artscapeレビュー

杉本博司 火遊び

2023年10月01日号

会期:2023/09/05~2023/10/27

ギャラリー小柳[東京都]

コロナ禍でしばらく留守にしていたニューヨークのスタジオに戻ると、大量の印画紙が期限切れになっていることに気づいた、と杉本はいう。印画紙は期限が過ぎると劣化し、微妙なトーンが飛んでしまう。そこで杉本写真の売りのひとつである美しいグレーゾーンを諦め、明暗のコントラストの強い写真表現を試みることにした。それが印画紙に直接描く「書」だ。最初は暗室のなかで現像液を筆につけて印画紙に字を書き、一瞬光を当てると、文字が黒く浮かび上がってくる。次に定着液を筆につけて書いてみると、黒地に白い文字が現われてきた。暗室は文字どおり暗闇なのですべては手探りで進めなければならない……。杉本自身によるコメントを読むと、作品に至るまでの過程が手に取るようにわかり、説得力がある。

杉本が書に選んだ文字は「火」。なぜ「火」なのか、写真なら「光」ではないのか。とも思うが、あらためて比べてみると「火」と「光」はよく似ている。それもそのはず、「光」という字は「火」を「人」が上に掲げているかたちなのだ。もともと「火」は象形文字だし、「光」より絵画的でもあるから、書くとしたら「火」だろう。あるいはひょっとしたら「火遊び」というタイトルから先に思いついたのかもしれない。齢を重ねてからの火遊び、手遊び。最近はホックニーにしろ横尾忠則にしろ、超老芸術家の火遊びが盛んだし。

作品は大小合わせて14点。火以外にも「炎」や「灰」もあるが、いずれも力強い筆致で、撥ねや擦れや飛沫を強調するかのように運筆している。人が両手両足を広げて踊っているような火の字もあり、かつて抽象表現主義と張り合おうとした前衛書を思い出す。それにしても真っ暗闇のなか手探りでよく書けたもんだ。おそらく失敗した印画紙はこの何倍、何十倍もあるに違いない。帰りにエレベーターに乗ろうとして振り返ったら、入り口の脇に朱で「火気厳禁」の手書き文字が目に入った。あれ? こんなの前からあったっけ。


公式サイト:https://www.gallerykoyanagi.com/jp/exhibitions/

2023/09/07(木)(村田真)

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