artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

末永史尚「ミュージアムピース」

会期:2014/08/01~2014/09/28

愛知県美術館[愛知県]

アーティストと学芸員が協同してつくっていく「APMoAプロジェクト・アーチ」の第11弾。壁に絵画が10点ほど展示されている。が、画面の周縁に額縁が描かれてるだけで、内部はモノクロームに塗り込められている。つまり「絵」のない絵。これらは愛知県美術館のコレクションから選んだ絵画を原寸大で(額縁または表装だけ)模写したもの。模写といっても精密ではなく、かなり大ざっぱだが。その脇にはこれも色面だけの小さなプレートがついている。テーブルにはストライプ模様の立体が置いてあるが、これはカタログの束を表わしているらしい。ほかにも作品を運ぶ段ボール箱、スポットライトなども手づくり感たっぷりに再現されている。これはおもしろい。絵画そのものではなくその周囲にあるものをクローズアップすることで、逆に絵画の本質を浮かび上がらせようとする試みといってもいい。作品はこの展示室だけでなく、美術館エントランスの掲示板にも続いてる。この掲示板に貼られていた展覧会ポスターの一部を撮った写真を再びポスターに仕立て、もういちど掲示板に貼るというもの。こういう自己言及的な作品をおもしろがる人って、けっこう自意識過剰な人間が多いんじゃないか。

2014/09/26(金)(村田真)

これからの写真

会期:2014/08/01~2014/09/28

愛知県美術館[愛知県]

鷹野隆大のヌード写真に「ワイセツ」の嫌疑がかかり、該当部分を布で覆ったという報道がなければ見に行かなかっただろう写真展。でも実際に見に行ったら、畠山直哉、鈴木崇、新井卓……と序盤だけでもこれはなかなか直球勝負の、まさに「これからの写真」を示唆する企画展であることに気づく。畠山は震災後の被災地風景ではなく、それ以前のダイナマイトで鉱山を吹き飛ばす瞬間を捉えた「発破写真」。シャッタースピードといい危険性といい、モチーフ的にも技術的にも人間が撮る写真の限界を示している。鈴木はカラフルな台所用のスポンジをさまざまに組み合わせて撮った写真を小さなパネルに張り、壁に整然と配列。1点1点がタブローのようにフェティシズムを刺激する一方、全体で抽象的なパターンを構成している。新井は第五福竜丸をはじめ被爆をモチーフにした銀板写真のほか、展示室の中央に3連の銀板写真二組を向かい合わせに置いた。これは暗くてよくわからなかったが、いきなり頭上の照明がパッと輝き、広島の爆心地とアメリカの核実験場の写真であることが理解される。なんとストレートな。以下もそれぞれ写真の枠組みや限界を超えるような作品が続き(田村友一郎などは「写真」らしきものすらない)、かなり見ごたえがあった。で、鷹野隆大の写真だが、性器が写ってるらしい何点かには紙が被せられ、大きな1点は布で下半分がおおわれていた。作品を撤去せず、局部だけを隠すこともせず、画面の下半分を布でおおい隠すことで決着したのは、黒田清輝の有名な「腰巻き事件」を思い起こしてもらうためだろう。1901年に白馬会に出した黒田の《裸体婦人像》が「ワイセツ」とされ、同じように腰から下を布でおおわれた事件のことで、現在では近代日本の文化の後進性を示す例として笑いぐさになっているのだ。鷹野はいたずらに対決姿勢をあらわにすることなく、美術史を参照しつつ皮肉とユーモアを利かせて対処した。決着方法としては最良の選択だと思う。

2014/09/26(金)(村田真)

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チューリヒ美術館展─印象派からシュルレアリスムまで

会期:2014/09/25~2014/12/15

国立新美術館[東京都]

今年は日本とスイスの国交樹立150周年を記念してスイス関係の展覧会が次々と開かれてきたが、「チューリヒ美術館展」はその集大成ともいうべきもの。スイスはドイツ、フランス、イタリアという大国に囲まれてるせいか、文化も国民性も一筋縄ではいかない。芸術家も、今年紹介されたバルテュス、ヴァロットン、ホドラーと異色の画家たちを輩出しているし、小国とはいえ、あなどれない国なのだ。同展の目玉は、モネの大作《睡蓮の池、夕暮れ》で、ほかにもドガ、セザンヌらも出ているから、上のフロアでやってる「オルセー美術館展」と合わせて見るといいかも。でもなんといっても興味深いのは、数点ずつ出ているセガンティーニ、ホドラー、ヴァロットンらスイスの画家たちだ。セガンティーニはイタリア生まれだが、アルプスの風景を幻想的に描き出したことで知られる。その明るい描写は印象派に近いが、細かいタッチを重ねていく描法は点描派ともいえるし、神秘主義的な物語性を感じさせる点では象徴主義ともいえる。そのとらえどころのなさがなんともいえない魅力だ。ホドラーはもう国立西洋美術館で回顧展が始まってるはずだが、ちょっと心を病んでいるんじゃないかってくらい左右対称の画面に固執した画家で、6点も出品している。回顧展のほうも楽しみだ。先月まで三菱一号館でやっていたヴァロットンも4点あって、淫靡な雰囲気の漂う室内画や女性ヌード、大胆な構図の風景画などよく似た作品が出ているが、海景を左右対称に描いた《日没、ヴィレルヴィル》などはホドラーそっくり。ほかにもクレーやジャコメッティなどスイス出身者が出ていて、独自の美学を開陳している。

2014/09/24(水)(村田真)

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フィオナ・タン まなざしの詩学

会期:2014/07/19~2014/09/23

東京都写真美術館[東京都]

時間がないのに最終日に駆け込んだ理由はただひとつ、ロンドンのサー・ジョン・ソーン美術館を撮った映像が出ていると聞いたからだ。だからほかの作品は飛ばしてその作品《インヴェントリー》しか見なかった。ジョン・ソーンは18-19世紀の建築家で、収集した絵画や彫刻、建築の断片やレプリカを自宅の壁にびっしり並べ、一種の迷宮世界を築いているのだ。フィオナ・タンはその美術館に6種のフィルムやビデオなど異なるカメラを持ち込んで撮影し、サイズの異なる6面スクリーンに重層的な世界を映し出す。でももっと奥深い迷宮をのぞいてみたかったなあ。

2014/09/23(火)(村田真)

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せいのもとで

会期:2014/09/05~2014/10/12

資生堂ギャラリー[東京都]

性の下で? 精飲もと出? 意味不明のタイトルは、資生堂の社名が易経にある「万物資生」から採られたものであることを踏まえ、ゲストキュレーターの須田悦弘がこれを「生の元手」と読み替えたもの。このテーマに沿って須田のほか、銀閣慈照寺の花方である珠寶、染色家の志村ふくみ・洋子、宮島達男、クリスティアーネ・レーアらが新作を出している。さて須田の作品はどこだろうと見渡すと、受付に花が。これだけじゃないだろうと探したら、なんと入口に掲げられた花椿マークを彫っていた。たしかに花だけど。このギャラリーができた1919年に発売された化粧品「海綿白粉」も出品されて、なんだ資生堂の宣伝かよってな感じ。

2014/09/20(土)(村田真)

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