artscapeレビュー
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
2019年05月15日号
会期:2019/04/24~2019/08/05
国立新美術館[東京都]
都美の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」の主役が画家クリムトなら、こちら「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の主役は、クリムトの名がタイトルに入ってはいるものの、やっぱりウィーンという都市でしょうね。出品物もほぼすべてウィーン・ミュージアムから借りたものなので、クリムトの絵を期待して行くとがっかりするかもしれない。なにしろ前半は時代遅れの田舎臭い絵画や工芸がこれでもかと並び、なかなかクリムトにたどり着けないからだ。まあ、ウィーンという都市自体がヨーロッパの端っこにあるもんだから、田舎臭いのは仕方ないか。
いくつか妙な絵もあった。マリア・テレジアの肖像画の額縁の上部に、息子ヨーゼフ2世の肖像画がはめ込まれていたり、フランツ1世の書斎を描いた画面内の壁に本物の時計が取り付けられていたり、トリッキーな細工が施されているのだ。おもしろいけど、こんな小細工で注目を集めてどうするみたいな。19世紀前半のビーダーマイアー様式の絵画も、基本リアリズムなのに現実味に乏しくウソっぽい。19世紀末のクリムトまで名の知られた画家はひとりも登場せず、とにかく美術史の主流から完全に外れているのだ。と、バカにしてみましたが、ウィーンは芸術の中心パリからは遠いけど、神聖ローマ帝国からオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代まで中東欧の首都であり、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトを育んだ音楽の都であり、東はオスマントルコ帝国と接するアジアの玄関口であり、そのずっと東の果てで長いあいだ鎖国していた日本などに比べれば、はるかに発展していたことは言うまでもない。
とはいえ、やっぱりパリに比べれば近代化が遅れていたことは確か。パリでは19世紀後半にレアリスムや印象派などのモダンアートが登場し、その反動として象徴主義やアール・ヌーヴォーなどの世紀末芸術が注目されたのに、ウィーンではモダンアートが到来したのが19世紀末だったため、世紀末芸術とモダンアートが混在した、というよりモダンアートが世紀末芸術だったのだ。だから結論だけいうと、クリムトは印象派もポスト印象派も、象徴主義もアール・ヌーヴォー(ドイツ語圏ではユーゲントシュティール)も、あまつさえ20世紀の表現主義までひとりで抱え込まざるをえなかったのだ。もっといえば、それ以前のビーダーマイアー様式のリアリズム表現や工芸的な職人技、ジャポニスムの影響も内面化しているため、単線的な美術史では捉えきれない複雑な多面性が見てとれるのだ。あーそうだったのか、ひとりで納得した。
2019/05/10(金)(村田真)