artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
潘逸舟「存在を支配するもの」
会期:2015/12/05~2015/12/20
高架下スタジオ Site-A ギャラリー[神奈川県]
部屋の中央に両面スクリーンを置き、両側から映像を投射している。映像は、海の浅瀬で椅子取りゲームをしているうちに潮が満ちてきて、徐々に水没していく様子を撮ったもの。その奥には、高さ1メートルくらいに低くした天井と床のあいだになにか支えがあって、よく見ると向かい合わせに立てた2台のスピーカーだった。また別の部屋には秤の上に秤を置いたり、3台の秤にそれぞれ茶碗を置き、秤と秤のあいだに箸を渡したりしている。70年代のコンセプチュアルアートの精度を上げたような印象。
2015/12/17(木)(村田真)
西野壮平「Action Drawing: Diorama Maps and New Work」
会期:2015/11/26~2016/01/17
IMA gallery[東京都]
西野は世界中の都市を歩き回って何千、何万枚ものモノクロ写真を撮り、それを切り貼りして地図のような巨大なコラージュ「Diorama Map」をつくる写真家。今回は2004年と2014年に制作した2点の「東京」と、新作の「ヨハネスブルグ」を展示し、会場では「ハバナ」も公開制作している。ほかに、自分が1日に移動した軌跡を白い線(点の連続)で表わした「Day Drawing」というシリーズも初公開しているが、こちらはプライベートな行動の記録にとどまり、「Diorama Map」ほどの視覚的インパクトもイマジネーションの広がりもない。「Diorama Map」のほうは、元になった写真がほとんどが高いビルから俯瞰する角度で撮られているので、つなげると斜め上から見下ろした鳥瞰風の地図となる。かつてデイヴィッド・ホックニーがハマっていた写真コラージュの拡大版と考えてもいいが、ホックニーのコラージュが1枚の画面のなかに異なる時間を組み込むことをもくろんでいたのに対し、こちらは10年を隔てた2点の東京のコラージュに時代の差が見てとれる。たとえば04年の東京駅は昔風だったのに、14年にはリニューアルされたとか(実は新しくなったのではなく、04年よりもっと昔の姿を復現した)、04年にはなかったスカイツリーが14年には建ってるとか。さらに実際に風景の変化もさることながら、04年には無機的だった都市風景が、14年には人の姿や看板の文字など微視的・地上的モチーフが組み込まれ、生活感すら感じさせている。これは作者の都市観の変化の表われかもしれない。
2015/12/16(水)(村田真)
センシュアス・ストラクチュアズ──官能的な構造のために
会期:2015/12/09~2015/12/20
東京都美術館ギャラリーA[東京都]
都美の企画公募で選ばれた4人のグループ展。メンバーは市川裕司、酒井祐二、佐藤裕一郎、篠崎英介で、うち3人は日本画、ひとりは建築という構成。これはけっこうスゴイ。なにがスゴイかって、4人であの巨大な展示空間を過不足なく埋めていること。作品点数でいえば(数え方にもよるが)わずか8点しかないのにだ。いちばんでかいのは林立する樹木を描いた佐藤の《森眠る》で、高さ4.6メートル、全長なんと18.2メートルある。原寸大の静物画や人物画なら珍しくないが、これは前代未聞の原寸大の風景画。裏を見ると角材を組んでしっかり固定している。ほかに、十字形に角材を組んだり、アルミ箔を貼った数百個ものリンゴ型の球体を床に散りばめたり、高さ5メートルの墨絵を2点壁に展示したり、悪いけど大きさにばかり感心してしまった。
2015/12/11(金)(村田真)
青木野枝 Plasmolysis
会期:2015/12/05~2016/01/16
ギャラリーハシモト[東京都]
彫刻家による版画展。タイトルの「プラズモリシス」とは、植物細胞において細胞壁と細胞膜が分離する現象のことで、「原形質分離」ともいうそうだ。なんのことかさっぱりわからないが、最近の彫刻シリーズ「プロトプラズム(原形質)」と関連しているらしい。実際ヒトデや細胞の集まりみたいな有機的形態はいかにも「原形質」っぽい。ほかにもひとまわり小さい「桃符」シリーズもあって、こちらはカラフルでより軽快な木版画。
2015/12/10(木)(村田真)
被爆70年祈念連携プロジェクト 岡部昌生「被爆樹に触れて」
会期:2015/11/30~2015/12/05
トキ・アートスペース[東京都]
広島、沖縄、名古屋、福島、札幌を巡回してきた展覧会で、広島と福島で被爆した樹木の表皮をフロッタージュした作品を展示している。フロッタージュとはある意味、対象の上っ面しか写し取らない内実を欠いた技法といえるが、岡部は逆にその対象が抱え込んでる意味を伝えるための手段としてフロッタージュを用いる。被爆樹だったら現在の表皮だけでなく、その下に隠されている被爆した事実と現在までの歴史をもあぶり出そうとする。だから岡部の作品には言葉が重要になってくる。フロッタージュには採集場所や木の種類などのメモが記され、各展覧会場ではゲストを呼んでトークショーを開くといったように。そのため彼の作品=活動は近年はますます重く、求道的にすらなってきている。このまま行くと「美術」を踏み外してしまうんじゃないかと思うくらいに。
2015/12/05(土)(村田真)