artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
鎌谷鉄太郎「ヒューマンパラダイス ポートレイト」
会期:2016/02/12~2016/03/02
ギャラリーセラー[東京都]
目、鼻、口、乳房など人体の画像の一部を切り貼りしたコラージュ。もあるが、コラージュの上から描いたり、コラージュのように描いたりした作品もある。タイトルの「ヒューマンパラダイス ポートレート」とは、ネット空間と現実空間の交錯したヴァーチャルな世界に生きる未来の人間の肖像画。というとわかったような、わかんないような。でもわかったのは、いうほどヴァーチャルではなくアナログだということ。
2016/02/19(金)(村田真)
ジョルジョ・モランディ展──終わりなき変奏
会期:2016/02/20~2016/04/10
東京ステーションギャラリー[東京都]
モランディって地味な静物画ばっかり描くちょっと変わった画家くらいにしか認識してなかったので、同じような静物画が並ぶであろう回顧展にはあまり行く気もしなかったが、逆に似たような作品ばっかり並ぶ回顧展というのもおもしろいんじゃないかみたいな好奇心も湧いてきて、行ってみることにした。モランディは前回のドクメンタでも取り上げられていたし、岡田温司も書いてるし。で、見てみたら、静物画だけでなく風景画も描いてたが、それがまるで静物画みたいな風景画で、しかも静物画自体も予想以上にヴァリエーションに乏しく、それを第1次大戦が終わるころから1964年に世を去るまで半世紀にわたり、生まれ故郷のボローニャに腰を据えて延々と描き続けたのだから、もうそれだけで脱帽だ。たしかに個々の作品を見ると、色彩と形態や地と図の関係をあれこれ試しているのがわかって見飽きることがないが、でもだからといって壷の位置をちょっと変えたり、器の数をひとつ増やしたり減らしたりするだけで、50年もの年月を費やすことに耐えられるだろうか。しかしその一方で、逆にモランディの態度こそ画家として至極真っ当ではないかとも思えてくる。画家が一生のあいだにできることなんて限られたものでしかないのだから。そんな余計なことまで考えちまう展覧会でした。
2016/02/19(金)(村田真)
試写『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』
2013年10月、ストリートアーティストのバンクシーがニューヨークの路上で毎日1点ずつ作品を公開した。その“狂乱”の1カ月を追ったドキュメンタリー。狂乱というのはこの映画を見る限り大げさではない。作品の場所は明かさず公式サイトに投稿するだけなので、人々はそれを頼りにニューヨーク中を探しまわるしかない。その作品はグラフィティあり、スフィンクスの彫刻あり、家畜のぬいぐるみを乗せたトラックあり(肉屋の前で停まる)、売り絵の露天商あり(バンクシー自身の絵がたった60ドルで売られているが、だれも気づかない)、ショーウィンドウの絵に加筆したものありと予想がつかない。しかもそれを見に行ったり写真に撮ったりするだけでなく、消すヤツ、復元するヤツ、上書きするヤツ、盗むヤツ、転売するヤツ、ボール紙で隠して金を取って見せるヤツ、金を払って見るヤツ……と反応も千差万別、もうお祭り騒ぎなのだ。でもそれもバンクシーにとっては想定内。人々が右往左往する狂乱ぶりもバンクシーのストリートアートの一部なのだ。
2016/02/18(木)(村田真)
ワンダーシード2016
会期:2016/02/13~2016/03/20
トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]
83人の小品が並ぶ。始まったばかりなのでまだ半分くらいしか売れてないが、どんな絵が売れて、どんな絵が売れ残ってるかがよくわかる。売れてるのは丁寧に描き込まれた具象画で、色がきれいで物語性のあるもの。売れてないのはラフなタッチの抽象画で、具象でも色が少なかったり暗かったりするものは売れない。まあそんなところだろう。個人的にちょっとほしくなったのは、風景を思わせる半抽象画の田中里奈と、コップらしき円筒形をサラリと描いた阿部彩葉子の2点くらい。こういうドングリの背比べみたいな展覧会を見ると、どういう絵が好きなのか、自分の趣味がわかってくる。
2016/02/16(火)(村田真)
第19回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展
会期:2016/02/03~2016/04/10
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
この賞は岡本太郎の名を冠してるせいか、よくも悪くも目立ったもん勝ちなところがあって毎回楽しませてもらってるが、今年も目立ちゃあいいドハデな作品が多数入選した。岡本太郎賞の三宅感《青空があるでしょう》はその最たるもので、紙粘土や発泡スチロールなどを使った巨大なレリーフを7枚並べて見る者を圧倒。その巨大さの一方、意外に細部までつくり込まれていて、これはたしかに「よくがんばりました賞」だが、それ以上ではない。まあ造形的にも色彩的にもアナクロなハリボテ感も岡本太郎的ではあるけどね。岡本敏子賞の折原智江《ミス煎餅》は、「折原家之墓」を墓石から卒塔婆まで煎餅でつくって中央のガラス張りの空間に建立したもの。煎餅屋に生まれた自己のアイデンティティをやや自嘲気味に表わしてるんだろうけど、なにがいいんだかよくわからない。ただ煎餅屋の娘が多摩美の陶芸を出て藝大の先端にいること自体には興味があるし、今後なにをつくっていくか楽しみではある。今回いちばん強烈で印象に残ったのは、特別賞の笹岡由梨子《Atem》だ。壁3面を深紅の幕で覆い、左右に円形の絵を掲げ、正面にスクリーン、その上に「いきおう」と書かれたネオン、手前にはなぜかプールを据えている。スクリーンには下ぶくれのキモかわいい子供がプールの前で人形遊びをしている映像が流れ、ときおり映像にシンクロして手前のプールが泡立ったりする。映像のなかの子供の表情(作者自身の顔らしい)はなぜか古い記憶をくすぐり、昔風の歌声は妙に耳にこびりつき、クセになりそう。作者はなにか悪いクスリでもやってんじゃないかと思うほどキマってる。ちょっと動揺した。これとは正反対にきわめて地味ながら、それゆえに記憶に残ったのが横山奈美の絵画だ。200号大の縦長の画面にほぼモノクロームで中折れした円筒形を描いたもの。初めなんだろうと思ったが、見てるうちにトイレットペーパーの芯だと気づいた。こんなとるにたらないどうでもいいものを、どうでもいいもののなかでも一番どうでもいいようなものを、バロック絵画よろしく大画面に油彩で描き出してみせる。これはよっぽどの確信というか、覚悟がなければできないことだ。勝手に村田真賞だ。
2016/02/16(火)(村田真)