artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
木村了子 展「化身 be your animal」
会期:2014/10/22~2014/11/16
トラウマリス[東京都]
日本画で美人画ならぬイケメン画を描く画家。黄金町バザールではイケメン芸術家像を出していたが、ここではトラ、ウサギ、リス、龍、鳳凰などの化身となった「半鳥獣系男子」がテーマ。ディテールを見ると、若冲や蕭白を思わせる部分もあって楽しい。サーフボード代わりにワニに乗った全裸のイケメンもいれば、ひとり酒を飲んでたり料理したりするイケメンもいる。日本画に新たなジャンルを開くか。
2014/11/05(水)(村田真)
北山義夫展「宇宙図」
会期:2014/10/18~2014/11/16
MEM[東京都]
高さ2メートルほどの縦長の紙をちっちゃな○と・で埋め尽くしている。ただ機械的に埋めていくのではなく、手描きで粗密や濃淡をつけながら打っていき、ときに渦を巻いたりするため、あるものは星座のように見えたり、また別のものは水や砂などの流動体のように見えたりもする。1枚でおそらく数十万粒はあろうかというこの小さい丸は、星であると同時に素粒子でもあり、一粒一粒を描いていく厖大な時間をも表わしているようだ。たしかに気の遠くなるような作業だが、でも考えてみれば1枚描くのに何年もかかってないはず。日々の生活からすれば厖大な時間でも、宇宙から見ればあっという間。なのに、たかだか2×1.5メートルほどの紙の上で日常から隔絶した天文学的時空を感じさせてしまう。
2014/11/05(水)(村田真)
山本渉「欲望の形 器の濃き影」
会期:2014/10/31~2014/12/07
NADiff a/p/a/r/t[東京都]
カール・ブロスフェルトの植物写真を思わせるモノクローム写真。しかし植物にしちゃあ不自然なかたちもあるし、しかもどれもどことなく男根を思わせ、タイトルともどもなにか淫靡なオーラを放ってるなあ。と思ったら、実はこれ、男性用自慰道具オナホールの内部に石膏を流し込んで型取りした突起物を撮影したものだった。オナホールは使ったことがないというか、そんなものが商品化されてることすら知らなかったけど、こんなにヴァリエーションに富んでいるとは驚きだ。実際にヴァギナに石膏を流し入れて型取りしてもこんなに多様じゃないだろう。待てよ、それで女性用自慰道具をつくったらぴったりハマるはず。ぴったりハマりすぎて気持ちよくならないか。話がそれましたなあ。
2014/11/05(水)(村田真)
フジタのいる街角──巴里の誘惑、1910-30年代
会期:2014/10/25~2014/12/07
目黒区美術館[東京都]
「海外で学んだ画家たちとその作品」を収集方針のひとつに掲げてきた目黒区美術館の、所蔵品でたどる「パリの日本人」の第1部。藤田嗣治を中心に、藤田以前の安井曾太郎、梅原龍三郎から山口薫、村井正誠あたりまで、戦前に渡仏した画家たち75人の作品・資料を展示している。肝腎の藤田は素描や水彩が大半で、パリで絶大な人気を博した「乳白色」が見られないのが残念だが、それでも西洋に追随したほかの画家たちと比べれば一頭地を抜いてるなあ。藤田がパリで学んだのは「西洋並み」の美術ではなく、西洋でもなければ日本でもないまったく新しい美学だったはず。ところが藤田以後になると、その藤田のエピゴーネンまで出てきて、いったいなにしにフランスまで行ったのかと考えてしまう。同時に展示されていた大きな旅行用トランクや、欧州経路の汽船のチケットや食事のメニューなどを見ると、よほど裕福な家柄でないと留学できなかったことがわかる。それだけの犠牲を払い、数年間滞在して、日本に持ち帰ったものが「フランス帰り」の肩書きだけだったとしたら哀しい。ついでにいうと、これらの画家のなかには藤田をはじめ伊原宇三郎、清水登之、中村研一ら第2次大戦中に戦争画で名を馳せた人たちが何人もいる。国際的視野を身につけたはずの彼らがなぜ戦争画に走ったのか、興味深いところだ。
2014/11/05(水)(村田真)
赤瀬川原平の芸術原論展──1960年代から現在まで
会期:2014/10/28~2014/12/23
千葉市美術館[千葉県]
訃報の2日後に始まった大回顧展。初期の油絵から読売アンデパンダン、ネオ・ダダ、ハイレッド・センター、模型千円札までの前衛芸術を経て、超芸術トマソン、路上観察学会、ライカ同盟、老人力まで、約半世紀の活動から500点を超える作品・資料を集めている。これを見ると希代の芸術家にして趣味人、赤瀬川原平の全体とまではいかなくてもその輪郭がわかるし、そこに日本の前衛芸術の縮図を見ることができるような気もする。たとえば《宇宙の梱包》。梱包作品をつくってるうちに、このままだと包むものがどんどん大きくなり、しまいに宇宙まで包まなければならなくなると考え、カニ缶を買って中身を食べ、ラベルを内側に貼り替えて内外を逆転させたという代物。同じ梱包芸術でも半世紀以上にわたって愚直に巨大化させていったクリストとは対照的に、プロセスをすっ飛ばしていきなり結論を出してしまったわけだ。明解ではあるが、「芸術」との悪戦格闘を避け、いわばトンチで解決してしまったといえなくもない。こういう逆転の発想は、路上の無意味なものに意味を見出す「超芸術トマソン」や、心身の衰えをプラスに転化する「老人力」にも生かされている。いや待てよ、高松次郎の「影」や「単体」シリーズも、河原温の「日付絵画」シリーズも、関根伸夫の「位相─大地」も、日本の前衛芸術のすべてとはいわないまでも相当な数はトンチの発想じゃないか、とさえ思えてくるのだ。ところが美術界ではトンチが利いても、まったく通じない世界もあった。司法だ。「千円札裁判」は無粋なことに、前衛芸術におけるトンチの魔法を解いてしまったのだ。以後、赤瀬川は前衛芸術の一線から降りてしまう。でもそれ以降の活動のほうがよっぽどポピュラリティに富んでいたけどね。
2014/11/01(土)(村田真)