artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
「岡﨑乾二郎の認識─抽象の力─現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」「追悼 小嶋悠司」展
会期:2017/04/22~2017/06/11
豊田市美術館[愛知県]
昨年、ここで開催されたジブリ展をほうふつさせるような「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」のとんでもなく長い行列を横目に、常設特別展「岡﨑乾二郎の認識─抽象の力─現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」と重厚な内容の「追悼 小嶋悠司」展を見る。彼のテキストが掲載された「抽象の力」のカタログは、やはり売り切れだったが、ウェブサイトでも公開されており、ありがたい。フレーベルの幼稚園、近代の造形教育から始まる「抽象の力」展は、主に豊田市美術館のコレクションを活用しつつ、戦後の日本で抽象芸術の核心がずらされたことを批判し、戦前に日本の抽象が到達していた認識の再評価を試みる。大胆で創造的・発見的、面白い企画だ(本当なのか? というツッコミをあちこちで入れたくなるが)。建築の立場からは、村山知義《コンストルクチオン》と石本喜久治の朝日新聞社の比較も興味深い。
2017/06/04(日)(五十嵐太郎)
異郷のモダニズム─満洲写真全史─
会期:2017/04/29~2017/06/25
名古屋市美術館[愛知県]
1920年代の櫻井一郎は、伊東忠太のアジアへの冒険の延長と言うべき写真である。そして1920年代末の淵上白陽による写真は、他者をロマン化する絵画主義で美しい。が、1930年代にこうした傾向が否定され、官僚主導によるステレオタイプ化したカッコよく、理想郷的なプロパガンダの写真に変化する。かつて政治が視覚表現を支配した歴史を確認できる内容だった。
2017/06/04(日)(五十嵐太郎)
モンテヴェルディ生誕450年記念特別公演「聖母マリアの夕べの祈り」/タリス・スコラーズ 2017年東京公演
神奈川県立音楽堂、東京オペラシティ[神奈川県、東京都]
「聖母マリアの夕べの祈り」@神奈川県立音楽堂と、タリス・スコラーズ@オペラシティと古楽を聴く機会が続いたが、今年はちょうど生誕450年記念なので、いずれもモンテヴェルディを歌う。とりわけ、タリス・スコラーズによるアレグリのミゼレーレは、数名の歌い手がホールのあちこちに散らばり、ステージからの歌声と掛け合いを行ない、立体的な音空間をつくり出し、鳥肌モノの体験だった。クラシックの楽器が発展する以前、宗教の庇護のもと、声の力だけでこれだけの複雑さと美しさに到達したことに感心させられる。
2017/06/03(土)、2017/06/05(月)(五十嵐太郎)
《タンポポ・ハウス》
[東京都]
『日経アーキテクチュア』の特集で、藤森照信氏と対談を行なうために、以前は外観のみ見学したことがある自邸、《タンポポ・ハウス》の室内に初めて入る。素材や形態はきわめてユニークだが、やはりプランは普通だった。藤森デザインの歴史的な位置づけ、ヴェネツィア・ビエンナーレで展示した後に世界各地で茶室のインスタレーションを手がけるようになったこと、彼が注目する建築における地面との接合部などが話題になった。個人的にとりあえずの仮説を立てたのは、彼がポストヒストリーの人だということ。すなわち、彼が建築史をやってから建築家になったのはもちろん、もうあまり大きな構造的な変革はないという認識のもとでデザインをしていることを意味している。
2017/06/01(木)(五十嵐太郎)
Hani Dallah Ali展 ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~
会期:2017/05/30~2017/06/04
ギャラリー ターンアラウンド[宮城県]
仙台藝術舎creekの第2期打ち合わせのために、ギャラリー・ターンアラウンドへ。ちょうどイラクのアーティスト、ハーニー・ダッラ・アリーの個展を開催していた。イラク戦争による情勢悪化によって故郷を離れざるをえなかった作家の母なる大地への想いを表現している。こうした感覚は、現在の日本ならば、原発事故が起きた福島から避難した人たちと重ね合わせられるかもしれない。なお、彼の作品は、イスラム的というよりは、さらに歴史の古層であるメソポタミアの幾何学的なイメージから着想を得ているのも興味深い。
2017/05/31(水)(五十嵐太郎)