artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

札幌国際芸術際2017 その2

[北海道]

すすきの北専プラザ佐野ビルは、雑居ビルの5階と地下で展示を行なう。端聡はあいちトリエンナーレ2016と同じく循環系のインスタレーションも出品していたが、光の様態が変化するグレードアップ・バージョンだった。なお、この展示環境を実現するため、天井に相当数のスプリンクラーが新設されていたことにも驚かされた。地下は場の特性を生かし、怪しげな展示の四連発である(まだ営業しているお店も残っており、それをあいだに挟んでいた)。特に印象に残ったのは、キャバクラの内装を残した空間に設置された山川冬樹による福島の映像作品である。本人が山口小夜子のお面をつけて廃墟を歩くのだが、猿が能面をかぶって福島の廃墟を歩く、ピエール・ユイグの映像作品『ヒューマン・マスク』を想起させるだろう。今回のサブテーマが「ガラクタの星座たち」とあるように、レトロスペース坂会館別館、居酒屋てっちゃん、北海道秘宝館の展示は、サブカル・コレクションだった。その結果、横浜トリエンナーレのハイアートによるガラパゴスの星座と好対照をなす(言葉はかぶるが)。なお、春子の部屋の天井内装も凄い。中国風の格天井の下に、45度回転させた格天井を重ねている。シャッターが定期的に上下するAGS6・3ビルでは、建築空間に絡んでいく堀尾寛大の自動機械インスタレーションを挿入する。ただし、地下は調子が悪く、暗闇の中でバチバチと発光しなかった。数年間空きビルだったせいか、外壁を見上げると窓辺に大量の鳩がいつも安心してとまっているのが(実際、入口に鳩の糞注意という表記あり)、とても不気味な風景だった。札幌地下ギャラリー500m美術館の中崎透「シュプールを追いかけて」は、青森のACACで見たスキー展示の延長戦的なものだった。そして資料のリサーチを経て、札幌の冬季オリンピックの記録やスキー用具の変遷を紹介する。やはり本物の歴史は面白い。それにしても、よくオリジナルを公共空間の展示に持ち出せたと感心した。

写真:左上=すすきの北専プラザ佐野ビル 左下=端聡 右=レトロスペース坂会館別館

2017/08/15(火)(五十嵐太郎)

《山元町立山下第二小学校》《南相馬みんなの遊び場》《あぶくま更正園》

[宮城県]

被災地のプロジェクトを3つ見学する。いずれも素晴らしい作品であり、ようやくデザインのクオリティを備えた復興建築が登場してきた。まず佐藤総合と末光弘和+末光陽子による《山元町立山下第二小学校》は、断面の操作に伴う環境調整のスペックはデータでも理解できるが、ユニット群が中庭ひとつを囲む構成によって学校が成立する、木の小さい空間がもたらす親密なスケール感は現場を訪れないとわからない。隣接施設も彼らが手がけたというが、周囲は完全に津波被災によって移転したニュータウンであり、ここが今後のコミュニティの核となるだろう。
続いて、柳澤潤+伊東豊雄による《南相馬みんなの遊び場》は、原発事故が引き起こした放射線量ゆえに、子どもが屋外で安心して遊べない状況から求められた屋内型砂場という希有なビルディングタイプだった。かわいらしい2つの屋根の下に、ひょうたん型プランの砂場がある。柱と屋根の木造架構が、室内において建築的な存在感をもち、安心感を与えるとともに、周囲に張りめぐらせた開口は安東陽子のカーテンでやわらかさを演出している。
宇野享/CAnの《あぶくま更正園》も、原発に近いために移転や仮設を余儀なくされていた障害者施設の復興建築である。10の個室群×3(男性)、ないし2(女性)がそれぞれ昼間を過ごす共有空間を囲む。特徴的なのは、さまざまな大小の屋根を組み合わせ、広さ以上に気積を確保しつつ、ゆったりとした余裕をもたせ、同時に施設であることを感じさせない、家の集合体のような空間を実現したことだろう。

写真=上から、《山元町立山下第二小学校》《南相馬みんなの遊び場》《あぶくま更正園》

2017/08/14(月)(五十嵐太郎)

《聖心堂》

[中国・広州市]

広州の市場を抜けて、《聖心堂》へ。19世紀後半に建設されたカトリック教会でかなり本格的なゴシック様式である(西欧に比べると小さいけど)。残念ながら内部は入れなかった。外部の彫刻装飾の少ないところは、日本のウエディング・チャペルにも共通する。なお、手前に洋風の建物群が対称に並び、その奥に教会が建つので効果的な景観だった。続いて、出島のような一角だった沙面を散策する。イギリスやフランスの租界だったことから、近代の様式建築が多く残っていた。角地に建ち、ドームを頂く旧香港上海銀行、そのはす向かいの旧ドイツ領事館、修復中の旧インドシナ銀行、ベランダ式の古典主義による旧フランス士官宿舎などである。それにしても、暑いときに歩くと日陰をつくるベランダ式のありがたさがよくわかる。

写真:上2枚=《聖心堂》 左上2番目=沙面の地図 左下=《旧香港上海銀行》 右下2番目から=《旧ドイツ領事館》《旧フランス士官宿舎》

2017/08/09(水)(五十嵐太郎)

陳氏書院、六榕寺、懐聖寺

[中国・広州市]

まとめて幾つかの古建築をまわった。陳氏書院は、頭上の激しい装飾に圧倒されるが、プランはシステマティックであり、理念的な建築だった。光孝禅寺は、唐様の木造寺院であり、組物のあいだを壁で埋めていないので、屋根や2層目が浮いたように見える。また六榕寺は多角形プラン、9層の塔が目立つ。特に初層の外周天井が興味深い。外から見上げると、垂木が軒先よりはみ出てるようだった。電気街に近い懐聖寺は、モスクである。本体は中国建築と似ているが、道路側のミナレット(光塔)の造形が非中国的だろう。そして五仙観は、階段をのぼって奥に突然あらわれる赤い鐘楼がデカい。ここの展示には、昔の広州の都市模型がある。無料の施設ゆえか、近所の人のたまり場になっている。

写真:上から2枚ずつ=《陳氏書院》《光孝禅寺》《六榕寺》《懐聖寺》《五仙観》

2017/08/09(水)(五十嵐太郎)

西関大屋

[中国・広州市]

西関大屋では、近代建築がよく残るストリートが幾つかあって、街歩きが目を楽しませる。確かに、ファサードを観察すると、三重の扉が特徴的だった。ここでは西洋の様式が異文化のなかで変容しながら根付いている。もし26年前に広州を訪れていたら、こうした近代建築群の街並みだけを見ていたはずだが、いまやポストモダンを飛び越え、現代のアイコン建築と同居する大都市に変貌したことは感慨深い。

2017/08/09(水)(五十嵐太郎)