artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

河口龍夫 時間の位置

会期:2016/10/08~2016/11/26

川口市立アートギャラリー・アトリア[埼玉県]

さいたまトリエンナーレを見に行こうとしたが、電車に乗ったら気が変わって、美術館をハシゴすることに。トリエンナーレはまだ先までやってるし。まず訪れたのは、川口市のアトリアで開かれている「河口龍夫 時間の位置」。河口龍夫といえば、60年代から活動するベテランのなかでもっとも旺盛に発表し続けている現代美術家ではないだろうか。東近をはじめ主要な美術館を総ナメにしているといっても過言ではない河口が、なぜ美術館とも名乗らない川口市のアートギャラリーで個展を開くのかといえば、同じカワグチだからというわけではなく、彼の代表作のひとつ「DARK BOX」シリーズが関係しているらしい。「DARK BOX」とは真っ暗な空間で「闇」を封印した鉄の箱状の作品で、1975年に第1作が発表され、97年から毎年ひとつずつ制作されている。この鉄の箱を鋳造しているのが「キューポラのある町」(キューポラは鋳物の溶解炉)として知られる川口の鋳物屋であり、その新作をアトリアのある並木元町公園の地下に掘られた雨水地下調整池で制作する(つまり地下空間で「闇」を閉じ込める)ことになったのだ。だから新作《DARK BOX 2016》は、箱(鋳物)も中身(闇)も川口オリジナルというわけ。もっともこの箱、巨大な豆腐パックみたいな台形を向かい合わせに重ねた鉄の固まりで、もちろん内部は見えない。もし見ようとして開封したら闇は消えるので、いずれにしても「闇」は見えない(作者本人は「闇が見える」というが)。この《DARK BOX 2016》を中心に、ドローイングや関連資料も併せて展示。
ほかの部屋では、仕切られた箱状のプールにさまざまな時を刻む時計を浮かべた《漂う時間の時間》、虫や小動物の化石をフロッタージュした「石になった昆虫」や「石になった動物」シリーズなど、時間をテーマにした作品を手際よく紹介している。なかでも目を引いたのは「『陸と海』からの時相」シリーズで、これは波打ち際に板を置いて撮影した《陸と海》と題する写真の外側に、鉛筆で風景を描き加えたもの。《陸と海》は1970年に開かれた伝説的な国際展、東京ビエンナーレ70「人間と物質」に出品された初期の代表的作品であり、半世紀近くたって自作に加筆、いや自己批評したともいえる。いったいどういう心境だろう。

2016/11/12(土)(村田真)

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つくることは生きること 震災 《明日の神話》

会期:2016/10/22~2017/01/09

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

大災害に襲われたとき、アーティストになにができるのか。そのことが最初に問われたのは阪神淡路大震災のあとだった。その5年後の2000年、前年に開館したばかりの岡本太郎美術館は「その日に─5年後、77年後 震災・記憶・芸術」展を開いた(「77年後」とは関東大震災からの年月)。あれから16年、よりによって太郎生誕100年の年に起こった東日本大震災の5年後、同様の企画展を開くことになった。今度は想定外の原発事故が起こったため、核エネルギーのすさまじさを表現した太郎の巨大壁画《明日の神話》(下図)を中心にして。ここで「おや?」と思ったのは、朝日新聞にも書いたことだが(11/22夕刊)、原発事故に《明日の神話》とくれば、だれもが巨大壁画に原発事故の絵を付け加えたChim↑Pomを思い起こすはずなのに、出品作家にその名が見られないこと。ではだれが出品しているかというと、震災前から東北芸工大の教師と学生を中心に東北固有の絵画を追求している「東北画は可能か?」、津波でアトリエを流され、原発事故で家を追われた木彫家の安藤榮作、地元の被災地を淡々と撮り続ける写真家の平間至と映像作家の大久保愉伊、被災地に駆けつけアートで支援活動を行なう団体アーツフォーホープといった人たちだ。彼らの多くは東北出身か在住だが、震災に対しても原発事故に対しても声高に叫んだり批判したりすることなく、被災者に寄り添い、不気味といっていいほど静かにつくり続けている点で共通している。まさにタイトルのとおり「つくることは生きること」を実践しているのだ。

2016/11/10(木)(村田真)

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臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 禅─心をかたちに─

会期:2016/10/18~2016/11/27

東京国立博物館[東京都]

坊主と武将の絵と、禅僧の彫刻と書。見るからに辛気くさいものばかりだが、おっと目が止まったのが《南浦紹明像》という禅僧を描いた絵。顔料がはがれて下の絵が表われたんだろうが、目が4つ、口が2つのダブルイメージになっている! しかも顔以外はすぐ後に展示されてる《虚堂智愚像》とそっくり。着せ替え人形みたいに禅僧のフォーマットがあって、顔をすげ替えるだけで一丁上がりみたいな。日本の古美術にはこういうモダンアートにはないエグさがある。

2016/11/08(火)(村田真)

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友人作家が集う─石原悦郎追悼展“Le bal”Part2-scherzo

会期:2016/10/11~2016/11/12

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

今年2月に亡くなったギャラリスト石原悦郎氏の追悼展の2回目。石原さんが写真専門の画廊ツァイト・フォト・サロンを始めたのは、ぼくがぴあに入社して間もない1978年。以来とてもお世話になった。白状しちゃうと、ぼくがぴあを辞めるときにはアンフォルメルの画家ヴォルスの写真をいただいた。もちろんヴィンテージじゃあないけど、大切な宝だ。開館まもないパリのオルセー美術館でたまたまお会いしたときには、「軍資金」といって1万円札(あるいは100フラン札だったかも)をムリヤリ握らされた。豪快で、艶っぽくて、そしてインテリだった。こういうイカしたおやじは美術界にはもう現われないかもしれない。ここに出品されている荒木経惟と安齊重男の写真には、若き日の石原さんが写っている。今回は故人を偲ぶために何十人もの写真家が出品しているが、石原さんとは関係なく1点だけグッと刺さる作品があった。上半身裸で頭だけ画面外に出てるデブを撮った鷹野隆大の《立ち上がれキクオ》だ。

2016/11/08(火)(村田真)

『ニーゼと光のアトリエ』

会期:2016/12/17

[全国]

ブラジルの精神病院でまだ電気ショック療法やロボトミー手術が行なわれていた1940年代、女性医師ニーゼはさまざまな障害にぶつかりながら、患者に絵を描かせたりペットを飼育させることで彼らの心を少しずつ解放していくという、実話に基づいた映画。冒頭でニーゼが病院の鉄の扉をたたくが、なかなか応答がない。これが映画の内容を象徴していることにあとで気づく。彼女の前に鉄の扉として立ちふさがるのは白人の男性医師たち。対して患者は有色人種が多い。ここでは支配者と被抑圧者の構図が、医師/患者、男性/女性、白人/有色人種という2項対立でわかりやすく図式化されている。ここに陰気/陽気という2項対立を加えてもいいかもしれない。そもそもブラジル人は国民的に陽気なので、妨害もなんとか乗り越えられるし、ニーゼもクビにならずにやっていけるし、街の画廊で開いた患者たちの展覧会も成功裏に終わるってわけだ。陰気な日本ではこうはいくまい。最後に、年老いたニーゼへのインタビュー映像が出てくるが、本当に陽気なおばあちゃんだった。

2016/11/08(火)(村田真)