artscapeレビュー
山﨑健太のレビュー/プレビュー
関田育子『フードコート』(昼のフードコート)
会期:2019/10/19~2019/11/17
TABULAE[東京都]
『フードコート』という作品にはテクストを書いた新聞家・村社祐太朗自身の演出による(いくつかの)上演のほかに、関田育子の演出によるバージョンが用意されていた。「関田育子の演出」とひとまず書いたものの、関田の近作において「演出」など職掌別のクレジットはなく、創作に携わった人間はみな「クリエーションメンバー」としてクレジットされている。よって、「関田育子の演出」と言ったとき、関田の名はチーム全体を指すものとしてある。また、公演の名義こそ「関田育子」となっているものの、新聞家の同名の公演期間中、同会場での上演であり、これは新聞家の企画でもあったのだと考えるのが妥当だろう。村社は新聞家の前回公演『屋上庭園』で初めて自分以外の人間が書いた戯曲を演出した。村社の側からすると今回はその逆、自分が書いたテクストを他人の演出に委ねる試みだということになる。新聞家は一貫して「他者と対峙すること」に取り組んでおり、これまでの戯曲の多くが「家族」についてのものだったのもその反映とみなせる。
当日パンフレットに「昼のフードコート」と記載があったことから推察するに(予約時には明示されていなかったものの)、関田版ではどうやら昼夜で異なる演出が採用されていたらしい。私は夜の公演は見られなかったのだが「昼の公演では、新聞家の主宰である村社さんが書いたテキストを思考の中心におき、それとどう関係していくのかが論点に置かれた」とある。
戯曲としての『フードコート』は(おそらくは)ひとりの視点からの内省的な語りのテクストだ。ある場面が詳細に描かれることはなく、具体的な部分はあっても断片的なイメージが連なっていく。村社版の俳優はほとんど動かないまま、訥々と言葉を発するのみ。客席やガラス戸越しに見える屋外の空間も上演の一部としてデザインされていることは明らかだが、それらと語られる言葉との間にはほとんど関係がないらしいことは初見の観客も了解するところだろう。ひとまずは朗読のような(しかしテキストが眼前にあるわけではない)ものだと考えればよい。一方、関田版の俳優(中川友香)は屋外も含めた空間を動き回りながら言葉を発する。必然的に、観客はその動きと語られる言葉との「正しい」関係を探ることになるのだが、ときにガラス戸に外から張り付いたままカニ歩きをするような動きにどんな解釈が「正解」たりえるだろうか。言葉と動きとを結びつけて理解しようという試みはおおよそ失敗する。
私がギリギリ引っかかったのは、バナナのように剥いて噛みついたハンバーガーがレモンのように酸っぱかった場面だ。そんな場面はない。ないのだが、まず彼女は空の手を胸のあたりまで持ち上げると、バナナの皮を剥くような動作をする。それは握られることなく、肉まんを食べるときのように左右からそれぞれ添えられた五指によって顔の前に運ばれる。かじるように動いた彼女の顔は梅干しを口に含んだかのごとくゆっくりと歪み、戻り、また歪む。「二番目のレモン」と「黄色い包み紙」。かろうじてつながる単語と不可解な動作があり得ないイメージを私に植えつける。あるいはそれは、すでに村社版を見ている私による、言葉に先立った解釈だったようにも思う。いずれにせよそもそも戯曲に私の妄想と一致する場面はなく、多くの場面で言葉の落ち着きどころはない。
今までの関田作品では、言葉と動作の結びつきが明らかになる瞬間、そしてそれらがズレ、歪んでいく瞬間に演劇的快楽があった。そこでは基本的に、観客の想像は関田によって一定の方向に導かれている。だが、今回の上演ではテクストと上演とをどう結びつけられるかはほとんど完全に観客に委ねられていたように思う。そうであるならば、それは夜空に星座を描くのとどう違うのだろうか。
公式サイト:https://ikukosekita.wixsite.com/ikukosekita
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2019/11/17(日)(山﨑健太)
青年団若手自主企画vol.79 ハチス企画『まさに世界の終わり』
会期:2019/11/08~2019/11/24
アトリエ春風舎[東京都]
グザヴィエ・ドランによって映画化もされた戯曲『まさに世界の終わり』(映画邦題は『たかが世界の終わり』)。作者のジャン=リュック・ラガルス(1957-95)は現在、フランスでその作品がもっとも上演されている劇作家のひとりだ。
自らの死が近づいていることを知ったルイ(海津忠)はそのことを告げるため、何年も会っていなかった田舎の家族のもとに戻ることを決意する。老いた母(根本江理)、彼女と暮らす11も年の離れた妹・シュザンヌ(西風生子)、田舎に残り母のそばに住み工具工場で働く2つ下の弟・アントワーヌ(串尾一輝)、初めて会うその妻・カトリーヌ(原田つむぎ)。彼女たちは地元を離れたまま戻ってこない長兄に屈折した思いを抱いており、突然のルイの来訪は家族の関係を軋ませる。ギスギスし張り詰めた雰囲気と繰り返される言い争い。ルイはやがて訪れる自らの死を伝えることができないまま再び家を離れることになる。
この戯曲にはト書きがほとんどない。台詞は基本的に家族の会話、あるいは彼らの独白だが、その境目は極めて曖昧だ。冒頭に置かれたルイの独白は実家に戻る決意を告げる。だがそれはいつ誰に向けて語られたものなのか。演出の蜂巣ももと舞台美術の渡邉織音は、舞台空間を「記憶の場」として上演を立ち上げてみせた。
会場となったアトリエ春風舎は地下にあり、観客は螺旋階段を降りて劇場に入る。観客が入って来たのとはちょうど逆側にも階段があり、舞台裏に通じるそちらは俳優やスタッフの出入り口となっている。冒頭、懐中電灯を手にしたルイがその階段を降りてくる。階段を降りてすぐの場所にはダイニングテーブルと椅子。舞台上方には屋根の枠組みのようなものが吊られているが、それは半ば分解しかかっている。少し外れたところに子どものおもちゃにしては大きい木製の馬。周囲にはガラクタが散らばっている。落ちかかる窓枠から射し込む光。
地下室に転がり埃をかぶったガラクタには、しかし家族の思い出があったはずだ。ルイは地下室=実家に足を踏み入れ、それを確かめようとする。だが、家族といえど必ずしも思い出が共有されているわけではない。ばらばらの記憶と思い。ある意味では長年のルイの不在こそが家族が共有する唯一のものだ。彼らはかつて共に過ごした時間をよすがに再び家族であろうとするが、互いに持ち寄ったピースがうまくはまることはない。ぶつかる破片が軋みをあげる。
戯曲に描かれているのは「もちろんある日曜日、あるいはほぼ丸々一年の間の出来事」だ。それはルイが家族と再会したある日曜日のことであり、それから彼が死ぬまでの一年間のことだろう。場面はときに突如として中断し、同じく中断した音楽とともに不自然に繰り返される(音響:カゲヤマ気象台)。AV機器の再生不良のようなそれもまた記憶の再生、あるいはその齟齬を思わせる。ルイは再会の記憶を、それがうまくいかなかったとしても、いや、むしろうまくいかなかったからこそ反芻し続ける。家族の記憶を映し出しうつろう光は美しくも切ない(照明:吉本有輝子)。
だが、家族との記憶を反芻するのはルイだけではない。第二部第三場には12ページにも及ぶアントワーヌの台詞がある。「ルイ?」という呼びかけで終わるその長い独白は死者への語りかけの響きを帯びる。ルイもまた、思い出される家族のひとりとしている。
戯曲の解説で訳者の齋藤公一は「この戯曲が確固としたメッセージを伝えてはいないのはどうやら明らかなようだ。何かが語られてはいる。だがその内実は聞こえそうで聞こえて来ない。うまく噛み合わない対話が続き、空しい独白があいだを埋めていく」と書いている。だがそれは無関心や憎しみではなく、愛ゆえのことだ。だからこそ不協和音は痛切に響く。蜂巣演出と渡邉美術、俳優たちの演技はそこにある哀しみを見事に可視化し触知可能なものとしていた。
蜂巣はこれまで、イヨネスコやベケット、別役実やカゲヤマ気象台らの戯曲を演出してきた。難解な戯曲にも粘り強く取り組み舞台上にその核を立ち上げる手腕はすでに一部で高い評価を得ているが、ある意味ではスタンダードな家族ものである『まさに世界の終わり』の上演は演出家・蜂巣ももの力量を改めて示す結果となった。戯曲の魅力を引き出すたしかな力を持った若手演出家として、今後は外部企画での戯曲上演の機会も増えていくのではないだろうか。
公式サイト:https://www.hachisu-kikaku.com/
円盤に乗る派『おはようクラブ』(蜂巣もも演出)劇評:http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/kangekisusume/2019/12/noruha.html
2019/11/11(月)(山﨑健太)
JK・アニコチェ×山川 陸『Sand (a)isles(サンド・アイル)』
会期:2019/10/28~2019/11/10
池袋駅周辺[東京都]
フェスティバル/トーキョー19「トランスフィールドfromアジア」の枠組みで実施された『Sand (a)isles(サンド・アイル)』は「池袋の道、約500mを100分かけて3周する」、いわゆるツアーパフォーマンス形式の作品だ。旅の道連れは移動式の砂場(!)とケアテイカーと呼ばれるアーティスト。道中、参加者は彼らの指示に従ってさまざまなタスクをこなしていく。
フィリピンのパフォーマンス・メイカー、JK・アニコチェと日本の建築家、山川陸が「演出・設計」したこの作品は、言わば砂場での砂遊びのようなものだ。大枠の設定は彼らによって用意されている。だが、パフォーマンスの内容は回によって大きく異なっている(と思われる)。それを決定するのは4種類のルートと9人のケアテイカー、そして5パターンの集合時間だ。
パフォーマンスは参加無料、事前予約なし。回/ルートごとに指定された場所に行くとケアテイカーが待っていて、時間になると「街歩きの方法」のレクチャーが始まる。私が参加した10月30日はCルート。担当のケアテイカーは写真家で舞台作家の三野新だった。どの回をどのケアテイカーが担当するかは事前に告知されていないため、参加者はたまたまそこにいたケアテイカーとともに街を歩くことになる(ほかのケアテイカーが担当した回については村社祐太朗のレビューが出ている)。
三野が参加者に課したタスクは次のようなものだ。参加者は各々、「砂場」に埋まっている写真を掘り出し、街を歩きながらそこに映る風景を探し出す。見つけたら次の写真を掘り出し、同じことを繰り返す。写真に映る「なにか」を見つけるための私の視線は、普段、池袋を歩くときには向かない高さや遠さに向けられる。ベタといえばベタだが、普段は見ないものを見るという意味では十分に効果的な仕掛けだった。
その日の集合時間は18時。Cルートが主に通るのは池袋西口の風俗店や中国料理店が多く並ぶ繁華街の外縁で、ある店は夜の営業を始め、ある人は出勤の道を急ぐ。三野はときに写真に映る場所のヒントを交えながら、そのエリアがどういう場所なのかをポツリポツリと語る。街を歩く100分のあいだに街は夜になっていく。同じルートを繰り返し通ることで、その場所に流れる時間が体感される。三野の写真は昼の街を映していて、そこにも違う時間を想像する手がかりがある。
ところで、私が参加した回は参加者たちが目ざとく、用意された写真は3周目のなかばで尽きてしまったのだった。手持ち無沙汰になった私たちはただぶらぶらと歩くしかなくなるのだが、それでも、旅の道連れである移動式砂場の進むペースやルートは変わらない。どうやら、移動のルートや時間は事前に(都に?)申請されていて、そこから外れることは許されていないらしい。
移動式砂場とそれに付き従う私たちは立ち止まることも禁じられている。許されているのは、周回のチェックポイントのような役割も果たす集合地点と赤信号での停止のみ。それ以外の場所、つまり道路上ではどんなに遅くともつねに進み続けなければならない。Cルートの砂場は小型のタンスに台車が付いたような形状で、進行方向からすると横向きの引き出し4段それぞれに砂が詰め込まれたものだった。進み続けるタンスに伴走(?)しながら引き出しを引き出し、そこから写真を掘り出す作業はなかなかに難しい。砂をほじくるのに集中していると周囲への注意は疎かになる。ほかの参加者が周りに目を配り声をかけ、それは自然と共同作業めいてくる。
ルールというのは他人同士が「同じ場所」で過ごすための線引きだ。風俗店や飲食店も、ルールに従って街中に存在している。アニコチェと山川は自分たちが法令という公のルールに従っていることをあからさまに示しつつ、その内部にまた別のルールを設定してみせた。彼らのルールはさらにケアテイカーという他人に手渡され、そこではまた新たなルールが設定される。ルールを縛るものとしてでなく、ひととひととが協働するための拠り所として受け取ること。
東京芸術祭の、フェスティバル/トーキョーの、トランスフィールドfromアジアの『Sand (a)isles(サンド・アイル)』。いくつも並び重なり合う枠組みはバカバカしくも無意味にも思えるが、しかしそこは案外不自由ではないのかもしれない。ルールに縛られずそれを使うためには、まずはその存在を認識しなければならない。『Sand (a)isles(サンド・アイル)』は物理的な目に見える街のみならず、それを縛り成立させている目には見えないルールにも注意を促す。そこで軽やかに遊ぶ彼らの態度は、少しだけ私の呼吸を楽にしてくれる。
公式サイト:https://www.festival-tokyo.jp/19/program/sand-aisles.html
『Sand (a)isles』評 「勝手に記述を進めることの困難」:https://www.festival-tokyo.jp/media/ft19/a65
2019/10/30(水)(山﨑健太)
新聞家『フードコート』(京都公演)
会期:2019/10/26~2019/10/27
京都教育文化センター[京都府]
京都公演の会場は東京公演のそれとは大きく趣が異なっていた。いわゆる公民館的な施設の一室で、壁の一面が鏡張りになっている。普段はダンスのレッスンなどにも使われているのではないだろうか。「客席」として手渡されるヨガマットもその連想を強化する。東京公演の会場との共通点は通りと接する一面がガラス張りになっていることくらいで、それも日本庭園風の植栽を間に挟んでなので印象は随分と違う。観客がガラス窓に向き合う位置関係はおおよそのところ東京公演と同じだが、置く位置を指定されたヨガマットは6×2の長方形に整然と並び、個々の観客に見えるものにさほどの違いはない。観客の正面、ガラス窓を背にして空いた空間の中央には岩のようなものが置かれている。
すでに東京公演を二度観ていた私は『フードコート』の戯曲を取り出してそれを復習しつつ開演を待っていた。「緩みをもともと含んでいるとは知らなかった」と戯曲冒頭の言葉が聞こえてきて目を上げるが、そこに俳優の姿はない。実は出演者の吉田舞雪は素知らぬ顔で前列の観客たちの間に座っていて、ほかの、という言い方は変なのだが、観客たちと同じように窓の方を向いたまま言葉を発していたのだった。気づけばそこから声が聞こえてきているのは明らかだったが、ほとんど身動きもしない彼女の後ろ姿からその気配を知ることは難しい。
私を含めた観客の多くは特に彼女のいる方向に向き直ることもなく、何とはなしに窓の方向を向いたままでいる。「舞台」には誰もいないが観客はそこに向き合っていて、言葉は客席から生み出されるようにして聞こえてくる。あるいはそれは私にだけ聞こえているのかもしれない、私の記憶の反芻でしかないのかもしれないと空想してみるが、上演が終わればその空想こそが現実で、そこには何も残らない。
終演後には新聞家のこれまでの公演と同じように「意見会」という場が設けられていた。当たり前だが、京都で初めて『フードコート』の上演に立ち会った観客にとっては「俳優が客席にいる」ことこそが作品にとって重要な要素に感じられたという話を聞き、いや、確かに東京公演でも彼女は窓に向き合っていたが、しかし俳優然として観客の前にいたのだという話をする。
そもそも公演全体の設えもかなり違っていた。京都公演の予約ページにも「2回観劇可」という記載はあった。しかし聞けばそもそも2回しかない公演の両方を観る予定だという観客はほとんどおらず(東京公演をすでに観たという観客の方が多かった)、村社としてもこちらでは必ずしも2回観なくてもよいというつもりだったらしい。吉田が客席にいたのは、東京公演とはまた異なるかたちで俳優のあり方と観客のそれを「近づける」ための試みだったのかもしれない。
新聞家の次の取り組みとして予告されている『保清』は2月23日から9日間にわたって開催される「オープンスタジオ」なのだという。ここにも同じ指向性を感じるがはたして。
公式サイト:https://sinbunka.com/
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2019/10/26(土)(山﨑健太)
Oeshiki Project ツアーパフォーマンス《BEAT》
会期:2019/10/16~2019/10/18
雑司ヶ谷 鬼子母神堂周辺[東京都]
東アジア文化都市2019豊島の一環として実施されたOeshiki Project ツアーパフォーマンス《BEAT》。参加者たちがやがて合流することになる「鬼子母神 御会式」は「享和・文化文政の頃から日蓮上人の忌日を中心とした、毎年10月16日から18日に行われている伝統行事」で、「当日は、白い和紙の花を一面に付けた、高さ3~4メートルの万灯を掲げて、団扇太鼓を叩きながら鬼子母神まで練り歩」くものだ。劇作家の石神夏希、中国出身のアーティストであるシャオ・クウ×ツウ・ハン、そして音楽ディレクターの清宮陵一らのチームは御会式連合会の協力のもと、多くの人を巻き込むツアーパフォーマンスをつくり上げた。
集合場所は西池袋公園。私はそれを東京芸術劇場のある池袋西口公園のことだと思い込んでいたので少々慌てたのだが、行ってみれば池袋西口公園からほど近くにあるごく普通の(やや広めの)公園に参加者たちが集まっている。月に数度は池袋を訪れるが、こんな公園があるとは知らなかった。受付で手持ちの太鼓とバチ、アンパンとミネラルウォーターのペットボトルが手渡される。
50人ほどの参加者はおよそ10人ずつに分かれて説明を聞く。参加者はまず、1人ないし2人ずつに分かれ、渡された地図をもとに「待ち合わせ場所」に向かう。そこで待っているのは「トランスナショナルな(国境を越えて生きる)市民パフォーマーたち」らしい。立教大学脇の路地でヴェトナムから来たシステムエンジニアのDさんと無事に落ち合った私は、太鼓の叩き方を習いながら次の会場へと導かれる。ホスト役はDさんだが、どうやら池袋については私の方が詳しいようだ。会話は日本語にときどき英語が混じる。
次の会場はビルの谷間の古民家、と呼ぶにはこざっぱりとはしているが風情のある一軒家。到着するとお茶がふるまわれる。私は蓮茶を選ぶ。Dさんによればヴェトナムではポピュラーなのだという。日本人好みの味なように思うが日本ではあまり飲めないらしい。参加者が揃ったところで「平舎(ひらや)」と呼ばれるその場所の来歴(池袋在住300年18代!)と、韓国でフラを教えているという在日コリアンの女性の話を聞く。参加者の何人かから募った言葉でフラをつくり(フラの振りは言葉と対応している)、みんなでそれを少しだけ踊ってみる。
平舎を出て次の会場へ。参加者+パフォーマーのおよそ20人で列をつくり、街中を練り歩きながら太鼓を叩く。参加者とパフォーマーとで異なるリズム。東京メトロ副都心線池袋駅改札のある地下通路を通り東口側へ抜ける。たどり着いた中池袋公園にはすでにほかのグループが揃っていた。グループごとにまた異なるリズムを披露したあと、その場にいたおよそ100人ほどが大きな輪になり、ぐるぐると回りながらともに太鼓を打ち鳴らす。そのまま大きな集団となってまた次の場所へと池袋の街を練り歩く。
御会式に合流する前に南池袋公園で小休止。フェスティバル/トーキョーの会場のひとつとして使われることもあり、私にとっては多少なりとも見覚えのある場所だ。聞けば、ここから先どうするのかはDさんも知らないらしい。考えてみれば当然のことだ。これから参加する「鬼子母神 御会式」は年に一度の本物の祭りなのだ。練習はできない。
都電荒川線都電雑司ヶ谷駅の近くまで移動し御会式連合会の方々から太鼓の叩き方のレクチャーを受ける。ヤキソバ、りんご飴、ケバブ、タピオカ、じゃがバター。屋台の並ぶ参道をゆっくりと練り歩く。お堂への参拝をクライマックスに、近くの集会所で各国のスナックをつまみチルアウトしてなんとなくの解散。Dさんとも別れ帰途につく。
4時間のなかで特に印象に残った場面が二つある。といってもそれはパフォーマンスとして用意された瞬間ではない。ひとつは中池袋公園でのこと。公園を占拠し、ぐるぐると回りながら太鼓を打ち鳴らす「私たち」の姿を多くの人がスマホで撮影していた。そのなかには海外からの観光客と思しき姿もあった。彼らは「私たち」をなんだと思っただろうか。それはその日初めて行なわれた、いわば「ニセモノ」の祭りだ。再開発されたばかりの真新しい中池袋公園に集ったヨソモノ同士の集まりも、はたから見れば地域の祭りと変わらなかったかもしれない。
もうひとつは御会式連合会の人の言葉だ。太鼓の叩き方をレクチャーしてくれたその人は「私たち」にこう言った。「東アジアの方はこちらへ」。これがけっこうな衝撃だったのは、まずもって自分が「東アジアの方」と呼ばれるとは思ってもいなかったからだということを白状しなければならない。もちろん日本は東アジアなのだから私をそう呼ぶことは正しい。そもそも《BEAT》は「東アジア文化都市2019豊島」の一環として実施された事業なのであって、「東アジアの方」という言葉はその参加者という意味で使われたのだろう。ならばその言葉を発したその人は「東アジアの方」ではない? さらに言えば、そこには東アジア以外の地域出身の人もいた。だがいずれにせよ、ひとたびお練りが始まってしまえば私たちはみな一緒くたになって太鼓を打ち鳴らすのだった。
ローカルであるとは、その場所にいるとはどういうことか。「鬼子母神 御会式」はもともと「日蓮聖人を供養するために行なわれる仏教の行事」だ。私は日本の東京の池袋の祭りに参加したつもりでいたのだが、そもそもは仏教も鬼子母神もインドに由来する。そうして縁はぐるぐる回っている。
公式サイト:https://www.beat-oeshiki.jp/
2019/10/16(水)(山﨑健太)