2020年07月01日号
次回7月15日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

TPAM 劇団態変『箱庭弁当』/アブラクサス『タブーなき世界そのつくり方』

今年のTPAMは、筆者がいくつか鑑賞した限りでは、政治的な題材を扱う作品は少なく、ほとんど人間が前面に出てこないハイネ・アヴダル&篠崎由紀子『nothing's for something』や、伝統舞踊の型を脱構築していくピチェ・クランチェン『No.60』など、むしろ美学を揺さぶるタイプの作品が目立った。ここではディレクションとフリンジからひとつずつ取り上げたい。


劇団態変『箱庭弁当』の出演者は全員、身体障害者である。五体不満足ゆえに、当然、根本から動きは変わらざるをえない。ただし、冒頭は個別の能力がわからず、もやもやした気持ちになっていた。わざと寝そべっているか、あるいは立てないのか? などが判別できなかったからである。またサーカス団の見世物のようにも見え、正直、戸惑った。しかし、やがて鑑賞するうちに、それぞれの出演者の個性を把握すると、通常の身体表現と全然違う動きがどのような仕組みで成立しているか、もしくはその新しい可能性を理解することができた。もっとも単純な立つ、歩く、掴むという行為でさえ、別の方法があるのだ。


TPAMフリンジのアブラクサス『タブーなき世界そのつくり方』は、ベタな演劇である。取り上げている題材は、三重苦の重複障害者としてもっとも有名な偉人であるヘレン・ケラーだ。一般的には屋外で「水」という概念を理解した感動的なエピソードがよく知られており、この作品でもそのシーンは登場するが、むしろ重点を置くのは、その後の彼女の生きざまである。すなわち、ヘレン・ケラーとその教師の実話をもとに、いくつかの改変を加え、障害者差別と人種差別の問題を重ね合わせているのだ。もちろん、彼女に肌の色は見えない。ヘレン・ケラーが労働運動、婦人運動、公民権運動などに参加したのは事実である。だが、そうした彼女に対し、感動的な障害の克服だけを語っていろ、政治や社会に口出しするな、という圧力がかかる状況は、まるでいまの日本のようだ。これは昔のアメリカの話ではない。パラリンピックが開催される2020年においても(新型コロナウィルスの影響でどうなるか微妙だが)、ヘイトがなくなる気配がない現状への問いかけのように感じられた。

TPAM 劇団態変『箱庭弁当』 2020/02/09-2020/02/11 KAAT神奈川芸術劇場
アブラクサス『タブーなき世界そのつくり方』 2020/02/12-2020/02/16 サンモールスタジオ

2020/02/16(日)(五十嵐太郎)

奇蹟の芸術都市バルセロナ

会期:2020/02/08~2020/04/05

東京ステーションギャラリー[東京都]

数年前、学生時代に訪れたバルセロナを再訪したら、完成間近のサグラダ・ファミリアなど、アントニ・ガウディの作品に関して、オーバーツーリズムというべき現象が発生しており、驚かされた。今回、バルセロナ展というタイトルなので、やはりガウディが中心の内容なのかと思いきや、そうではなかった。もちろん、代表作のひとつ、カザ・バッリョーの図面や家具はある。だが、それくらいしかガウディの作品はない。これまでに奇抜な創造者、展示にコンピュータの解析を活用した合理的な構造デザイン、漫画家の井上雄彦とのコラボレーションなど、さまざまな切り口によって、彼は紹介されてきたが、むしろ、この展覧会は彼を生みだした都市の状況を伝えるものだ。19世紀後半の都市改造(グリッド・プランの整備や拡張)、あるいはドメネク・イ・モンタネールやジュゼップ・ジュジョルなど、同時代に活躍し、ガウディと同様、装飾を多用した建築家にも触れている。が、とりわけ、アート界の動向が興味深い。

展覧会の第3章「パリへの憧憬とムダルニズマ」は、パリの影響を受けた前衛芸術家たちをとりあげる。彼らは、カタルーニャ語で近代主義を意味する「ムダルニズマ」を推進し、横断的な総合芸術を展開した。第4章「四匹の猫」は、アーティストのたまり場となり、展覧会、音楽会、人形劇などが催されたカフェの名称である。ここがカタルーニャ文化の発信地となり、若き日のピカソも初の個展を行なう。第5章「ノウサンティズマ──地中海へのまなざし」は、民族性や地中海の文明への回帰に向かう、保守的なアートである。その動向は、1900年代主義を意味する「ノウサンティズマ」と呼ばれた。当時、1929年のバルセロナ国際博覧会が開催されたが、このときミース・ファン・デル・ローエの傑作、モダニズムの極北を提示したバルセロナ・パヴィリオンが登場している。そして最終章「前衛美術の勃興、そして内戦へ」は、ル・コルビュジエやバルセロナのモダニズムの建築家を紹介しつつ、1936年に勃発したスペイン内戦によって、芸術表現が政治化していく。



アントニ・ガウディ《カザ・バッリョー》



ドメネク・イ・モンタネール《カタルーニャ音楽堂》



左:カタルーニャ美術館(万博の政府館) 右:ミース・ファン・デル・ローエ《バルセロナ・パヴィリオン》



2020/02/13(木)(五十嵐太郎)

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「大阪万博 カレイドスコープ─アストロラマを覗く」展、高島屋

会期:2020/01/15~2020/04/19

高島屋史料館TOKYO[東京都]

日本橋の高島屋史料館TOKYO「大阪万博 カレイドスコープ─アストロラマを覗く―」展を鑑賞した。新型コロナウィルスの影響によって、2週間ほど会期が短くなってしまった「インポッシブル・アーキテクチャー」展のトークにおいて、橋爪紳也から聞いていたが、この企画は高島屋が共同出展したパビリオンのみどり館に焦点をあてたものである。建築はカラフルな多面的なドームだ。エントランスでは、吉原治良が監修した具体美術展も開催されたという。

展示では、コンパニオンの制服などもあったが、注目すべきは、全天周映画を鑑賞できる館内の「アストロラマ」(天体と劇を合成した造語)の映像を詳しく紹介していることだ。谷川俊太郎が脚本、黛敏郎が音楽、土方巽が舞踏を担当したものである。頭上から巨大な土方が舞い降りて、踊りだす映像はかなり前衛的であり、当時の子供たちがどのように受け止めたのかが興味深い。ともあれ、その後、さんざん地方博を重ね、広告代理店の仕切りになってしまった博覧会に対し、大阪万博は日本での初めての体験ということで、現在では考えられない尖った人選だったことが改めてよくわかる。



会場風景



さて、久しぶりに高島屋を訪れ、高橋貞太郎が手がけたオリジナルの百貨店(1933)の細部を観察すると、非常に興味深い。全体としては古典的な感覚が残った近代の構造体であるが、斗栱ときょう蟇股かえるまた肘木ひじき、釘隠しなど、さまざまな和風のデザインが散りばめられているからだ。もちろん、帝冠様式が登場した時代背景はあるが、彼が東大を卒業後、明治神宮造営局や宮内省内匠寮などで勤務した経験が大きかったかもしれない。また先行する日本橋の三越にも和風が混入していた。が、高島屋はさらに複雑であり、和風の意匠がカクカクとしており、やや幾何学的に変形された部分には、アール・デコの影響も感じとれる。これも当時、流行していたデザインであり、古典、近代、和風、アール・デコの要素がミックスされた細部なのだ。個人的にはオットー・ワグナーのウィーン郵便貯金局も彷彿させる、皮膜の表現も認められることに感心させられた。



1階吹抜けの見上げ。柱頭は斗栱のモチーフ



屋上のエレベータホールにある折上げ格子天井



外観の湾曲した隅部。軒下に垂木のモチーフ



正面入口付近の蟇股



柱の下部、粽風の意匠


2020/02/12(水)(五十嵐太郎)

ブダペスト─ヨーロッパとハンガリーの美術400年

会期:2019/12/04~2020/03/29

国立新美術館[東京都]

「ブダペスト」展は、国立の美術館で開催されていたことから、政府の指示が出た新型コロナウィルスの対策のため、会期の最後ほぼ2週間が休館になろうとしているが、幸い、その前に2月上旬に二度、鑑賞する機会を得た。ハンガリーの国立美術館のコレクションなどから構成されているが、そもそも同国は西洋美術の歴史においてあまり主役の座に躍り出ることがなかった。ゆえに、前半はルカス・クラーナハ(父)、ティツィアーノ、エル・グレコなど、主に他国の有名な画家の作品を紹介し、辺境から美術史をなぞる構成が続く。そこでモンス・デジデリオこと、フランソワ・ド・ノメの作品に出会うことができたのは、思いがけない収穫だった。狂気の建築画《架空のゴシック教会の内部》 (1621-23頃)は、黒と金の色使いが印象的な小さい作品ながら、緻密に建築のディテールが描きこまれている。だが、純粋なゴシック様式ではなく、古典主義など他のデザインも混淆し、異様な緊張感をはらむ。

さて、「ブタペスト」展が、俄然面白くなるのは、19世紀後半からである。なぜなら、新しい近代的な表現の影響を受けながらも、地域に固有の画家が登場するからだ。例えば、パリで活躍し、貴族の女性と結婚したことで華やかな生活を送るようになった巨匠、ムンカーチ・ミハーイの独特の筆致。本展のチラシに使われた、鮮やかな色の対比をもつ《紫のドレスの婦人》(1874)は、シニェイ・メルシェ・パールの作品である。薬剤師から画家に転身したチョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダルは、見るからにヘンなものはないのに、どこか非現実的であり、忘れがたい街の絵を描く。そして象徴主義やアール・ヌーヴォーの薫陶を受けながら、妖しげな世界を創造するヴァサリ・ヤーノシュである。近代という時代が、情報や手法の伝達が早くなり、それを共有しながら、各自が個性を発揮しやすいプラットフォームを生み出したからではないか。おそらく、その構図は近代以降の建築においてもあてはまる。

*会期終了日は、当初の3月16日(日)から29日(日)まで延期されました。(2020年3月16日現在)

2020/02/08(土)(五十嵐太郎)

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建築から金沢とパリを考える

会期:2020/01/25

しいのき迎賓館[石川県]

しいのき迎賓館で開催された金沢日仏協会の45周年記念事業金沢市民フォーラム「金沢・石川のフランス文化祭発見」の基調講演「建築から金沢とパリを考える」を行ない、その後、フランソワーズ・モレシャンらとの討議にも参加した。

もともと依頼されたのは、金沢とフランスの建築で共通点を見つけて欲しいという難易度が高いテーマだったが(そもそも建築の歴史や街並みが全然違う)、逆に言えば、普段は考えないことであり、一種の頭の体操になる。そこでかなり無理をしたものも含むが、五つのカテゴリーから両者の類似性を考察した。

第一に「純粋幾何学」である。すなわち、フランス18世紀のエティエンヌ・ルイ・ブーレーやロード・ニコラ・ルドゥーが構想した純粋な球体建築と、《金沢21世紀美術館》の明快な円形プランだ(ちなみに、設計者による「まる」というオブジェも10周年でつくられた)。もっとも、前者がシンボリックな表現であるのに対し、後者は脱中心性に向かう。なお、《金沢海みらい図書館》は、大きなキューブである。



ルドゥーの球体建築



金沢21世紀美術館 SANAA《まる》


フランスとのつながりで言えば、SANAAは《ルーブル・ランス》を手がけ、《石川厚生年金会館》 (1977)を設計した黒川紀章は、《ポンピドゥ・センター》のコンペで惜しくも2位だった。もし彼が勝利していたら、同年にパリと金沢で彼の作品がオープンしていた。



黒川紀章《石川厚生年金会館》


第二に「文章を書く建築家」として、いずれも名文で知られるル・コルビュジエと金沢出身の谷口吉郎である。なお、後者の日記を読むと、パリでモネの絵を鑑賞し、日本画や《修学院離宮》との類似性も考察していた。

第三に「様式の伝搬」であるが、金沢にはアール・ヌーヴォーをいち早く導入した武田五一の《石黒ビル》があり、元県庁舎の《しいのき迎賓館》はアール・デコの影響が認められる。また金沢駅鼓門は、いわば凱旋門のタイポロジーを日本化したものだろう。



武田五一《石黒ビル》



しいのき迎賓館


第四は「フランス留学組」。《旧第四高等中学校本館》を設計した山口半六は、1870年代にフランスで学んでいる。彼が手がけた《兵庫県庁舎》はマンサード屋根をもち、はっきりとフランスの影響が認められる。ほかに金沢で町家のフィールドワークを実施した塚本由晴と、金沢都市再編計画2014を提案したり、金沢で歴史的空間再編コンペを企画している松田逹が、やはりフランスに留学していた。



金沢都市再編計画2014


そして第五に「歴史が重層する都市」。金沢は日本ではめずらしく、古い建築から現代の建築まで、さまざまな時代の建築が共存している都市だろう。また昨年、公共施設としては日本初の建築ミュージアムを創設した(谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館)。パリは建築・文化財博物館を備え、まさに歴史が重層する都市でもある。まさに両者にとって一番大事なのは、このポイントではないかと思う。



シーラカンスK&H《金沢海みらい図書館》


2020/01/25(土)(五十嵐太郎)

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