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カール・ジンマー『「生きている」とはどういうことか──生命の境界領域に挑む科学者たち』

2023年12月15日号

翻訳:斉藤隆央

発行所:白揚社

発行日:2023/07/12

生命をめぐる学問の歴史は古い。とりわけ自然科学が大きく発展したこの数世紀のあいだ、生命の起源や発生をめぐる問題は、科学者たちの大きな関心事でありつづけてきた。本書は、そんな科学者たちの苦闘を、精力的な取材と魅力的な筆致によって描き出した労作である。著者カール・ジンマー(1966-)は、進化や寄生といったトピックを得意とする高名なサイエンスライターであり、本書でもその手腕は遺憾なく発揮されている。

本書には、さまざまな方法で生命にアプローチする古今の科学者たちが登場する。そのなかには、チャールズ・ダーウィン、トマス・ハクスリー、エルンスト・ヘッケルといった誰もが知る人々に加えて、かつて生命の謎を明らかにしたという名誉に浴しながら、今では歴史の闇に埋もれてしまった科学者たちも含まれる。例えば、本書のはじめに登場する物理学者ジョン・バトラー・バークは、20世紀はじめに生命を生み出す元素を発見したと公表し、一時は英国でもっとも知られる科学者となった。その論文は『ネイチャー』にも発表され大きな話題をよんだが、バークが発見したと称する「レディオーブ」なる元素が存在しないとわかると、その後の人生は転落の一途をたどった。著者によれば、晩年にバークが著した「怪しげな大著」(17頁)である『生命の発生』(1931)には、ほとんど悲痛にも感じられる次のような定義が見られるという──「生命とは生きているものだ」(18頁、傍点省略)。

本書が類書とくらべて際立っていると思われるポイントのひとつは、生命とそうでないものを隔てる基準が、しばしばそれが要請される社会的場面に応じて決定されることを抜かりなく指摘していることだろう。本書第1部「胎動」において、脳死や中絶をめぐる論争が取り上げられることの意義はそこにある。こうしたケースは、「生命とは何か」という問いが、かならずしもその起源や発生を問うこととイコールではないことを明瞭に伝えてくれる。

加えて、本書では歴史にたずねるだけでなく、生命をめぐる同時代の研究成果を紹介することも怠っていない。本書に登場する「生命」のかたちは、ヒト、ヘビ、コウモリ、さらには粘菌、ヒドラ、クマムシにいたるまで、きわめて多岐にわたる。本書は最終的に、生命の定義可能性をめぐる哲学的な議論によって締めくくられる(とりわけ、物理学者から哲学者に転じたキャロル・クリーランドの議論は示唆に富む)。だが、そのパートが説得的に見えるとしたら、数学から宇宙生物学にいたるさまざまな分野の研究者に取材した、それまでの長い道のりがあるからだろう。全体にわたり読者を飽きさせない工夫に満ちた本書は、「生命とは何か」という広大な問いをあくまで具体的な事象に即して考えるにあたり、豊かな材料を提供してくれる。

2023/12/11(月)(星野太)

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