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挑発関係=中平卓馬×森山大道

2023年10月01日号

会期:2023/07/15~2023/09/24

神奈川県立近代美術館 葉山館[神奈川県]

1970年前後の中平卓馬と森山大道の写真をなんの予備知識もなくパッと見せられたら、どう思うだろうか? アレ、ブレ、ボケの写真はカッコイイと感じるかもしれないが、それはいまだからいえること。当時は(いまでも事情を知らない人には)ヘタな写真、失敗写真としか映らなかったはず。それがカッコイイと感じるようになるには、作品が生まれてきた文脈、つまり言葉が必要だった。もちろん写真に限らずあらゆる表現を理解するには言葉が必要だが、とりわけ彼らの写真には言葉が欠かせない。そうでなければ、この展覧会はモノクロのブレボケ写真ばかりが続く悲惨な写真展となっていただろう。

中平と森山が初めて会ったのは1964年のこと。同い年(1938年生まれ)で、ふたりとも逗子に暮らしていたという。葉山館で同展が開かれるゆえんだ。当初は中平が雑誌編集者、森山が写真家という関係だったが、中平も写真を発表するようになり、森山との「挑発関係」が生まれる。ふたりは競うように既成の写真概念を突き崩し、アレ・ブレ・ボケによる挑発的な「反写真」を次々と世に問うていく。

その方向性を端的に表わしているのが、カタログに再録された彼らの言説だ。「写真はピンボケであったり、ブレていたりしてはいけないという定説があるが、ぼくには信じがたい。第一、人間の目ですら物の像をとらえるとき、個々の物、個々の像はブレたり、ピンボケだったりしているのだ」(中平)。「何が写真なのか一点の懐疑も持ってない写真、つまりリアリティ欠落の写真、そんな写真へのボクの嫌悪と訣別の念(略)」(森山)。これだけでも従来の写真を否定し、根源から写真を捉え直そうとする彼らの意志が伝わってくる。

こんな言葉もある。「ただものがものとしてあること、そしてそれ以外の一切の人間的、情緒的な彩色をとりはらって、ものがものであるという一事に直面しようというひそかな欲望が、ぼくの中に生まれてきた」。これを読んで、李禹煥が書いたのかと勘違いしてしまった(実際は中平)。それほど同時代・同世代のもの派の思想──もののホコリを払ってあるがままの世界と出会う──とも通底していたのだ。

いや、わざわざ言説を探り出さなくても、彼らが1970年前後に出した写真集や書籍のタイトルを並べてみるだけでもいい。中平らが始めた同人誌『PROVOKE』(「挑発する」という意味)をはじめ、『来たるべき言葉のために』『まずたしからしさの世界をすてろ』『写真よさようなら』『なぜ、植物図鑑か』など、まるでアジテーションではないか。当時の時代性が色濃く現われている。

展覧会では、森山が撮ったホルマリン漬けの胎児の写真に、編集者だった中平がタイトルと文章をつけた「無言劇」から、中平の死後、ふたりが多くの時間を過ごした逗子、鎌倉、葉山界隈をスナップショットした森山の『Nへの手紙』まで、雑誌、写真集、ヴィンテージ・プリントなどが展示されている。写真がスライドのように次々と映し出されるコーナーがいくつかあるが、そのうち1カ所は延々と言説だけが流れていて、彼らにふさわしい構成だと思った。余談だが、森山の写真には「森山神社」「葉山大道」という地名が写っていて、ちょっと嬉しくなった。


公式サイト:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-provocative-relationship

2023/09/01(金)(村田真)

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