2019年11月15日号
次回12月2日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

淡江大学建築学科卒計展

松山文化創園地区[台湾、台北市]

ほぼ3ヶ月連続で台北を訪れることになったが、今回はアドバイザーとして関わった忠泰美術館の「人間自然─平田晃久個展」が目的ではなく、淡江大学の建築学科の卒業設計展に関連したレクチャーで招待された。会場は日本統治時代に建てられた旧煙草工場をリノベーションし、さまざまなデザイン関係の展示やイベントを行なう「松山文化創園区」であり、伊東豊雄によるホテルも建つ。ここでは《台湾デザインセンター》が拠点を置き、プロダクト、ファッション、グラフィックなどの企画展を行なう《台湾デザインミュージアム》も入っている。なお、「松山文化創園地区」の背後には、1930年代の巨大な鉄道施設の再生計画の敷地が隣接し、将来も変化が続きそうなエリアだ。



伊東豊雄が手がけた《エスリテ ホテル》


「松山文化創園区」内にある《台湾デザインミュージアム》

淡江大学で教鞭をとる平原英樹、柯純融、鄭晃二先生と会食し、たずねたところ、毎年、学生の自主企画で卒計展や講演会を行なっているらしい。通常は建築家を呼ぶみたいだが、筆者の著作がすでに台湾で何冊か翻訳されていることで、今回声がかかったようだ。もっとも、2051年までの未来のどこかに自らのプロジェクトを位置づける全体テーマを設けたり、各作品をトランプの図柄にしたグッズも制作するなど、さまざまな仕掛けを施し、ただ単に模型や図面を並べるだけの展覧会にはなっていない。



「2051年までの未来のどこかに自らのプロジェクトを位置づける」という全体テーマのダイアグラム

こぢんまりとした提案になりがちな日本の学生に比べると、未来志向のデザインが多く、こなれた空間の操作をみると、設計のレヴェルもかなり高い。今後の活躍が期待される。また会場が広いこともあり、十分なスペースをとりながら、1/1のモックアップやデジタル・ファブリケーションのインスタレーションを展示し、しかもゴーグルを使って仮想空間を体験する作品まで楽しむことができた。


1/1のモックアップの展示

さて、講演では「窓から建築を考える──歴史、美術、漫画、そして映画」と題し、10年間におよぶ東北大学五十嵐太郎研究室による窓学リサーチ・プロジェクトの研究成果を語った。その後、日本の卒計との違い、窓に関連するプロジェクト、すぐれた造形のデザインなどに触れながら、学生のいくつかの作品を講評した。



筆者が講演した会場の様子


淡江大学建築学科の卒業設計展より「境界的反面」


淡江大学建築学科の卒業設計展より、豚の屠殺場を設計した作品


淡江大学建築学科の卒業設計展より「RED WINDOWS」


「インビジブル・ピーコック」展の様子

2019/06/15(土)(五十嵐太郎)

古澤邸

[東京都]

研究室のゼミ旅行という機会を使い、気になっていた古澤大輔さんの自邸を見学した。道を曲がって住宅が視界に入ると一瞬、とても大きく感じる。これは『住宅特集』2019年5月号の表紙も飾っているが、とくに梁がズレており、スラブの数が実際よりも多いと錯覚することによって、住宅というよりはビルのように見えてしまう。塔の家ならぬ、スキップ・フロア風のビルの家なのか? あるいは、ビルをリノベーションした住宅なのか?



《古澤邸》の外観


人が入った状態の《古澤邸》、左が古澤氏

上下の水平ラインに挟まれた横長のプロポーションはビルを想起させるのだが、そこに人が立つと大きさの感覚が狂い、スケール感がずらされる。また両側の建物と比較すると、ビルのミニチュアのようだ。なぜ、こうした現象が起きるのか。古澤は十字に配置された4本の柱を中央に据え、床のスラブと梁を遊離させるという実験を試みており、透明性が高く、そのデザインが外からも確認できるために、階数が実際よりも多く見えるからだ。つまり、基本的には四層であり、しかも室内は階高を少し抑え、スケールを調整している。



《古澤邸》の階段


《古澤邸》のバルコニー

室内に入ると、二階から上は基本的に壁がなく、また中央の階段まわりに吹き抜けが随所に発生しており(とくに斜めの抜けが多い)、全体がゆるやかにつながっている。印象的なのは、いわゆる壁と違う空間の分節が未曾有の体験をもたらすこと。すなわち、頭上ではなく、目線の高さを浮遊している太い梁が、完全に空間を切り分けず、上下をかき取られた壁、もしくは大きな手すりのように存在している。つまり、梁の向こうがよく見えるが、そこへのアクセスはおしとどめる。また梁の上がちょっとしたモノを置く場所としても使われていた。建築の基本的な構成を変えることで、新しい空間の可能性を切り開くことに成功している。



《古澤邸》の吹き抜け


太い梁にはモノを置くこともできる

もちろん、自邸ゆえの思い切りのよさはあるが、これは住宅に限定された手法ではないだろう。建物の前面で目立つバルコニーは、すべてを揃えず、それぞれに異なる表情をもち、躯体に対し、リノベーション的に付加したかのようだ。古澤は設計にあたっては、当初案を転用するイメージでのぞんだらしいが、新築でありながらリノベーション的な性格を備え、ビルのように感じられたのも、そのせいかもしれない。



《古澤邸》二階のコーナー


 《古澤邸》の屋外階段

2019/06/08(土)(五十嵐太郎)

主戦場

[全国]

東京のミニシアターでは立ち見が出ると聞いて、仙台駅の隣にあるチネ・ラヴィータで、ミキ・デザキ監督の映画『主戦場』を鑑賞した。もっとも、こちらは残念ながら空席が多く、拍子抜けだった。本来ならば、自国の問題として日本人がこうしたドキュメンタリーを制作しているべきだとも思ったが、監督が日系アメリカ人の留学生だったからこそ、実現できたプロジェクトなのかもしれない。すなわち、後で上映中止を訴え、裁判をおこした「歴史修正主義者」たちは油断して、いつものように調子のいいことをカメラの前でえんえんと演説し、その様子が映像に記録できたのである。一方、逆側の語りは、慎重に歴史の言葉を選ぶ人が多いように思われた。

映画内でとりあげられる内容は、慰安婦をめぐる議論の基本的な知識をテンポのいいスピード感で得ることができる、入門編的なものだ。筆者が実際に訪れたソウルやサンフランシスコの慰安婦像も紹介されていた。どちらの言い分を信じるかは、実際に鑑賞した観客の判断に任せるとして、やはりドキュメンタリーが面白いのは、しゃべっている人間の顔や表情、そして身ぶりがよくわかることだろう。つまり、言葉の外部である。


ソウル日本大使館前の慰安婦像


ソウルの慰安婦像、隣には見張りのテントが

印象に強く残ったのは、過去の発言や記録の細部を切り取り、突っ込みを行ない、「慰安婦」の定義のずらしを行なう「修正主義者」たちの笑顔である。また「韓国や中国が絶対に日本には追いつかない」という信条や、フェミニストの女性を侮辱する言葉を嬉々として語るのだ。彼らがおそらく何度もネタとして繰り返している差別的な内容は、滑稽ですらあるが、ネットにおける匿名の発言ではなく、国会議員やTVタレントのような人物が自信満々にしゃべっていることは深刻な事態だろう。

そしてラストに登場する大ボスの発言はあまりに無茶苦茶すぎて、これはパラレルワールドの住人ではないかと耳を疑った。もし、こうした思想が本当に現在の政治に影響を与えているとすれば、リアル・ホラー感すら漂う。映画の最後では、日本がアメリカの戦争に巻き込まれる可能性を警告していたが、G20直後のトランプの日米安保条約に関する発言で、よりいっそうきな臭くなっている。


サンフランシスコの慰安婦像


サンフランシスコに設置されたプレートより。「世界の性暴力を根絶するための記念碑」と説明されている

公式サイト:http://www.shusenjo.jp/

2019/06/05(水)(五十嵐太郎)

中山英之展「, and then」

会期:2019/05/23~2019/08/04

TOTOギャラリー・間[東京都]

ギャラリー間では、ベスト級の展覧会だった。個人的に良い展覧会のポイントは、以下の3つである。第一に素晴らしい作品、もしくは貴重な資料があること。第二に、ここでしか体験できないこと(すなわち、書物に置き換えにくい内容)。そして第三に、展覧会の枠組を改めて問うこと。とくに映像との関係で建築展をひっくり返すことに成功している。どういうことか。通常、建築展において映像は付属物として扱われる。だが、本展のメインとなる4階を、むしろ彼の作品について制作された6編のショート・ムービーを上映する映画館=「シネ間」とし、3階を映像に関する資料、ドローイング、模型などの展示場とした。つまり、建築家の手を離れた後、現在、どのように住宅が使われているかを伝える、ドキュメンタリー映画の方が主役である。また『家と道』以外は上映時間10分以内に抑えられ(あまり長過ぎないことも好感がもてる)、休憩・CMを含めて、ちょうど1時間のタイムテーブルが組まれている。



「中山英之展 and then」映画館の入り口をイメージした3階の展示風景



「中山英之展 and then」屋外展示の風景



「中山英之展 and then」短編映画の上映サイクル


過去にも千葉学が数名の施主に使い捨てカメラを送り、住宅の現状を撮影したものを活用する展覧会があったが(建築家に依頼するだけに、写真のセンスが良いことにも感心)、今回は施主だけでなく、さまざまなアーティストが撮影しており、建築の特徴を引きだしつつ、それぞれの強い個性が反映されている。とくに実見したことがある「O邸」は、訪問したときに比べて、かなり使い倒されている雰囲気がよくわかった。『Mitosaya薬草園蒸留所』はライブ感あふれる商品の製造過程をとらえ、「弦と孤」は上下と回転運動のみによるカメラが1日の様子を撮影し、ギャラリー間としては破格に横長の三面スクリーンに映しだされる。『2004』はかわいらしいアニメーションと写真のスライドショーであり、「家と道」は入念に演出された人々の動きをカメラのアングルを変えながら紹介する(もっとも面白い作品だったが、5回目のループはなくてもよかったかもしれない)。



「中山英之展 and then」《家と道》コーナーより



「中山英之展 and then」《弦と弧》コーナーより


2019/05/31(金)(五十嵐太郎)

イキウメ『獣の柱』

会期:2019/05/14~2019/06/09

世田谷トラムシアター[東京都]

劇作家の前川知大とイキウメの作品は必ず見ようと思ったきっかけになったのが、6年前に鑑賞した『獣の柱』だった。今回、再演されるということで劇場に足を運んだら、隕石が放つ光がもたらす快感に人々が我を忘れてしまう怪現象という序盤こそ同じだったが、途中からだいぶ違う展開になり、より完成度が高い新作のようになっていたことに心底驚かされた。空から降る巨大な柱を見るものは多幸感に囚われるが、あまりの過剰さゆえに人類に厄災をもたらす。そう、ほかのことが一切できなくなるという死に至る快感なのだ。SF的な物語は、いろいろな解読を可能にしているが、前回は、311の余波が続く時期だったこともあり、宗教的な崇拝の対象にすらなる光の柱が、事故を起こした原発の寓意に思われた。支配され、共存するか、あるいは別の生き方を選ぶか。しかし、今回は力点が変わり、新しい人類の誕生や、これまでの20世紀の文明とは違うコミューンをつくる物語になっていた。

イキウメの作品をたどると、今回の『獣の柱』は、旧人類と新人類を描いた作品『太陽』にも近いだろう(ただし、この作品では太陽の光を見ることができるのは旧人類)。またSFとしては、特に「あなたたちの役割は終わった」という強烈な一言から、アーサー・C・クラークの小説『幼年期の終わり』も思い出した。ほかにもナイト・シャラマンの映画『ハプニング』において、人間が集中し、一定の密度になると自死を選ぶという設定を連想した。劇中では、なぜこのような柱が出現したかについて生き残った者たちが議論し、幾つかのSF的な仮説が提示されるが、必ずしも明快な結論が出るわけではない。やはり、解釈は開かれていた。ともあれ、ハリウッド映画のような予算がなくとも、この超常現象により人類が危機に陥るという凄まじい物語を舞台で演じてしまう説得力、それに加え、シリアスな内容にもかかわらず、イキウメ特有のユーモアが失われてないことに感心させられた。

公式サイト:http://www.ikiume.jp/kouengaiyou.html

2019/05/29(水)(五十嵐太郎)

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