artscapeレビュー

発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間

2023年07月01日号

会期:2023/05/20~2023/07/09

府中市美術館[東京都]

ほぼ無名の画家の回顧展を公立美術館で開くというのは、経営的にはかなりの冒険だが、その人が知られざる才能をもっていたとか、かつては真価が認められず見過ごされていたとか、発掘されるに値する芸術家であれば(しかも地元出身であればなおさら)、公立美術館の果たすべき義務のひとつであるとさえいえる。植竹邦良という名前は初めて聞くが、その作品図版を目にしたらぜひ実見してみたくなった。彼の絵は昭和のある時代を典型的に映し出しているように思えたからだ。それは昭和30年代のルポルタージュ絵画から観光芸術に至るまでの、欧米のモダンアートとは一線を画す流れである。

植竹は1928年生まれ。前の世代は戦争に取られて美術人口が少なく、後の世代は前衛芸術に身を投じていく狭間の世代だ。近い世代では、ルポルタージュ絵画の池田龍雄や観光芸術協会の中村宏らがいるが、彼らとは交流があり、共通するテイストが感じられる。とりわけ、多様なモチーフをコラージュするようにひとつの画面に再構成する手法は、中村とともに観光芸術協会を結成したタイガー立石を彷彿させる。もうひとつ彼の創作の源泉をたどれば、戦時中15歳のときに見た藤田嗣治の《アッツ島玉砕》に行き着く。植竹はこれに衝撃を受け、絵の道に進んだというから、後の画面全体を覆い尽くすようなにぎやかな絵は、敵も味方もなく入り乱れる藤田の死闘図に由来するのかもしれない。

展示は大きく4つに分かれる。戦後まもない時期のスケッチや油絵、1960年に始まる幻想的な大作、池田龍雄、尾藤豊、中村宏、桂川寛ら交流のあった同時代の画家たちの作品、そして地形図や都市図にこだわった後半生の作品群だ。特に目を引くのが、1960〜1988年に描かれた10点の大作。黒い壁に、黒いシンプルな額をつけただけの絵をスポットライトが浮かび上がらせている。

たとえば《人形の行く風景》(1969)は、画面上方を建築の装飾パターンが覆い、下部は朱色のザクロが埋め尽くし、左にはアンドロイドのような女性がロウソクを片手に闊歩し、中央には幼児を乗せたバスが見える。弘田三枝子の「人形の家」がヒットし、学生運動が盛んだった時代。左の女性は「人形の家」にヒントを得たそうだが、あとは意味不明。ゴチャゴチャと破綻したような画面そのものが当時の騒々しくも祝祭的な時代気分を伝えてくれる。

《最終虚無僧》(1974)は上方に顔のない虚無僧が尺八を吹き、背後に日の丸を思わせる赤い楕円が描かれ、左右に蛇行しながら列車が走り、その列車がいつのまにか原子炉のような得体の知れない装置に変わっている。鉄道はこれだけでなく、《スピナリオ電車》(1977)や《鉄橋篇》(1979)にも描かれているが、彼に限らず同世代の画家もしばしば取り上げたモチーフ。しかし昨年の「鉄道と美術の150年」展には中村と立石は出ていたが、植竹の作品はなかった。やはり知られざる画家なのだ。

1970年代から新たなモチーフとして地形図が加わり、80年代から都市や建築が登場する。地形図はもともと地図に関心を持っていた植竹が大型の地形模型を手がける工場を見つけ、しばしば通って写真に撮り、それを元にシワシワの山脈のヒダや蛇行する川筋まで克明に写し取るようになったもの。しかし地形図は立石も描いているし、植竹の独創というわけではない。また、バブルの時期に盛んになった都市の再開発も植竹の格好のモチーフとなった。《高炉より》(1993)や《構築記》(1997)に見られる建造物の折り重なるさまは、キュビスムかオルフィスムを思い出させる。いずれにせよ絵としてはせいぜい20世紀半ば、あるいは昭和半ばごろまでの印象で、新しさは感じられない。

植竹がアートシーンに浮上しなかった理由は、こうした作品自体の時代遅れ感と、主に団体展を発表の舞台にしていたからだろう。もう少し広いアートシーンに出ていれば評価は変わったかもしれないし、作品自体も変化していたかもしれない。特筆すべきはスケッチ類で、初期と後半生の作品しか出ていないが、どれも力強く魅力的で、確かなデッサン力がうかがえる。


公式サイト:https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakuten/2023_UETAKE_Kuniyoshi_exhibition.html

2023/06/04(日)(村田真)

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