2020年12月01日号
次回12月15日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

岩崎育英文化財団 岩崎美術館

鹿児島中央駅から1時間半、指宿駅に到着し、そこからタクシーで約5分。いわさきホテルの敷地内に槇文彦が設計した《岩崎美術館》がある。筆者が大学三年生のとき、槇先生が設計演習を担当していたことから、この美術館の存在は30年以上前から知っていた。このたび、ようやく初めて現地を訪問することができた。結論から言うと、個人的に槇の建築の中でもベスト級の空間だと思うくらい、素晴らしい。さすがに打ち放しコンクリートの外観は汚れが目立つようになったが、その奥に展開する内部の空間と細部のデザインがきわめて洗練されている。



《岩崎美術館》の外観

美術館(1978)と対面させず、少し離しながら、角度を振って配置された工芸館(1987)は、地下の通路からアクセスするシークエンスとなっている。増築によるヴォリューム増大でプロポーションが崩れることを避け、田園のヴィラという原イメージに従った、もうひとつの独立した建築としての工芸館をつくったのだ。いずれもモダニズムをベースとした形態言語を用いているが、設計した時期の違いも反映されているのが興味深い。



工芸館の外観

《岩崎美術館》の内部に入ってまず感じたのは、いわゆるホワイトキューブの空間ではなく、超豪邸の室内に作品を展示したかのような雰囲気だった。もっとも、古典主義のヴィラではなく、モダニズムによる邸宅のイメージである。洋画や郷土の作家のコレクションもなかなか充実しており、建築家の椅子もあちこちに展示されていた。美術館の空間は、奥に進むに従い、段々とレヴェルが上がり、さらに途中から横に空間が広がっていく。



美術館内部の階段


美術館の展示風景

一方、工芸館は、地下から登って入ることもあるが、縦に伸びる空間になっており、現代アートのインスタレーションに近いサイズをもつ大型の民族美術の展示に合わせている。また旋回する階段を通じて、二階の展示室に入ると、西洋から里帰りした古薩摩や有田の陶磁器などがあり、最後は展望を楽しむことができる。興味深いのは、工芸館はカルロ・スカルパ風の繊細なディテールが入り、濃密で複雑な空間が生まれていること。なお、滞在中はたまに宿泊客が訪れていたが、ほとんどの時間は貸切状態で、同館の創設者である岩崎與八郎のプライヴェート・コレクションを鑑賞していた。



工芸館内部の階段


工芸館の展示風景

公式サイト:岩崎育英文化財団 岩崎美術館 http://www.iwm.org.uk/north/

2020/03/31(火)(五十嵐太郎)

鹿児島市内、歴史と文化の道

鹿児島市内で、鶴丸城跡の堀沿に続く歴史と文化の道を歩くと、周辺に《鹿児島市中央公民館》(旧公会堂、1927)や《鹿児島市庁舎本館》(1937)など、近代の様式建築がよく残されているのに気づく。また美術館、文学館、図書館など、現代の文化施設も付近に集中している。ザ・シンメトリーというべき構成をもち、クラシックなテイストの《鹿児島市美術館》(1985)は、やや硬いポストモダンの建築だった。企画展は延期されていたものの、常設展は鑑賞することができた。



《鹿児島市中央公民館》(旧公会堂)の外観


《鹿児島市立美術館》の外観

谷口吉郎が手がけた《鹿児島県立図書館》(1979)と、そのデザインを踏まえた隣の《鹿児島県歴史資料センター黎明館》(1983)は、隈研吾に先駆けて、切妻屋根、ルーバー、中庭などのヴォキャブラリーを効果的に使った、落ち着いた和モダニズムの建築である。前の週に訪れた宮崎とは違い、訪問時の鹿児島にはほとんど感染者がいなかったためか、いずれの施設も新型コロナウィルスによる閉館はされておらず、入館することができた。《黎明館》では1階が歴史、2階が民俗、3階が美術、屋外で民家が展示されており、想像以上に大きく、しかも充実した内容である。なお、来場者はまばらで超低密度の空間だった。



手前が《鹿児島県立図書館》、奥に見えるのが《鹿児島県歴史資料センター黎明館》


《黎明館》の全景

曽禰中條建築事務所による《旧・鹿児島県庁本館》(1925)は、おかしなプロポーションの外観だと思ったら、やはり大部分を切除し、中心だけを保存したからだと判明した。室内で歴代県庁の建築史がちゃんと展示されていたからである。その斜向かいには、日本設計による巨大な《かごしま県民交流センター》(2003)が建っており、驚かされた。おそらく様式建築を意識したクラシック調の外壁だが、大階段、空中のブリッジ、円形にくり抜かれたフロアなど、ダイナミックな構成の建築である。ただし内部空間には、それほどのインパクトはない。


《旧・鹿児島県庁本館》の外観


《かごしま県民交流センター》の外観

《かごしま近代文学館・メルヘン館》(1998)では、入館時に感染対策として住所の記載を求められたが、やはりどちらも開館はしていた。《文学館》では、鹿児島ゆかりの文筆家が紹介されているのだが、建築の構成上、二階のブリッジを渡ると見えてくる、向田邦子に捧げられた神殿のような展示空間が印象的だった。また円錐状のヴォリュームをもつ《メルヘン館》は、螺旋状に降りていく空間構成による、アリスなどをモチーフにした子供向けのテーマパーク的な空間である。もっとも、これを公共建築でやるべきかという疑問もなくはない。


《かごしま近代文学館・メルヘン館》の外観

2020/03/29(日) (五十嵐太郎)

ジャパン・ハウスと日本文化会館の休館

ジャパン・ハウス、日本文化会館[イギリス、フランス]

新型コロナウィルスの感染拡大でロンドンのジャパン・ハウスが休館となり、4月16日にスタートする予定だった筆者監修による「窓学」展も延期が決定した。直接的な準備は1年以上、2017年の窓学10周年記念展のコンテンツを多く利用していることを踏まえると、数年以上かけて用意してきただけに残念である。一時は日本の方が危なく見られていたので、もし日本のスタッフが現地入りできなくても設営ができるかを検討していたが、その後ロンドンの方が状況が悪化し、館そのものが休館となったので仕方ない。会期は6月末までなので、それまでに復活できればよいのだが、最悪の場合、9月のロサンゼルス、来年3月のサン・パウロへの巡回にまで影響を及ぼすかもしれない。



ロンドンのジャパン・ハウスを巡回予定だった「窓学」の展示スタディ


「窓学」展示品の検討風景


また、これも筆者がキュレーションで関わる、5月13日開始予定だった現代日本の建築家展「かたちが語るとき」も、3月31日に延期が決まった。やはり、パリの日本文化会館が一時休館となったからである。10月にオルレアンのアーキラボへと巡回する予定だが、先が見えない。ちなみにこの企画は、もともとル・コルビュジエが改造した船、アジール・フロッタンで行なうつもりで始めたが、2018年にセーヌ川の増水によって船が沈没し、一度延期になったものである。またその前には、アジール・フロッタンの修復が、リーマン・ショックですでに大幅に遅れていた。したがって、ようやく展覧会が実現できると思っていた矢先の、今回のコロナ・ショックである。


他にも筆者が関わった展覧会では「インポッシブル・アーキテクチャー」展の最後の巡回先、国立国際美術館が休館となったため、2週間早く終わった。また未来都市を描いたSF映画のセレクションで関わった森美術館の「未来と芸術」展は、結局最後の1カ月がなくなった。それでも開催はできたのだから、まだマシなのかもしれない。設営はしたのに、結局オープンできないまま会期が終わり、誰も観ないままになった展覧会が存在することを知っている。現時点で、筆者が人前で喋る講演などの仕事は5つが延期となり、足を運ぶ予定だった演劇やコンサートは10件以上の延期や中止が決定した。このartscapeでとりあげるネタにも困るような状況だが、建築だけは旅行さえすれば見学できると思っていたが、今後は移動制限もかかるかもしれない。この状況であえてよいことを挙げるならば、なくても成立する会議や委員会がなくなったこと、原稿を書く時間がとりやすくなったこと、本を読む時間が増えることだろうか。

公式サイト:パリ日本文化会館「かたちが語るとき」  https://www.mcjp.fr/ja/agenda/quand-la-forme-parle-jp

ロンドン、ジャパン・ハウス巡回企画展「窓学」展  https://www.mcjp.fr/ja/agenda/quand-la-forme-parle-jp https://www.japanhouselondon.uk/visit/coronavirus-update/https://madoken.jp/news/2020/03/6718/

2020/03/19(木)(五十嵐太郎)

JR延岡駅前複合施設「エンクロス」/日向市駅と日向市庁舎

[宮崎県]

近年、地方都市の駅周辺で興味深いプロジェクトが増えている。それはおそらくイケていると慢心している東京に対し、地方都市が危機感をもっているからではないかと思うのだが、久しぶりに訪れた宮崎県では、2つの事例を見学した。ひとつは乾久美子による延岡駅周辺整備プロジェクト(2018)である。これは筆者と山崎亮がゲストキュレーターとして参加した「3.11以後の建築」展(金沢21世紀美術館、2014-15)でも出品してもらったように、住民とのワークショップを行なったものだ。



JR延岡駅前複合施設「エンクロス」の外観

また乾事務所は、類似したプログラムやスケールの施設を数多くリサーチし、デザインに反映している。筆者が訪問したときは、新型コロナウィルスの影響によって、天高のある 2階の図書スペースが封鎖され、普段のアクティビティは観察できなかったが、対照的に1階の低い天井など、それでも躯体と開口のリズムとプロポーションの美しさは堪能できる。もっとも、派手な建築ではない。国鉄時代につくられた駅舎の手前に、その空間を延長したかのようなデザインが特徴である。また駅前に昭和モダニズムの建築が多く、それらへのリスペクトも感じられた。



東西自由通路から2階の図書スペースを見る



広々とした「エンクロス」の開口部


もうひとつが日向市駅(2008)と日向市庁舎(2019)である。いずれも内藤廣が設計したものだが、特に前者は建築だけでなく、様々なジャンルのデザイナーが入り、外構、ランドスケープ、ファニチャーまで一体となって、良好な環境を創出していた。また木材を積極的に活用したことも共通している。駅舎は表面の装飾ではなく、空間の質を決定する構造として使われているのだが、複数の主体が拠り所にできる要として地産の杉材を選び、それをどう合理的に使うかを探ったという。ちなみに、駅の近くの空き地に大型の模型が展示されていた。



日向市駅のプラットフォーム



日向市駅前の風景


また日向市庁舎は、室内の熱負荷を下げるよう、大きく庇をだし、日よけルーバーを設けている。結果的に四周にテラスを張りめぐらし、あちこちに「たまり」と呼ぶ、市民が自由に使える開放的なスペースが生まれた。おそらく、内藤は駅舎の成果が評価され、市庁舎の仕事につながったのだろう。ともあれ、木を使うから、日本的で素晴らしいという稚拙な論ではない。今の東京建築は退行しているのではないか。これらのプロジェクトは、東京の真似をしない地方建築の道を示している。



日向市庁舎の周囲に張り巡らされた「たまり」



日向市庁舎の外観

2020/03/18(水)(五十嵐太郎)

竹山団地

[神奈川県]

群建築研究所を率いた緒形昭義(1927-2006)が設計した横浜の竹山団地を見学した。緒形は東京大学を卒業後、横浜国立大学で教鞭をとり、寿町総合労働福祉センター(1974)や藤沢市労働会館(1975)などを手がけたモダニズムの建築家である。また卒業設計は、敗戦直後の日本らしいテーマの「皇居前広場に建つ文化会館」だった。竹山団地は、直方体の住宅棟をただ並行配置したものではなく、千里ニュータウンと同様、初期ニュータウンの理想を追求した建築群となっており、かなり個性的である。



俯瞰で見た竹山団地のセンターゾーン

特に1972年に完成したセンターゾーンは、大きな人工池を設け、ほかの団地にはない独特な環境を形成することに成功した。設計を依頼され、現地を視察したとき、ちょうど谷あいだったので池を提案したという。人工池の維持管理はそれなりに大変だったようだが、その周辺に店舗群、スーパーマーケット、郵便局、集会所、学校、幼稚園、病院、公園などの各種施設を配し、いずれも現役なので、全体として良好な雰囲気が保たれている。



スーパーマーケットの天井



郵便局の外観

いわばモダニズムが輝いていた時代の建築である。ロンドンの集合住宅群《バービカン・エステート》なども想起させる。またデザインをよく観察すると、ル・コルビュジエ など、モダニズムの影響が随所に散りばめられている。例えば、ピロティや屋上庭園。とりわけ前者は人工池に対し、足を突っ込んだような柱群もあって、忘れがたい風景を生みだした。駐車場からスーパーマーケットに降りる階段に設けられたランダムな開口は、後期のル・コルビュジエ風である。



竹山団地のピロティ



人工池に浮かぶスロープが絡まりあう構築物



駐車場からスーパーマーケットに降りる階段

また巨大建築を見慣れたわれわれから見ると、ヒューマンなスケールがかわいらしくも感じられる。2つのスロープが互いに絡みあう丸味を帯びた彫塑的な構築物、店舗エリアの円窓やグリッド状の天井、高さをズラした窓、住棟へのアーチ状の入口、眺めを切りとる階段室の開口、台形のトイレなど、様々な細部の意匠が目を楽しませる。決して均質な団地ではない。改修によって色が塗られたり、バルコニーが室内化しているところもあるが、おおむね当初の状態が保たれているのも嬉しい。



竹山団地案内図

2020/03/13(金)(五十嵐太郎)

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