2019年11月15日号
次回12月2日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

横浜市寿町健康福祉交流センター

横浜市寿町健康福祉交流センター[神奈川県]

小泉雅生が設計した横浜市寿町健康福祉交流センターとその上にのる市営住宅のスカイハイツを見学した。これは労働者街として知られる寿町が高齢化するなかで、複雑な与件を解きほぐす複合施設であり、やはり、彼が得意とする実に複雑な建築だ。


横浜市寿町健康福祉交流センターとスカイハイツの外観

ちょうど7月6日、門脇耕三+長谷川逸子「理論としての建築家の自邸」(gallery IHA)において、小泉自邸のアシタノイエがとりあげられ、そのクリティックとして筆者が参加し、再考する機会を得た直後だけに、住宅から公共建築まで、共通のデザイン手法を確認することになった。アシタノイエは、多くの要素を抱え込む設計であり、彼の探求するフィジックス・デザインや環境分析の先駆けとなった(設計作業を通じて、若手のメジロスタジオを育て、ここで暮らした子供2人が建築家になった家でもある)。筆者は15年前にこの住宅を見学したが、周辺の環境が大きく変わり、さらによい雰囲気になったようだ。

さて、横浜市寿町健康福祉交流センターの1階は、朝からラウンジが大勢の人で賑わい、すごく活用されている空間だった。その1階は、建て替え前からあった図書コーナーを継承したほか、多目的室、作業室、調理室を備えている。また2階は庇をもつ街の縁側を外周にめぐらせ、それぞれの部屋に直接アクセスできる公衆浴場、診療所、デイケア、健康コーディネイト室、協働スペースを配置する。


2階部分の外周にめぐらされた、街の縁側


診療所と公衆浴場をつなぐ、街の縁側


建物の下の部分は公衆浴場になっている


公衆浴場では、落語などのイヴェントも開催される

外観の特徴は、新築であるにもかかわらず、すでに年月を経て、増改築されたかのように、小割りにヴォリュームを分節し、素材も変えている。またシンボリックな空気塔のほか、塔状のヴォリュームが林立することも目を引く。そしてスカイハイツは、単身用だけでなく、家族も受け入れられるように多様なプランを用意し、実際、若い層が新しく引越しているという。したがって、高齢者と子供などの多世代が交流する可能性を秘めた建築になっている。


内側から見上げた、シンボリックな空気塔の内部


風で開閉する空気塔の窓

2019/08/08(木)(五十嵐太郎)

あいちトリエンナーレ2019 情の時代(開催7日目)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

4回目の愛知県芸術文化センターでは、「表現の不自由展・その後」の中止に抗議し、韓国の作家2名の部屋が閉鎖され(いずれも北朝鮮を扱う作品)、さらにもぎとられたようで痛々しい。とはいえ、何度か通っても、映像の作品が長いので、まだ全部を見ることができないくらいのヴォリュームがある。



イム・ミヌク《ニュースの終焉》の展示中止を伝える説明パネル


パク・チャンキョンによる、北朝鮮の少年兵を連想させる作品《チャイルド・ソルジャー》も展示中止に

10階の田中功起の作品は、大きな展示室に批評的に介入する空間インスタレーションも興味深いが、鑑賞するのにかなり時間がかかる映像が素晴らしい。今回のトリエンナーレでは、家族や移民など、アイデンティティをめぐる作品が多いが、これも日本に暮らす混血・多国籍のメンバーが互いの記憶や経験を語りあいながら、共同作業によって抽象画を描く試みである。あからさまなプロパガンダではない。しかし、確実に、いま起きている事態への静かな抵抗にもなっている。



田中功起《抽象・家族》の展示風景より


田中功起《抽象・家族》の展示風景より

この日は、展示室からも怒号が聞こえ、後で出入口に行ったら、バケツで水をまいていた人がとりおさえられていた。津田監督のトークイベントも当面は中止か、延期になっており、事態が落ち着き、今回の件をじっくりと説明・議論できる場が設けられ、再開への道を探ることを期待したい。そもそも「不自由展」が展覧会の中のミニ展覧会であり、さまざまな作品の共通点は、過去に排除されたことがあることだけだ(例えば、Chim↑Pom(チンポム)は「福島」や「放射能」の言葉が入っているだけでNGに)。そうした基本的な情報すら理解されず、少女像や天皇の肖像を用いた作品の背景も、まったく理解されていない。芸術の政治利用と批判されているが、作品の一部だけを切り取り、もはや政治が芸術を利用している状態である。しかもメディアが政局化を煽るという最悪のパターンだ。

今回のトリエンナーレはオペラをやめて、ポピュラー音楽にシフトしたが、その目玉となるのが、サカナクションの『暗闇 -KURAYAMI-』である。タイトル通り、ホールの照明をすべて消し、ライブを行なうものだ。かつてゲーテが音楽を鑑賞する際、演奏者の姿が邪魔になると述べたこと、また大きな壁でメンバーが隠されたピンク・フロイドの『ザ・ウォール』のライブなどを想起させる。なるほど、これだけの大空間が本当の闇になると凄い。視覚を遮断することによって、さらに音が立体的になり、音が身体を包み、音が空気の振動で直接に触ってくる実験的な体験だった。「不自由展」も、目に見える部分だけで条件反射しているのではないか。アートには制作者の思想があり、それを切り離して考えることはできない。

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/07(水)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代(開催4日目)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

残念ながら「表現の不自由展・その後」は、開幕3日目で閉鎖に追い込まれた。直接的な理由は、想定外の規模の電凸攻撃と脅迫の多さゆえに、来場者の安全を確保できないこと、またスタッフの精神的な限界である。これは公共施設に対するテロのはずだが、後に警察の初動が鈍かったことが判明している。「不自由展」の作品は、美術館や行政側が自主規制したり、おそらく議員の非公式な接触などが原因で展示中止になったものが多かったように思われたが、今回は、複数の政治家が展示の内容に介入することを公式の場で発言したことに驚かされた。確かに社会のフェイズが変わったことを示している。N国がマツコ・デラックスを批判し、ネット民もそれに同調するなど、杉田水脈や丸山穂高もそうだが、意見が異なる個人への攻撃を扇動するのは、国会議員の職務でないだろう。「不自由展」に対する政治家の圧力と同様、タガが外れている。メディアがこれをどっちもどっちの雰囲気で面白おかしく報道するのも、おかしい。

「不自由展」に関して、筆者が「あいちトリエンナーレ2013」の芸術監督だったことから、4つの新聞社を含む、複数のメディアからコメントなどの依頼が寄せられた。当時、津田監督が外部に向けて十分に発信できなかったのは、おそらく県の施設に殺到した膨大な数の脅迫への対策に追われていたのだろう。3度目に訪れた愛知芸術文化センターでは、本当に可動壁を入れて(上部は空いているが)、その奥の「不自由展」へのアクセスが塞がれていた。もっとも、この部屋は必ず通過しないといけない動線上ではなく、ルートからそれた袋小路となる位置であり、運営上の影響は比較的少ない。



閉ざされた「表現の不自由展・その後」 へのアクセス

情報系や工芸系の作品がある、名古屋市美術館も2周目に挑戦した。初見ではゆっくり時間がとれなかった藤井光の作品は、日本統治時代の台湾における同化教育の過去の映像とその身体運動を模倣する現代の映像を並べている。そう、歴史修正主義が跋扈し、不敬罪という言葉が叫ばれ、確かに2019年が当時とリアルにつながっているのではないか。この数日、「あいちトリエンナーレ」に起きた出来事によって、作品の見え方も変わった。

3つのパフォーミング・アーツのプログラムを鑑賞したが、ベルギーで有名な連続少女監禁殺人事件を題材とし、子供たちに演じさせる形式をとったミロ・ラウ(IIPM)+CAMPOの『5つのやさしい小品』が印象に残った。日本ならばさしずめ、宮崎勤が引き起こした連続幼女誘拐殺人事件の演劇化だろうか。炎上しそうな作品である。しかし、内容は知的に構成され、演じるとは何かのメタ的な視点をもち、この日のもうひとつの演目、ドラ・ガルシアのレクチャーパフォーマンス《ロミオ》に通じるものだった。ところで、『5つのやさしい小品』の冒頭で、思いがけず「イマジン」が歌われ、いまの残酷に分断された日本を想う。


ドラ・ガルシア、レクチャーパフォーマンス『ロミオ』のポスター

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/04(日)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代(初日)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

今回、名古屋で泊まったホテルは、エレベータが止まるたびに、各フロアで派手なコスプレをした外国人が次々と入ってきた。彼らはロビーで集合し、バスに乗って出発していたが、愛知芸術文化センターや隣接するオアシス21でも数多く目撃した。現代アートとコスプレが混在する、なんともカオティックな風景が出現したのは、「あいちトリエンナーレ」のスタートが、ちょうど「世界コスプレサミット2019」の期間と重なっているからだ。

トリエンナーレの初日は、豊田市のエリアをまわった。名古屋市のエリアは、映像などのインストールしやすいものが多い印象だったが、建築的、もしくは空間的な作品はこちらに集中している。特に高嶺格によるプールの床を剥がして、垂直に立てたインスタレーションは、将来、坂茂による豊田市博物館が建設される予定の場所だが、なるべく長く残して欲しい大作だ(なお、運動場に唐突に設置されていた鳥居は、彼の作品ではなく、夏祭りのためらしい)。豊田市のエリアでは、レニエール・レイバ・ノボ、小田原のどか、タリン・サイモンなど、戦争・権力・モニュメントを考えさせる作品が興味深い。



高嶺格《反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで》



レニエール・レイバ・ノボ《革命は抽象である》展示風景


小田原のどか《↓ (1946-1948) 》


小田原のどか《↓ (1923−1951) 》

そしてトリエンナーレの批判にいそしみ、ネットで騒ぐ人たちが好きな特攻隊をとりあげ、歴史・哲学的な考察を加えて、彼らが出陣前に過ごした喜楽亭の日本家屋の構造を生かしたダイナミックな映像インスタレーションのホー・ツーニェンも力作である。なお、豊田市美術館では、東京で見逃したクリムトの展覧会も観ることができた。ファンが多い画家なので、トリエンナーレよりも客の入りがよいのはさすがだった。


ホー・ツーニェン《旅館アポリア》

名古屋に戻り、長者町にて「ART FARMing(アート・ファーミング)」展を独自に開催している綿覚ビルを見学してから、二度目の愛知芸術文化センターで、緊張感が強くなった「表現の不自由展・その後」にもう一度、足を運ぶ。そして夕刻に行われた高山明のレクチャー・パフォーマンス「パブリック・スピーチ・プロジェクト」は、岡倉天心らの大アジア主義を再読し、その簡単な批判ではなく、可能性と限界を検証する試みだった。その手がかりとして、ワーグナー/ヒトラー的なスペクタクルに抗したブレヒト的なズラしの手法やギリシア時代の街が見える屋外劇場のシステムを召喚しつつ、アジアの四都市(名古屋、マニラ、台北、ソウル)をつなぎ多言語のヒップホップ・パーティを10月に開催するという。作家たちの企ては、まさにトリエンナーレをめぐって日本で起きつつあるネガティヴな状況に対するポジティヴな回答になっている。


「ART FARMing」展が開催されていた綿覚ビル

展覧会の初日からネットなどから情報を得た政治家が、不自由展に対する抑圧的な発言を開始し、まさに「情の時代」を証明する状況が初日から起きていた。このときは、英語タイトルに掲げた言葉「Taming Y/Our Passion」、すなわち、「われわれ/あなたたちの感情を飼いならす」ことを期待していた。しかし、筆者にとって「表現の不自由展・その後」は、この日が見納めとなった。(9月8日現在。ただし、同展が会期中に再開されることを強く望む)

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/01(木)(五十嵐太郎)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代(内覧会)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほかほか[愛知県]

「あいちトリエンナーレ2019」の内覧会を訪れ、豊田市以外の会場を駆け足でまわった。津田大介芸術監督とアドバイザーの東浩紀による「情の時代」というテーマを反映し、移民、難民、戦争、記憶、家族、アイデンティティなど、現代社会の諸問題をジャーナリスティックに扱う明快な作品が多い。国際展にふさわしい統一感をもつ内容であり、全体としてのクオリティも総じて高い。練られたコンセプトをもたず、類似した芸術祭が日本国内で乱立するなか、これは高く評価すべき芸術祭だろう。

長者町の代わりに、新しい街なかの会場となった円頓寺・四間道のエリアもよい感じである(暑い夏だと、アーケードはありがたい)。円頓寺では、性別を変えた人たちが名前を叫ぶ映像を制作したキュンチョメ、ある子供の死亡事故をめぐる弓指寛治の作品が印象的だった。また四間道では、津田道子と岩崎貴宏が伊藤家住宅に空間的に介入していた。オープニングは市内のホテルで開催され、大勢の来場者で賑わい、その後も津田監督が自らDJを行なう二次会で盛り上がっていた。パフォーミング・アーツと違い、展覧会は初日を無事に迎えることができれば、最大の関門は突破したも同然である。だが、そのとき、すでにTwitter上では、「表現の不自由展・その後」に対する激しい批判が続々と書き込まれ、ネット民による政治家やインフルエンサーへの告げ口が始まっていた。


キュンチョメ《声枯れるまで》


弓指寛治「輝けるこども」より


津田道子《あなたは、その後彼らに会いに向こうに行っていたでしょう。》
伊藤家住宅にて展示


岩崎貴宏《町蔵》。伊藤家住宅にて展示

今回のトリエンナーレは、事前に男女の参加を同數にするというジェンダー平等の枠組が話題になっていたが、実際に展示が始まると、本人の身体性を前面に出さない限り、作家の性別はあまり気にならない。むしろ、セキュリティなどの理由から、ぎりぎりまで広報を控えていた「表現の不自由展・その後」が、今後は社会に強烈なインパクトを与えるだろうことが、内覧会によって明らかになっていた。実際、筆者がこの部屋に入ったとき、すでに韓国のメディアが取材していたほか、内覧会の途中で、顔見知りの新聞記者から「少女像の展示をどう思うか?」といきなり質問され(その時点で筆者はまだ見ていなかった)、注目度の高さを感じた。しかし、その後に起きた出来事は、はるかに予想を超えていた。



「表現の不自由展・その後」の出品作のひとつ、《平和の少女像》をプレスが取材しているところ


「表現の不自由展・その後」の展示風景については、各種SNSへの写真・動画の投稿を禁止するという炎上対策が取られていた

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/07/31(水)(五十嵐太郎)

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