artscapeレビュー

北井一夫「過激派の時代」

2021年10月01日号

会期:2021/09/07~2021/09/28

Yumiko Chiba Associates (viewing room shinjuku)[東京都]

1960年代の学生運動を記録した北井一夫の写真展。昨年出版された写真集『過激派の時代』の重版記念でもある。こういう社会運動を記録した写真集が重版になるのは珍しいのではないか。層の厚い団塊の世代がノスタルジーに浸るために買うのだろうか。コロナ禍でほかにやることないし。

会場には学生のデモや過激派のアジトを撮ったモノクロ写真が並ぶ。学生運動とか過激派とか、ぼくはちょっと前の(つまり現在と地続きの)話だと思っていたが、これを見て「ちょっと前」どころではなく、すでに半世紀以上も昔の、もはや歴史化された(つまり現在とは断絶した)出来事になっていたことに気づいて愕然とした。これが「歳をとる」ということなんだろうけど、それはともかく、現在と断絶していると思ったのは、写っている街の風景や彼らの着ている服、メガネ、ヘアスタイルが現在とかけ離れているからだ。そして、唐突かもしれないが、ブレたりボケたりするモノクロプリントが、中平卓馬や森山大道のそれを想起させたからでもある。当時、もちろんカラープリントはあったし、『過激派の時代』の写真集にもカラーは何点か載っているけれど、パラッと見た限り街の様子を写したものだけで、デモの写真はすべてモノクロだった。

どうもぼくには、こうしたドキュメント写真はモノクロでなきゃいけないという先入観みたいなものがあり、多少ブレ・ボケがあるくらいがふさわしいと思い込んでいる。それはひとつには、過激派の活動は動きが激しく、夜に行なわれることも多いので、アレた写真しか撮れないからだ。そしてもうひとつ気づいたのは、中平や森山のアレ・ブレ・ボケのモノクロ写真がこの過激派の季節とぴったりシンクロしていたこと。過激派に限らずドキュメント写真や報道写真が中平らに影響を与えることはあったとしても、その逆はないはずだ。だけど、彼らのアレ・ブレ・ボケの表現が逆に、過激派を写した北井の写真に対するぼくらの見方に影響を与えた可能性はあるだろう。ぼくは北井の写真を見ながら、直接知ってるわけでもないあの『プロヴォーク』の時代の視覚を追体験していたのかもしれない。

写真:「過激派」1968/2008[© Kazuo Kitai, Courtesy of Yumiko Chiba Associates]

2021/09/15(水)(村田真)

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