労働の領域において、いかに容赦ない「やりがい搾取」が行なわれているかということだからだ。日本では過去、アニメーション制作会社の低賃金が大きく取り沙汰されたことがあったが、これにかぎらず、ひろく文化にかかわる世界では、当事者の「熱意」や「やりがい」に支えられるかたちで、低賃金(ないし無給)の長時間労働が横行していることは周知のとおりである。

もちろん、そこには国や地域ごとの特殊事情がないわけではない。たとえば、イギリスでは1990年代後半に、当時の労働党首相トニー・ブレアによって「クール・ブリタニア」という政策が大々的に掲げられた。そこでは、まさに映画や音楽をはじめとする「クリエイティブ産業」が、国を挙げた国際戦略の中心に躍り出たのだ。本書が描き出すロンドンのクリエイティブ産業の状況は、こうした政府主導の戦略と切り離せない。

本書の議論はけっしてひとつに収斂するものではないが、そのなかでいくつか本質的と思われるものを挙げておこう。第一に、クリエイティブ産業における「やりがい搾取」には、明らかにジェンダー的な不平等がある。本書序文で著者が描き出す当事者たちのプロフィールも、その大半が若い──なおかつ、イギリスの外からやってきた──女性たちである(マクロビーは、労働環境をめぐる従来の左派の言説が、この男女の境遇の違いを見落としてきたことをくりかえし指摘する)。第二に、前述したような「やりがいのある仕事」の多くは、その華やかなイメージと裏腹に、不安定な雇用や不十分な保障と背中合わせである。そのため、クリエイティブ産業を推進する政策は、若者たちに「やりがいのある」仕事を供給するかに見えて、その実、社会福祉の切り下げを行なっているというのも正鵠を得た指摘である。

最後に、著者はバーミンガム学派が主導してきたカルチュラル・スタディーズ(CS)の伝統に連なる一人として、これまでCSが政治的抵抗の場として見いだしてきた文化的な諸領域が、いまや経営・起業的な関心から「創造性」を涵養するためのもっとも効果的な学問へと転じてしまっていることを率直に認めている。著者の言葉でいえば、CSはおのれの功罪を問うべき「再帰的なカルチュラル・スタディーズ」(23頁)へと歩みを進める段階に来ているのだ。ブルデューやベックの「再帰的な社会学」に倣ったこうした問題意識は、今日なんらかのかたちで文化と教育、あるいは文化の教育に携わるすべての人間によって、ひろく共有されるべきものだと言えるだろう。

2023/06/07(水)(星野太)

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