artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
アニッシュ・カプーア個展
会期:2016/09/09~2016/10/15
SCAIザ・バスハウス[東京都]
入って正面の壁にあるのが球体のミラー。左右を貫く穴が開いているのだが、それがどういう曲面をしているのか、妙な見え方をする。思わず手を入れて確かめたくなるが、「手を入れないでください」との注意書きが。壁のコーナーにも球体ミラーがあるが、これも中央が歪んでいて、どうなっているのやら。奥の部屋には建築的プロジェクトのマケットが4つ並んでいる。ひとつは立方体と球体が隣り合わせになり、立方体から球体の内部をのぞき、ひとつは球体の中心部まで通路が延び、中心から全方位を見る仕掛け。あと2つは上下左右に設けた楕円球の内部をのぞくようになっている。どれもが錯覚を用いたトリックアートと言えばそれまでだが、きわめて精度の高いので見惚れてしまう。
2016/10/07(金)(村田真)
ゴッホとゴーギャン展
会期:2016/10/08~2016/12/18
東京都美術館[東京都]
ゴッホとゴーギャン──。いまでこそ近代美術史に燦然と輝く巨匠だが、ふたりが出会ったころはどちらも売れない貧乏画家だった。彼らが南仏アルルで共同生活を始めたのも、生活費を浮かすためでもあった。でもその共同生活もわずか2カ月で破綻。例の「耳切り事件」でゴッホは精神に異常をきたし、身の危険を感じたゴーギャンはアルルを去ったからだ。ゴーギャンがタヒチへ旅立つのはその2年半後のこと。このふたりの共同生活は、ゴッホの伝記においては決定的な意味を持つが、ゴーギャンにとっては初期の1エピソードにすぎない。そもそも共同生活を提案し、熱烈にラブコールを送ったのはゴッホであり、終止符を打ったのもゴッホであって、ゴーギャンにとってはいい迷惑だったはず。そんなふたりの関係だから、この2人展も当然ゴッホに焦点が当てられ、ゴーギャンは脇役だ。ちなみに出品点数はゴッホ28点、ゴーギャン22点、その他18点(ミレー、ピサロ、ロートレック、セリュジエなど)となっている。
最大の見せ場はもちろんアルルでの共同生活の期間で、それを象徴するのがゴッホによる《ゴーギャンの椅子》だ。しかしそれ以外に、例えばゴーギャンによる《ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ》とか、ふたりが同じモチーフを描いた作品(ジヌー夫人やルーラン夫人の肖像、アリスカンの風景など)がないのが残念。いわばアリバイが少なく、説得力に欠けるのだ。と思ったら、晩年のゴーギャンの手になる《肘掛け椅子のひまわり》があった。これは共同生活から13年後、ゴッホの死から11年後、そしてみずからの死の2年前に、遠く南太平洋の島で描いたもの。ゴーギャンはなにを思ってこれを描いたのだろう。ほかにゴッホの《収穫》《オリーブ園》《刈り入れをする人のいる麦畑》《渓谷(レ・ペイルレ)》、ゴーギャンの《タヒチの3人》など見るべき作品は少なくない。
2016/10/07(金)(村田真)
新・今日の作家展2016 創造の場所─もの派から現代へ
会期:2016/09/22~2016/10/09
横浜市民ギャラリー[神奈川県]
1964年の開館から約40年にわたり現代美術の「いま」を示してきた横浜市民ギャラリーの「今日の作家展(今作)」。同展がもっとも影響力を持ったのは70-80年代で、90年代から徐々にフェイドアウトして、いつのまにか「ニューアート展」「ニューアート展NEXT」と無意味な変化を遂げて消滅。今年ようやく原点に戻ろうとしたのか、「新・今日の作家展」としてリスタートを切ることになった。そんなわけで記念すべき第1回は、70-80年代の「今作」を飾った「もの派」系の菅木志雄と榎倉康二を中心に、彼らのお父さん世代の斎藤義重、榎倉に学んだ池内晶子、菅に見出された鈴木孝幸という世代を超えた、理解も超えた人選。
斎藤と榎倉は物故作家なので旧作を展示。菅はコンクリートブロックを高さが異なるように矩形に並べ、上に木の板を渡したインスタレーション。無理にたとえればジェットコースターみたいな形状だ。うまいなと思うのは、床とブロックの色が同じで溶け合い、上に載せた板の肌色が美しく際立つこと。その隣の鈴木は海岸で拾ってきた数百もの廃材、貝、石、漁具などを床と壁に展示している。もの派というより、リチャード・ロングやトニー・クラッグらのイギリス彫刻に近い。池田は糸を使ったインスタレーションふたつ。ひとつは壁から4本の糸を出して中央でクモの糸のように絡め、中心に円形の穴を開けている。もうひとつは展示室の壁から壁へ数十本の糸を渡し、床から10センチほどの高さまで緩ませたもの。緊張感がたまんない。
2016/10/02(日)(村田真)
アジア・アートウィーク フォーラム「波紋─日本、マレーシア、インドネシア美術の20世紀」第2部
会期:2016/10/02
高架下スタジオ・サイトD集会場[神奈川県]
アジア・アートウィークの「波紋─日本、マレーシア、インドネシア美術の20世紀」と題するフォーラムの第2部には、インドネシアの歴史家アンタリクサと評論家の小野耕世が出演。どういう組み合わせかと思ったら、「小野佐世男と1940年代のインドネシア美術」というテーマを聞いて納得。アンタリクサは日本植民地時代におけるインドネシアの文化芸術の研究者で、小野耕世は戦時中インドネシアで絵を教えた佐世男の息子なのだ。第2次大戦で旧宗主国オランダを追い出してジャワ入りした日本人は、現地で歓迎され、「ジャワは天国、ビルマは地獄、ニューギニアは生きて帰れない」と言われたそうだ。そのジャワで佐世男は美術教育に携わり、壁画やアニメの技法も伝達、インドネシアに近代美術を根づかせた。戦後は多忙のためインドネシアでの話をすることもなく、耕世氏が中2のときに死去。耕世氏は涙ぐみながら「父が最良の仕事をしたのは戦中だったのではないか」と振り返る。表現の自由を規制され、多かれ少なかれ戦争協力を余儀なくされた画家たちのなかで、ほとんど唯一ハツラツと仕事ができたのは小野佐世男だけかもしれない。もうひとりいるとすれば、ぜんぜん違う意味で藤田嗣治だろう。
2016/10/02(日)(村田真)
黄金町バザール2016 アジア的生活
会期:2016/10/01~2016/11/06
黄金町+日の出町など[神奈川県]
韓国、中国、タイなどからのアーティストも交えて40作家以上が参加。2つだけ書いておきたい。ひとつは、渡辺篤の《あなたの傷を教えて下さい。》。インターネットを通じて心の傷を募り、円形のコンクリート板にその傷についてのコメントを書いて割り、金継ぎで修復する(傷を癒す)。例えば「女の子に生まれてしまった」「評論家にレイプされた。君がTwitterで暴露しても無駄だよと言われた」「私は愛していない人と結婚した。お互いに愛し合っていないから、罪の意識もない」とか。これらの作品もいいけど、会場となった「チョンの間」の壁を斜めに横切る線や、床にまき散らしたコンクリート片といったインスタレーションがすばらしい。もうひとつは、岡田裕子の《Right to Dry》。黄金スタジオの通路に数百枚の洗濯物を干している。ただそれだけ。「幸福の黄色いハンカチ」ならぬ「幸福の洗濯物」。こういうの好きだ。
2016/10/02(日)(村田真)