2022年07月01日号
次回7月15日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

スティーブン・スピルバーグ『ウエスト・サイド・ストーリー』

一度のみならず、劇場で見ておくべき傑作だったので、映画『ウエスト・サイド・ストーリー』の二度目の鑑賞を行なった。そもそも全曲を覚えていたくらいの傑作ミュージカルの映画を、改めてスティーブン・スピルバーグが映画化したわけだが、期待以上の完成度に到達した作品である。当初はなぜ、今さらこの映画なのか、という疑問をもっていたが、トランプ前大統領によって加速した分断の時代だからこそ、いまこのリメイクが意味をもつ。またあらゆることが、VFXによって表現できてしまい、かえって驚きが消えてしまった映画界において、生身の人間の歌と、抜群の切れ味のある踊りによって驚異的な力を発揮している。

実際、本作ではいわゆる有名な俳優はキャスティングされていない。だが、その身体能力の凄さによって、観客を魅せることに成功している。ミュージカルという映画ジャンルは、登場人物が歌いだすと、しばしば物語の進行が止まってしまう。下手をすると、映画としては退屈しかねないのだが、バーンスタインによる原曲の良さ、歌の上手さ、そして都市空間におけるダイナミックな動きがノンストップで続くことによって、むしろ鑑賞者の目と耳を釘付けにさせる。ちなみに、バーンスタインの名曲群は、「トゥナイト(クインテット)」の5重唱や「ア・ボーイ・ライク・ザット/アイ・ハブ・ア・ラヴ」、「アメリカ」など、相反する台詞がぶつかる掛合いの部分が多く、実はけっこうオペラ的であることにも気付かされた。

さて、都市という視点では、鉄球による解体作業中の建設現場と、モダニズム的な再開発を促進したロバート・モーゼスに対する反対運動のプラカードが映っていたように、破壊されていくスラム街とされた地域が舞台だった。そしてオペラ、クラシック音楽、バレエなどのパフォーミング・アーツの拠点となるリンカーン・センターや高層マンションの完成予想図などが示される。すなわち、モーゼス的な都市計画に叛旗をひるがえし、路上の地域コミュニティを重視したジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』(1961)が執筆された時期と重なるだろう(映画の設定は、1957年)。



リンカーン・センター


この映画は臨場感を出すべく、さまざまな場所で野外ロケをしているが、印象的だったのは、マリアとトニーがデートに出かけ、愛を誓うシーンである。これはマンハッタン北端にたつ、ヨーロッパの中世の建築を移築して合体させたクロイスターズ美術館で撮影された。それゆえ、二人の会話の流れだったとはいえ、空間をステンドグラスのある教会に見立てることができたのである。



クロイスターズ美術館


2022/03/08(火)(五十嵐太郎)

名古屋の排除アート

[愛知県]

2020年12月にウェブ版の「美術手帖」にて、「排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン」を寄稿したところ、予想をはるかにうわまる反響があった。というのは、すでに筆者は15年以上前に『過防備都市』(中公新書ラクレ、2004)を上梓し、そこで排除アート(ただし、当時、この言葉は用いておらず、「排除系オブジェ」と呼んでいたが)を論じており、特にもう新しくないものだと考えていたからである。ともあれ、同書では街中で監視カメラが増殖していることと、ホームレスを排除するベンチやオブジェが登場していたことを批判的に論じていたが、前者にはもう慣れてしまい、また実際に犯人の検挙に役立つことから、ほとんど問題視されなくなった。だが、排除アートは身体そのものに影響を与えるためなのか、ウェブの論考を契機に、改めて多くの人が意見を表明している。また直前の2020年11月に渋谷でホームレスの女性殴打事件が発生し、バス停の排除ベンチが注目されたことも大きいだろう。



新宿バスターミナルの排除ベンチ



新宿西口地下の排除アート


排除ベンチも排除アートも、筆者が知る限り、1990年代には存在していたが、いったん気になると、日本中で発見することができる(特に大都市は多い)。ウェブの論考が発表された後、筆者はいくつかの新聞社から取材を受け、排除アートを論じる本を岩波ブックレットで準備中だが、NHK名古屋の番組制作にも協力した。その際、名古屋の排除アートを幾つかめぐり、コメントをしたが、一番強烈だったのは、若宮大通公園の水辺である。ホームレスの居場所になりそうなスペースに、家型のフレームをいくつも設置した後、おそらくそれでも排除できなかったため、今度は鉄筋を水平方向にはりめぐらせていた。さらに柵を追加し、三重に防御しており、景観を和ませるためなのか、最後にお花をつけている。この近くの陸橋の階段は立ち入り禁止の柵で大量に埋めつくし、もはや反転して、本当に現代アート的に見える。実は水上には、1988年に設置された新宮晋の作品も残るのだが、現在は動いていない。かつてパブリック・アートが導入された若宮大通公園は、いまや排除アートだらけである。こうした景観は、現代日本の社会の変化を反映しているかもしれない。



名古屋・若宮大通公園



名古屋・若宮大通公園 柵の花



名古屋・若宮大通公園 禁止柵で埋め尽くされた階段



名古屋・若宮大通公園 奥に新宮晋の作品


2022/03/04(金)(五十嵐太郎)

Chim↑Pom展:ハッピースプリング

会期:2022/02/18~2022/05/29

森美術館[東京都]

筆者の著作『建築の東京』(みすず書房、2020)は、オリンピックにあわせて刊行した東京論だが、実は表紙にChim↑Pomのスクラップ&ビルドをテーマにした展覧会の会場写真を用いている。建築・都市論なのだが、どうしても東京の再開発で使いたい写真がなかったからだ。そもそも同書は、東京におけるデザインの保守化を批判的に論じており、第一章ではむしろChim↑Pomや会田誠らのアーティストの空間的な想像力をとりあげている。つまり、彼らの作品は、建築・都市論の文脈からも刺激的なのだ。

さて、これまでの活動を振り返る「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」は、約8割はすでに美術館やギャラリーなどの会場で見ていた作品やプロジェクトだったが、改めてまとめて鑑賞すると、原爆、震災など、社会的な問題に対し、彼らが一貫性をもった知的なアート・コレクティブであることがよくわかる(しかもコロナ禍の直前に、イギリスでパンデミックの展示も企画)。特に再現展示や、関連するアーカイブ(プロジェクトへの反響やコメントなどを年表やコンピュータのデータによって紹介)が充実しており、総覧できることに意義がある内容だった。

正直、筆者も最初はお騒がせ集団という感じでとらえていた。しかし、渋谷駅の《明日の神話》(1968-69)に311の原発事故を踏まえた絵が追加されたとき、直感的にChim↑Pomの仕業ではないかと思い、後から本当にそうだったと判明したことで、その認識を変えた。今回の展示では、最初の部屋にいきなり仮設の路上空間をつくったように、公共性や道をテーマに掲げている。今度、筆者は排除アートを批判的に論じる本を出版する予定だが、まさにこれと呼応する内容だった。他者を排除する「アート」ではなく、むしろアートによって公共的な道をつくり、空間の可能性を開くこと(例えば、国立台湾美術館のプロジェクト)。今度の本では、地下の排除アートと対比させながら、ロバート・インディアナのパブリック・アート「LOVE」に触れるが、Chim↑Pomもすでにプロジェクト《ラブ・イズ・オーバー》(2014)において利用している。エリイの結婚式のパレードを新宿のデモとして実行し、「LOVE」に集結するというものだ。公共空間やスクラップ・アンド・ビルドへのラディカルな問いかけを行なっており、建築系の人も、見るべき展覧会である。すでに仮設の路上においてウクライナの文字が刻まれていたが、彼らはロシアによるウクライナへの侵攻に対しても何らかのアクションを展開していくのではないか。



「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展示風景 岡本太郎《明日の神話》への介入



「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展示風景 仮設の二階・路上的空間《道》



「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展示風景 国立台湾美術館でのプロジェクト《道》の模型




「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展示風景《ラブ・イズ・オーバー》




「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展示風景 コロナ禍の《May, 2020, Tokyo》



「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展示風景「ビルバーガー」

関連記事

美術館は道を育てられるのか?──「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」と「ルール?展」|田中みゆき:キュレーターズノート(2022年04月01日号)

2022/03/03(木)(五十嵐太郎)

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濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』

約3時間という長尺ゆえに、なかなかまとまった時間がとれず、映画館にいけなかったが、やっと鑑賞することができた。なるほど、傑作である。やはり、映像(ロードームービー的な風景の描写や手話の表現など)と声(車中で聞くカセットテープの音声や多言語による会話など)でしかできないことを実験的に挑戦しつつ、ストーリーテリングの強度も維持しており、まったく飽きることなく、最後まで作品に引き込まれた。また既存のジャンルにあてはめにくい、類例がほとんどない独自の映画なのに、アントン・チェーホフの戯曲、愛車と運転、擬似的な親子関係、贖罪など、驚くほど多様な切り口をもつ。特に演劇をつくる設定になっていることから、まさに演じること、会話すること、物語ること自体をテーマにした点が興味深い。そして広島の現代建築も印象的に登場していた。ドライバーの渡利みさきがお気に入りの場所として案内する、谷口吉生が設計した《広島市環境局中工場》(2004)である。都市軸を意識し、ヴォイドが貫くデザインになっていることも劇中で語られていた。


《広島市環境局中工場》



《広島市環境局中工場》



《広島市環境局中工場》



《広島市環境局中工場》



《広島市環境局中工場》における都市軸


気になって、濱口竜介が監督・脚本を担当した映画は、どれくらい原作と違うのかを確認した。村上春樹の短編集『女のいない男たち』(2014、文春文庫)に収録された「ドライブ・マイ・カー」は、文庫だと50ページ程度の長さである。もちろん、若い女性がドライバーとなるジェンダー的にも意表をついた設定は同じだ。しかし、前述したように映画でしかできない作品に仕上がっており、とくにいくつかのテーマが加えられている。主人公の家福悠介が特殊な作風をもつ演出家であること、子どもを失ったあと、妻の音が物語を語りはじめたこと、舞台が広島になったこと、多国籍・多言語・多世代の俳優たち、みさきの出自、そして身近な人を死なせてしまったという罪の意識などである。これらの要素によって決定的に違う作品になっていた。そもそも原作は基本的に「男たち」の語りになっており、亡くなった音が共通の話題となる男性の俳優同士による奇妙な友情が後半の中心的なエピソードとなるが、映画では女性たちの語りも重要である。そして、広島から北海道まで自動車を走らせ、慟哭を経て、新しい道を歩みはじめるシーンが示されていた。これは原作にはまったくない希望である。


公式サイト:https://dmc.bitters.co.jp

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谷口吉生《広島市環境局中工場》|松田達:artscapeレビュー(2010年03月15日号)

2022/02/18(金)(五十嵐太郎)

開館40周年記念展 扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022

会期:2022/02/05(土)~2022/05/15(日)

埼玉県立近代美術館[埼玉]

コロナ禍では海外から作品を借りにくい状況が続くこともあって、あらためて美術館が所有するコレクションの価値が注目されていると思うが、埼玉県立近代美術館は開館40周年というタイミングが重なり、館そのものの歩みや活動を紹介する展覧会が開催された。したがって、作品だけでなく、関連する資料も陳列し、同館の歴史、収蔵・企画の経緯や方針(埼玉県立博物館からの移管、瑛九のアーカイブ、小村雪岱の挿画や舞台美術、地域の作家、1970年代というテーマ)、そして設計者である黒川紀章にスポットを当てたものである。例えば、初代館長の本間正義の文章(「展示ということ」の連載など)、田中一光がデザインした開館記念展のポスター、黒川のスケッチやドローイング、美術館の基本設計図、模型、工事記録写真、地質標本、「1970年─物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」の展示プラン図や会場記録写真などからは、美術館の背景を知ることができるだろう。なお、黒川は1980年代にいずれも公園の中に立地するポストモダンの美術館三部作を手がけたが、最初が埼玉であり、その後に《名古屋市美術館》(1988)と《広島市現代美術館》(1989)が続いた。


「扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022」展 瑛九の資料展示



「扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022」展 小村雪岱の舞台装置原画



「扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022」展 ナイジェル・ホールの「サイタマ・ミュージアム・プロジェクト」(エスキース)



「1970年─物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」の会場構成など 埼玉県立近代美術館


埼玉県立近代美術館の特徴としては、インスタレーションを試みた田中米吉や川俣正、コインロッカーに作品を設置した宮島達男など、歴代のアーティストが積極的に建築に介入したことも挙げられるだろう。特に田中の《ドッキング(表面)No.86-1985》(1986)は、建築の格子パターンとそろえることで同化しつつも、ヴォリュームとしては直方体が斜めに貫入し、建築と一体化していた。これらは建築が完成した後のサイトスペシフィックな作品だが、奈義町現代美術館(1994)や金沢21世紀美術館(2004)のコミッションワークに継承されるものとして位置づけられる。ともあれ、埼玉県立近代美術館が地方のミュージアムが果たすべき役割を切り開いていたことがうかがえた。

大宮の住宅地に立ち寄り、今年45歳で急逝した柄沢祐輔の代表作、《s-house》(2013)を外から見学した。フォルマリスティックなデザインと大胆なガラス張りの外観をもつ住宅として話題になったものである。さすがに現在は透明な状態では使われていなかったが、以前、ゼミ合宿で見学を依頼していたが、都合がつかず、ようやく訪れることができた。彼は話していたとき、すごい速度で矢継ぎ早にさまざまなアイデアを出していたことが記憶に残る。もっと多くの建築を実現して欲しかった。

2022/02/17(木)(五十嵐太郎)

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