artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

ザハ・ハディド

会期:2014/10/18~2014/12/23

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

ザハ・ハディドって、語感からしてなんかソリッドでスピード感あふれる名前だと思うのは、作品を知ってるからだろうか。いや、作品を知らなくてもタダゴトではない響きがあるんじゃないかと思う。実際タダゴトじゃないんだけど。なにしろイラク出身の女性建築家というだけでタダゴトではない。さぞかし逆風が吹いたであろうことは、彼女の設計案がなかなか実現されず「アンビルトの女王」と揶揄されていたことからもうかがえよう。でもそういってしまうと彼女を過小評価することになる。なぜなら彼女が受け入れられなかったのは出自によるものではなく(たぶん)、奇抜きわまりないそのデザインによるところが大きいからだ。そのドローイングを見ると、ガラスの破片が飛び散ったような破壊的イメージや、UFOを思わせる流線型を多用した超未来的形態など、ある種の人たちの「萌え」は誘発するけれど、あえて建つことを拒否してるんじゃないかと思わせるような挑発的なプランばかり。でも恐ろしいことに20年ほど前から少しずつ建ち始め、ここ10年ほどは世界中から引っ張りダコになっているのだ。技術的にも趣味的にも時代が追いついてきたというべきなのか。東京でも神宮外苑の新国立競技場のコンペに勝ったものの、あまりに景観や歴史的文脈を無視した巨大さと奇怪なデザインに、建築家からも反対の声が上がったことは記憶に新しい。その新国立競技場案を含め、30年におよぶ仕事をドローイングや設計図、マケットなどの出展。展示がすでにインスタレーションになっている。それにしても10年間に1件も建てられなくても妥協しないって、ふつうできないですよそんなこと。

2014/10/14(火)(村田真)

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印刷と美術のあいだ──キヨッソーネとフォンタネージと明治の日本

会期:2014/10/18~2015/01/12

印刷博物館[東京都]

明治初期の日本の美術に大きな足跡を残したふたりの「お雇い外国人」、キヨッソーネとフォンタネージに焦点を当てた興味深い展覧会。ただし印刷博物館でやるので印刷(版画)がメインの展示になっている。キヨッソーネは紙幣印刷の技術を指導しに明治8(1875)年に来日、大蔵省に勤務し、エングレーヴィングによる精密な紙幣の原版制作と後進の指導に努めた。一方フォンタネージは翌9年に来日し、日本初の美術学校である工部美術学校の画学の教師に就任。この学校は文部省ではなく工部省の管轄だったことからもわかるように、実用的な技術者養成を目的としていた。実際には浅井忠、五姓田義松、小山正太郎、高橋源吉(由一の息子)ら黒田清輝以前の明治美術を担った画家を輩出したが、しかし生徒のなかには印刷局から派遣されて図学を学んだ人たちもいたという。フォンタネージは体調を崩してわずか2年で帰国したが、6年の任期をまっとうしていたらどこまで教え、生徒たちもどこまで伸びただろう。日本の近代美術は大きく変わっていたかもしれないな。展示は、キヨッソーネが来日前に手がけた金壱円券から、日本で制作した紙幣、切手、印紙、株券、大久保利通や木戸孝允、明治天皇像まで、またフォンタネージは、本人が描いた風景の写生と生徒の模写、フォンタネージがスイス亡命時代に手がけたリトグラフ、生徒たちのおもに印刷メディアに載った作品などさまざま。でもキヨッソーネはいいとして、このテーマでフォンタネージを持ってくるのはちょっと無理があるような。

2014/10/14(火)(村田真)

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日本国宝展

会期:2014/10/11~2014/12/14

東京国立博物館[東京都]

紀元前3000-2000年の土偶から18-19世紀の琉球の衣装まで100点以上の出展(うち半数以上は展示替え)。特別出品の正倉院宝物(国宝指定の対象外)を除いてすべて国宝というからスゴイ。てか、さすがに平安時代の仏画や絵巻物は年季入ってるだけにスゴイと思うけど、あとはどこがスゴイのかよくわからない。最後のほうにあった高さ5メートルを超す元興寺極楽坊五重小塔は、美術品ではなく建造物の国宝。なのに持ってきちゃったっていう意味でスゴイ。あ、もうひとつスゴイのがあった。《一字蓮台法華経 普賢菩薩勧発品》という平安時代のお経で、一文字一文字の下に蓮華が描かれているのだ。文字を蓮華の上に載せるというのは、当時それだけ言葉というものが実体感をともなっていたことの証だろう。スゴイというよりちょっとコワイ。ミュージアムショップでは、5体の土偶をかたどった「土偶ビスケット」とか、粒チョコのなかに縄文のヴィーナス型のチョコが埋もれてる「発掘チョコレート」とか、国宝を食っちゃうお土産も販売。

2014/10/14(火)(村田真)

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ウフィツィ美術館展──黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで

会期:2014/10/11~2014/12/14

東京都美術館[東京都]

15世紀のギルランダイオからペルジーノ、ボッティチェリ、16世紀のブロンヅィーノ、ヴァザーリまで、意地悪な言い方をすれば3大巨匠を欠いたルネサンス絵画展。まあ3大巨匠は昨年日本に来たし(もちろん代表作は来なかったけど)、それ以前と以後を見比べるにはいい機会だ。実際、初期の無表情な硬い人間像と、後期の動きと喜怒哀楽のある人物表現の違いは、まるで使用前・使用後のようだ。これはたんにスタイルの違いというだけでなく、初期のテンペラやフレスコ画と後期の油彩という画材の違いも大きいだろう。もうひとつ、額縁にも注目すると、初期は画面と一体化したものや、祭壇画のように額縁込みで作品と見なせるものが多かったのに、後期になると現在のタブローと同じく交換可能な額縁がつけられるようになる。絵画としての自立の一歩だ。

2014/10/10(金)(村田真)

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黄金町バザール2014

会期:2014/08/01~2014/11/03

日ノ出町・黄金町界隈[神奈川県]

黄金町の文化的活性化を目指して2008年からスタートした、ヨコトリの連携プログラムのひとつ。今回は「仮想のコミュニティ・アジア」をテーマに、内外38組のアーティストが参加している。今日は午前11時からキュレータの原万希子さんとともに作品を見て回るツアーに参加する予定だったが、台風接近のため中止となり、室内で解説を聞く。作品を見る前に解説は聞きたくなかったけど、せっかくだから聞いてみた。なわけで、今回のぼくのテーマは「解説を聞いてから見るのと聞かないで見るのとでは作品がどのように違って見えるか」。まず、解説を聞かなきゃ理解できなかったものに、インドネシアの民主化運動のプチ記念館をつくったヤヤ・スン、ベトナムで人気のサトウキビジュースのキャラクターのルーツをリサーチしたライヤー・ベンらの作品がある。これらはその国の歴史や社会を知らなければ作品だけ見てもチンプンカンプンだ。次に、解説を聞こうが聞くまいがたいして変わらないものに、廃車やカラスの剥製などを組み合わせてインスタレーションしたフィリピンのポール・モンドック、黄金町で活動するイケメンの画家、彫刻家、写真家たちを仮想描写し、彼らとロールプレイングゲームを展開する木村了子らの作品がある。モンドックの作品には説明不能な不気味さがあるので、解説がなくても見ればわかる(見なければわからない)し、木村はコンセプトもプレゼンも明快なので解説がなくても伝わるからだ。逆に、解説はおもしろそうだったのに期待はずれだったのが、勇気のないライオンと知恵のないカカシと心のないブリキの木こりの着ぐるみを交換していくという、日中韓のアーティストによる西京人、さまざまな意味や象徴性をもつ「馬が近づいてくる音」を表現した地主麻衣子らの作品だ。これらは解説だけ聞くと最高におもしろそうだったが、期待を膨らませすぎたせいか実際の作品とのあいだにギャップが生じた。最後に、解説を聞かないほうがよかったものに、当初のプランが実現できず、結果的になにもない空っぽのスタジオを公開することになった太湯雅晴の作品がある。いや、この場合「作品がない」というべきか。これは彼の沈黙による抗議の意思表明であるかもしれないが、そんな裏事情を払拭するほど空っぽのスタジオはインパクトがあった。結論、やっぱ作品を見る前に解説を聞かないほうがいい。

2014/10/05(日)(村田真)

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