artscapeレビュー

中村宏 戦争記憶絵図

2023年07月01日号

会期:2023/05/16~2023/06/03

ギャラリー58[東京都]

戦争記録画が、主に従軍画家によって戦意高揚を目的に描かれた戦時中の絵であるならば、中村が発表した「戦争記憶絵図」は、空襲のなかを逃げまどう自身の記憶を頼りに描いた「ルポルタージュ絵画」ということになる。つまり敵をやっつける側(大人)の視線ではなく、やられる側(子ども)の視点から捉えた戦争画なのだ。こうした視点は絵本や漫画ならあったかもしれないが、絵画としてはあまり見たことがない。しかも戦後80年近くたって記憶の底から蘇らせた「記憶絵図」である点が重要だろう。

戦争末期の1945年、12歳だった中村は浜松大空襲で赤く炎上する街を、自宅の裏山で恐怖に震えながらただ眺めていたという。米軍の攻撃は、B29による爆撃、戦闘機からの銃撃、そして遠州灘まで迫った戦艦からの砲撃の3つ。これらがそれぞれ3点1組の大作として描かれている。

《空襲1945》(2022)は、B29とおぼしき巨大な爆撃機が雲のように白く輝きながら画面を横切り、爆弾を木造家屋に落として一部炎上している。《機銃掃射1945》(2022)は、やはり白い戦闘機からの射撃が黄色い破線で描かれるが、その破線は画面の縁で跳ね返って地上の逃げまとう日本人に浴びせられている。《艦砲射撃1945》(2023)は沖合の戦艦から撃たれた砲弾が弧を描き、打ち寄せる大波を越えてこちらに飛んでくる情景だ。どれも子どものころの記憶に基づきながら、そこにシュルレアリスム的な想像を加えた「ルポルタージュ絵画」であり、構図や視点には中村少年が感じたであろう恐怖が伝わってくる。卒寿を前にした画家が、戦争の記憶を描き残さなければと奮い立った渾身の作品。


会場にはそのほかスケッチや下絵、子どものころに拾って大切に保管していたという米軍の弾丸と薬莢などに加えて、《戦下の顔》と題した3枚組の作品もある。画面左上に女学生の顔の4分の1ほどを遠近法的に歪めて描いたもの。これは以前《4分の1について》というタイトルで発表されたが、今回《戦下の顔》と改題し、戦争画としてあらためて展示したという。中村が繰り返しセーラー服の女学生を描いたことは知られているが、女学校創設者の家に生まれ、その敷地に育った中村にとってセーラー服の女学生は日常の風景であり、その暗く冷たい表情は、軍需工場で働く女学生のものだという。初めて明かされるモチーフの由来。



中村宏《戦下の顔》[写真提供:ギャラリー58]



公式サイト:https://www.gallery-58.com/exhibition/2023_exhibitions/2023_nakamura/

2023/05/30(火)(村田真)

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