2020年12月01日号
次回12月15日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

「クラシックホテル展─開かれ進化する伝統とその先─」、高山明/Port B「模型都市東京」

会期:2020/02/08~2020/08/23

建築倉庫ミュージアム[東京都]

建築倉庫ミュージアムでは、2つの旅の展覧会が開催されている。ひとつは「クラシックホテル─開かれ進化する伝統とその先─」展であり、文字通り、日光金谷ホテルや富士屋ホテルなど、12の建築を詳しく紹介するものだ。展示スタイルもクラシックで、最初の壁に大きな年表を掲げ、模型、図面、写真、家具などを使い、赤を基調とした会場デザインも効いている。



建築倉庫ミュージアムの外観


「クラシックホテル」展に展示されていたホテル年表


「クラシックホテル」展、会場風景

そしてもうひとつは高山明/Port Bの「模型都市東京」展だ。これまで建築展を開催してきた建築倉庫ミュージアムとしても異例のラインナップだろう。事前の情報をあまり仕入れずに訪れたので、彼が具体的に「どんな展覧会をするのか?」という疑問を抱きながら会場に入ったが、すぐに「ああなるほど!」と納得した。建築模型は一切ない。むしろ、ブースを設けて、それぞれの個室で映像を見せる、いつもの手法が用いられている(ただし、今回はイヤホンでインタビューの音声を聴く)。すなわち、ここが倉庫であることを生かし、市橋正太郎、榎本一生、キュンチョメ、吉良光、ケン・ローら、12人の「利用者」の私物を各部屋に持ち込み、逆説的に「模型都市東京」を表現しているのだ。


「模型都市東京」展、展示風景

高山によれば、演劇と模型は相性がよい。なぜなら、演劇は身振りの模倣から始まったものだからだ。だが、今や活きのいい模型は舞台の上ではなく、街の中にある。そうした目で東京を観察すると、オリジナルの建築は少なく、いわば模型に溢れているという。つまり、模型は会場ではなく、都市に偏在する。そこで都市の模型=建築やインフラをオリジナルに使いこなす、移動が多い、非定住的な人たちのアクティヴィティに注目し、前述の12人を「利用者」として召喚した。おそらく彼らの活動によって、貸し倉庫のような状態になった会場の展示物は刻々と変化するのだろう。


渡邉颯のブース


キュンチョメのブース

建築模型が展示されている場合、それを見た鑑賞者は、実際の街にたつオリジナルの建築を想像する。同様に、われわれは、今回の展示において、会場に並ぶ各部屋のさまざまなパターンの私物と所有者の語りから、彼らが都市の中でどのように活動しているかを思い描く。とすれば、会場に置かれているのは、「利用者」の生活の模型だろう。そもそも模型とは何か、を考えさせる企画である。


「模型都市東京」展の会場模型スタディ

2020/06/24(水)(五十嵐太郎)

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《WITH HARAJUKU》とユニクロ建築

[東京都、神奈川県]

今年はユニクロと建築の関係が興味深い。まず、三井アウトレットパーク横浜ベイサイドに隣接して、藤本壮介の基本構想とデザイン監修による《UNIQLO PARK 横浜ベイサイド店がオープンした。筆者が訪れたときは、あいにくコロナ禍の影響で使用禁止となっていたが、地上から連続し、斜めにせりあがる屋上に、すべり台やボルダリングなどの遊具が散りばめられていた。


《UNIQLO PARK》のすべり台

また6月にオープンした《UNIQLO TOKYO》は、ヘルツォーク&ド・ムーロンが手がけ、マロニエゲート銀座2のビルを大幅にリノベーションし、外壁やスラブを切断する減築によって、気持ちのよい外部空間や吹き抜けの内部空間を創出した。もっとも、《UNIQLO TOKYO》では余計なものをそぎ落とし、構造美をあらわにするデザインの手法ゆえに、吹き抜けまわりでは、防煙対応の苦労もうかがえる。ちなみに銀座ソニーパークでも減築を試みていたが、都心の大型商業施設でもそれが実施されたことは画期的だ。これは海外の著名建築家のネームバリューゆえに可能になったリノベーションかもしれないが、日本の若手建築家に思い切り任せるようなプロジェクトも見てみたい。


ヘルツォーク&ド・ムーロンが手がけた《UNIQLO TOKYO》の外観


《UNIQLO TOKYO》の内部空間

また新規オープンのユニクロ原宿店が入る《WITH HARAJUKU》は、竹中工務店と伊東豊雄が設計を担当した複合施設である。両者は、ザハ・ハディド案がキャンセルになった後、新国立競技場の仕切り直しのコンペでも組んだチームだが(隈研吾+梓設計+大成建設との一騎打ちとなり、敗れた)、そのときの案と同様、木を積極的に用いていることが特徴だ。植栽もあちこちで導入されている。


原宿駅前に新規オープンした《WITH HARAJUKU》の外観

だが、この《WITH HARAJUKU》でもっとも印象的なのは、歩いて楽しい空間になっていることだ。すなわち、複雑な地形を縫い合わせるかのように立体的に回遊路がつくられており、JR原宿駅から目の前の《WITH HARAJUKU》に入り、内部を散策すると、地下1階レヴェルで竹下通りの方に抜けていくルートが用意されている。また駅や明治神宮の杜を眺められるデッキが設けられたり、駅と反対側では、3階から2階のレヴェルにおいて屋外の空中広場や段状のテラスもある。《WITH HARAJUKU》は、周辺の環境と応答する共有空間が実に魅力的だ。建築学生の卒業設計を見ていると、こうした駅前の都市的なプロジェクトを見かけることはあるが、本当にそれが実現されている。


《WITH HARAJUKU》内部の立体的な回遊路


《WITH HARAJUKU》のデッキから原宿駅と明治神宮の杜を眺めることができる


《WITH HARAJUKU》の屋外デッキの空中広場にある段状テラス

2020/06/22(月) (五十嵐太郎)

渡辺篤「修復のモニュメント」

会期:2020/06/01~2020/07/26

BankART SILK[神奈川県]

コロナ禍の影響によって見ることができなくなった展覧会は多いが、逆のパターンもある。てっきり、もう見逃したと思っていたら、会期が変更されたおかげで、BankART SILKにおいて渡辺篤「修復のモニュメント」展を鑑賞することができた。これは社会から孤立した人間の声を発信していく彼の「アイムヒア プロジェクト」の一環であり、今回はひきこもりの人たちと対話しながら、その原因を探りつつ、コンクリートの記念碑をつくっている。が、展示されていたのは、それをハンマーで破壊した後、金継ぎの技法によって修復した作品だった。つまり、完全に傷が消えるわけではない。かたちは元に戻るが、金継ぎのラインは目立つ傷跡となる。ゆえに、鑑賞者は破壊と再生のさまざまな痕跡に出会う。入口の壊れたドア、卒業式の記憶を思い返す文章、傷を負った脳や心臓の作品など、現代の震える精神が、会場のあちこちで痛々しい実体を伴う造形物になっている。また展示の手法として印象に残ったのは、仮設壁に穴をあけ、その内部に設置された作品もあったこと。


「修復のモニュメント」展、展示風景より。入口の壊れたドア


「修復のモニュメント」展、展示風景より。破壊された卒業アルバム


「修復のモニュメント」展、展示風景より。卒業式の記憶を思い返す文章

実は昨年、ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2020の日本館のキュレーターを決定する指名コンペにおいて、日建設計の山梨知彦によるプランは、社会からの切断という現代都市の問題をテーマに掲げ、アーティストの参加を提案していた。そして「ひきこもり」は渡辺、「幼児虐待」は見里朝希、「孤独死」は小島美羽の作品が対応していた。

結局、山梨案は選ばれなかったが、彼の著作『切るか、つなぐか? 建築にまつわる僕の悩み』(TOTO出版、2020)でも、このプランを紹介していた。山梨は、渡辺へのヒアリングから、「ドア一枚で社会との接続を切ることができる現代の住まいは、ある意味ひきこもりが必要としている空間」であること、「現代の都市住居が、社会との距離をうまく取り切れていないことに問題がある」という知見を得て、マンションのドア、バルコニー、掃き出し窓などのデザインに疑問を投げかけていた。

ところで、パンデミックによって世界で発生したのは、感染を恐れて、皆が外出しなくなる、総ひきこもりの現象ではなかったか。もし、山梨案が選ばれていたら、社会との切断は、当初、想定していたものと異なる、新しい意味を獲得していたかもしれない。


「修復のモニュメント」展、展示風景より。仮設壁の穴をのぞくと、そこにも作品がある



「修復のモニュメント」展、展示風景より


「修復のモニュメント」展、展示風景より。傷を負った脳の作品

2020/06/10(水) (五十嵐太郎)

江本弘 オンライン・レクチャー

会期:2020/06/04

東日本大震災で東北大の建築棟が大破し、しばらく教室や研究室がまったく使えなくなったとき、教員と学生さえいれば教育は維持できると考え、漂流教室と銘打って、建築家が設計した住宅やシェアハウスなど、さまざまな場所で実験的にゼミを開催した。しかし、今回のコロナ禍は建物に被害を与えない代わりに、人が集まることを困難にしている。その結果、大学では講義、ゼミ、委員会など、あらゆる活動がオンライン化した。

奇妙なのは、近くの学生とはリアルで会えないが、海外滞在中の在学生や日本に戻れない留学生など、遠くにいる学生は参加しやすくなったこと。そこで今回は東京や海外で働いているOB、OGに声がけし、毎週のゼミの後、ミニ・レクチャーのシリーズを始めた。また助教の市川紘司が主宰する五十嵐研のサブ・ゼミでも、「建築概念の受容と変質」、「表象と建築」、「都市の読み方」といったテーマを設定し、それぞれの内容にあわせて、江本弘、本田晃子、石榑督和らの若手の研究者によるオンライン・レクチャーを企画している。

第1回目は、江本弘のレクチャーだった。彼は立原道造の卒業論文から出発し、そこからジョン・ラスキンの受容をめぐる研究に展開し、アメリカなどの海外で調査した経緯を語ってくれた。興味深いのは、対象そのものへの価値判断をせず、ひたすらその受容を追いかけていくこと。もちろん、井上章一も1980年代以降、桂離宮や法隆寺に対し、こうした手法のメタ建築史を試み、ポストモダン的、もしくは構造主義風とでもいうべき相対化を行なったが、井上の場合、つむじ曲がりの性格をベースにしていたのに対し、江本はそういう感じではない。

筆者は彼の著作『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』(東京大学出版会、2019)の書評を『東京人』に寄稿した際、江本がどうやって膨大な資料を収集したのかと不思議に思っていたが、謎が解けた。データベース化された文献資料を徹底的に活用し、きわめて効率的に調査していた。まさに現代の情報環境が可能にした研究だった。現在は建築における「シブイ」や「ジャポニカ」などの概念に注目しているという。日本国内の言説に閉じず、国際的な流通を調査している点も、新しい世代の建築史家として高く評価できるだろう。


江本弘によるオンライン・レクチャーの模様

2020/06/04(木) (五十嵐太郎)

『囚われた国家』『ライト・オブ・マイ・ライフ』『CURED/キュアード』

営業を再開したばかりのキノシネマ横浜(みなとみらい)にて、立て続けに3本の映画を鑑賞した。いずれもコロナ禍の現状を連想させるもので、偶然ではなく、三部作とでもいうべき見事な上映セレクションのように思えた。

ルパート・ワイアット監督の『囚われた国家』は、地球外生命体に統治されるシカゴを舞台としている。これはSFの外形を借りているが、いわゆる「人vsエイリアン」が戦う典型的な構図ではなく、エイリアンに隷従する人間が営むハイテク超監視社会に抵抗するレジスタンスの物語だった。あまり派手なシーンはなく、ハイライトはスタジアムでのテロ計画だろう。しかし、そこで終わらない、どんでん返しも用意されている。コロナ禍において明るい管理社会が要望される今にふさわしい作品だ。

1000円という特別料金が設定された映画『ライト・オブ・マイ・ライフ』は、もっとストレートに疫病が設定に使われていた。これは女性のみがほとんど死んでいくパンデミックの後、女性狩りから逃れるため、娘を息子と偽りながら、人が多い都市を避けて、親子がサバイバルを続けるという作品である。人類は絶滅こそしないが、倫理観を失い、荒廃した世界が描かれる。もっとも、疫病そのものがテーマではなく、特殊状況における父と娘の成長物語だった。ゆっくりとしたテンポの映画だが、最大の危機を迎えた後の二人の表情が印象深かった。

3本目の映画『CURED/キュアード』は特に傑作だった。凶暴化するウイルスへの特効薬が完成し、75%の感染者を治癒するものの、人を襲っていた記憶は残り(それゆえに、主人公は兄を殺したという罪の意識から悩み、苦しむ)、25%は回復しないままとなるポスト・パンデミックの世界である。出尽くしたようなゾンビ映画のジャンルにおいて、こういう鮮やかな切口があるのかと感心させられた。興味深いのは、非感染者と社会復帰する治癒者のあいだに、残酷な差別が生じること。さらに非治癒者に関しては、人間として扱うべきか、殺すべきか、という議論が巻き起こる。新型コロナウイルスも、医療従事者、治癒者、感染が多い地域の人間に対する差別や偏見をもたらした。すなわち、『CURED』の形式はゾンビものだが、今に通じる人間性を問うている。


『囚われた国家』公式サイト:https://www.captive-state.jp/

『ライト・オブ・マイ・ライフ』公式サイト:https://kinocinema.jp/minatomirai/movie/movie-detail/140

『CURED/キュアード』公式サイト:http://cured-movie.jp/

2020/06/04(木)(五十嵐太郎)

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