2021年04月15日号
次回5月17日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

TPAM ホー・ツーニェン『Voice of Void』/アイサ・ホクソン『Manila Zoo』ほか

会期:2021/02/06~2021/02/14

[神奈川県]

今年のTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)は、当然ながら、コロナ禍における舞台芸術のあり方を探るプログラムが目立った。言い方を変えると、オンライン、もしくはヴァーチュアル・リアリティをいかに導入するか、である。もちろん、すでにテクノロジーの進化によって、こうした兆候がなかったわけではないが、今回は一気に加速した、いや、せざるをえなかった。

ホー・ツーニェンの『Voice of Void』は、形式的には4人で参加するものだが、相互のインタラクションはなく、また演者はいない。ゴーグルを装着して、リアルな畳の上で動くと、世界が切り替わる。すなわち、じっと静止していると、SF的な空間の広がりをもつ座禅室/少し動くと、茶室における京都学派の座談会/立ち上がると、モビルスーツが漂う空中/寝そべると、監獄という4つの空間だ。初日に体験したせいか、機材の設定トラブルが続き、何度かゴーグルを装着し、おかげで付け方が上手くなったのだが、おそらく、この技術の未来は、舞台の内部に入り込む体験だろう。

さて、6年前にポールダンスを観たアイサ・ホクソンの『Manila Zoo(ワーク・イン・パンデミック)』はKAAT 神奈川芸術劇場で観劇したが、やはりホストをのぞくと、そこに生の演者はいない。それぞれの個室で動物を演じるフィリピン人のダンサー陣の映像、ならびにドイツの電子音楽をリアルタイムで横浜に配信し、大きな画面で観るからだ。コロナ禍ゆえに、家にこもる人間と檻の中の動物が重なり、さらにきちんと機能しない政治への怒りが表明される。もちろん、ただ鑑賞するだけなら、あらかじめ録画された映像を流せばよい。だが、ダンサーが激しい運動を続けた後の休息をかねて、会場のホストと観客を交えたインタラクティブな演出(質問タイム、記念写真、アクション、照明など)が挿入される。そのとき、これが遠い場所だけれども、同時進行のライブであることを痛感した。

ほかのTPAMのプログラムでは、オンライン配信によって、谷賢一(DULL-COLORED POP)の福島三部作を鑑賞した。原発誘致前夜の「反対しなかったな/日本の原発は安全です/寝た子は正しく起こせ」など、各パートにおいて、印象的な言葉が突き刺さり、国外や記憶が薄れる未来に対して意義をもつ作品である。だが、家にいながら画面に向かうだけの視聴だと、途中で映像が止まったり、集中力が散漫になりやすい。以前、第一部の『1961年:夜に昇る太陽』のみは、駒場の小劇場で鑑賞していたが、やはり生で観たい作品だった。

ホー・ツーニェン『Voice of Void』
公式サイト: https://www.tpam.or.jp/program/2021/?program=voice-of-void
会期:2021/01/24〜2021/02/06
会場:BankART Temporary

アイサ・ホクソン『Manila Zoo(ワーク・イン・パンデミック)』
公式サイト: https://www.tpam.or.jp/program/2021/?program=manila-zoo
会期:2021/02/09〜2021/02/11
会場: KAAT神奈川芸術劇場

2021/02/09(火)(五十嵐太郎)

神奈川の新しい大学建築

[神奈川県]

数年前、BCS賞の審査員を担当したときに気づいたのが、大学の施設に力作が多いことである。なぜか。公共施設は、炎上を避けるべく、コストを抑えながら、つくることが求められる。また商業施設も、話題のプロジェクトはあるが、バブル期に比べると、やはり冒険がなく、また海外の同じビルディングタイプと比べて、おとなしい。そうした状況にもかかわらず、少子化の時代において、学生を獲得することを考えて、特に私立大学は新しい施設に力を入れているのではないかと思われた。実際、学生が見学に訪れるオープンキャンパスにて、魅力的な空間は効果を発揮するだろう。最近、神奈川県に登場したすぐれた大学建築を2つ続けて見学する機会を得た。

ひとつは春にオープンする石上純也の 《神奈川工科大学KAIT広場》である。これはデビュー作がいきなり日本建築学会賞(作品)に輝いた《KAIT工房》(2008)のすぐ背後につくられた。《KAIT広場》のプロジェクト自体は、筆者の記憶によれば、2008年の豊田市美術館での個展「建築のあたらしい大きさ」において、すでに紹介されていたが(当時は「カフェ」だった)、なかなか着工せず、いつになったら完成するのだろうと思っていたが、それがついに完成したのである。おそらく、公共建築ならば、年度単位の予算執行などを考えると、こんなに待たされないだろう。ともあれ、土木的なスパンと身体・微細なスケールのありえない共存、光のうつろいを増幅する開口部など、再び奇跡的な空間が誕生した。見えない部分に錘を埋めるといった構造は、《テーブル》(2005)でも試みられていたが、《KAIT広場》はさらに大胆なデザインを展開している(なお、空間の詳細は、筆者が寄稿した『毎日新聞』2月17日夕刊を参照されたい)。



《KAIT広場》の内部。無数の開口部から光が差し込んでくる



天井と床が湾曲した《KAIT広場》内部では、遠くの人物の上半身が見えないこともある



《KAIT広場》の屋根部分。ランダムに配された矩形の開口部が見える



オープンから12年後の《KAIT工房》


オンデザイン(萬玉直子+西田司ほか)による《まちのような国際学生寮(神奈川大学新国際学生寮・栗田谷アカデメイア)》(2019)は、住宅街にあるため、外部への表出は控えめとし、その内部に驚くべき共有空間を創造した。「ポット」と命名された小さな居場所が階段の踊り場に設けられ、吹き抜けのあちこちに浮かぶ。またポットはすべて用途やデザインが異なり、圧倒的な多様性を実現するための設計も施工も大変だったと思われる。個室の面積は絞られているから、必然的に学生の出会いを誘発するだろう。



《神奈川大学新国際学生寮》外観



《神奈川大学新国際学生寮》内部に設置された「ポット」



《神奈川大学新国際学生寮》の吹き抜けと「ポット」


さて、歩くごとに様々なシーンが展開することに感銘を受け、現地で多くの写真を撮影したのだが、後で確認すると、なかなか写真で表現するのが難しい建築であることに気づいた。どの写真も、実際に見たときの印象の方がよい。《KAIT広場》は、刻々と表情が変化し、いつどのように撮っても絵になるフォトジェニックな空間だが、《新国際学生寮》の場合は、また別の撮影技術が必要なのだろう。

2021/02/08(月)(五十嵐太郎)

宮島口旅客ターミナルと尾道駅

[広島県]

広島の建築とミュージアムをまわった。広島駅も大々的な改修中、ならびに駅ビルの建て替え工事を行なっていたが、ツーリズムやインバウンドを意識して、交通関係の新しい施設が登場している。乾久美子が設計した《宮島口旅客ターミナル》(2020)は、あいにくコロナ禍のために、商業関係のエリアはほとんど休業中だった。もっとも、緩やかに傾斜する大きな屋根と、白い柱のリズムと、小分けにしたボックス群のプロポーションと構成が、建築の特徴となっており、ひと気が少なくても空間は凛としている。屋根の下は、中央を走るトップライトから光が落ち、明るい半屋外の空間であり、遠くに海も見える。さらにフェリーの乗船時は、桟橋をおおう水平屋根が、きれいに海の風景を切り取る。なお、このプロジェクトは単体の計画ではなく、まちづくりグランドデザインの一部であり、今後、さらに隣接する広場や駅舎など、周囲の整備が進むという。乾は《延岡駅周辺整備プロジェクト》(2018)でも、地域を再編成する力量を示していたが、全体像が姿を現わしたとき、再び訪れたい。



中央のトップライトから光が落ちてくる《宮島口旅客ターミナル》



《宮島口旅客ターミナル》のディテール。分節された直方体のヴォリューム


海から見た《宮島口旅客ターミナル》の全景


翌日、アトリエ・ワンがデザイン監修で関わった《尾道駅》(2019)に足を運んだ。これも屋根が印象的な建築である。分節しつつも、全体としては、背後の山を意識した大きな傾斜屋根にも見えるデザインだ。昼の時間帯だったので、駅ナカのカフェでランチを食べようと思っていたのだが、衝撃だったのは、JR直営の1階のコンビニ以外の全店舗とホステルが、おそらくコロナ禍を受けて、撤退していたことである。場所を読み、什器レベルの細かいデザインによって、人々のふるまいを仕掛けた建築なのだが、誰もいないために、生き生きとしていない空間は寂しい。



傾斜屋根が印象的な《尾道駅》



什器までデザインされた《尾道駅》の駅ナカ。いかんせん、人がいない


こうした状況ならば、倉庫をカッコよくリノベートした《ONOMICHI U2》(2014)は、どうなっているかが気になったので、駅から10分くらい歩いて向かった。こちらは時間短縮しながらも、それぞれの店舗や hotel cycle(ホテル・サイクル)が営業を継続していた。ちなみに、レストランなど、店舗の価格帯は《U2》の方が高い。そうすると駅の方のテナントは、すぐ隣に大型の商業施設があるのだが、そもそも賃料が高すぎたのだろうか。



《ONOMICHI U2》の外観



《ONOMICHI U2》の内部空間


2021/01/29(金)(五十嵐太郎)

八戸の文化施設をまわる

[青森県]

西澤徹夫+タカバンスタジオが設計した《八戸市美術館》の現場を訪れた。すでに工事はおおむね終了しており、広場などが整備され、オープンを待つ状態だったが、やはり印象的だったのは、高さ18mに及ぶ「ジャイアント・ルーム」である。頭上から明るい光を導き、工場のような空間だった。


偶然かもしれないが、実は八戸は、臨海部に工業地帯を抱えた工場のまちでもある。それゆえ、2013年から「八戸工場大学」(八戸工業大学の間違いではない。念のため)という事業を推進している。これは工場景観や産業遺産を学んだり、プロダクトに関連するワークショップを開催するほか、アートプロジェクトを行なうものだ。例えば、2018年に解体される煙突をライトアップする「さよなら、ぼくらの大煙突」が実施されている。かつて刊行されていた青森エリア限定でとりあげる建築雑誌『Ahaus(アーハウス)』3号(2005)でも、八戸セメント株式会社や八戸火力発電所など、八戸の産業遺産が紹介されていた。こうして考えると《八戸市美術館》は、そのスケール感覚において地域の文脈を継承したのかもしれない。



床に示された、新しい《八戸市美術館》のプラン


八戸の工場を推したり、《八戸市美術館》の活動場所にも使われているのが、《八戸ポータルミュージアム はっち》(2011)だ。はっちとは、「市の玄関口となる博物館」をコンセプトに掲げ、産業、産物、歴史など、様々な切り口からまちの魅力を展示する小さなブースやエリアの集合体である。インフォメーション・センターが立体化したような建築だが、レジデンスや展覧会など、アートプロジェクトも推進している。



《八戸ポータルミュージアム はっち》外観



《はっち》内にある、八戸の工場紹介コーナー



《はっち》内にある展示ブースの様子



八角形をした《はっち》の吹き抜け


実は、まちづくり文化推進室が、はっちや《八戸市美術館》を担当しており、ほかに書店を運営する《八戸ブックセンター》(2016)や、屋内型広場の《マチニワ》(2018)なども関わっている。すなわち、アートと文化によるまちづくりを明快に打ちだしており、一連の流れにおいて《八戸市美術館》は位置づけられているだ。2011年から南郷アートプロジェクトも継続しており、突然、ハコものが整備されたわけではない。



《八戸ブックセンター》店内の様子



《マチニワ》の内部


なお、《八戸市美術館》は、建築計画の佐藤慎也が館長に就任し、さらに《十和田市現代美術館》、《青森県立美術館》、《国際芸術センター青森》、《弘前れんが倉庫美術館》と、青森県内の建築デザインが特徴的な5館の連携協議会を発足している。オープン後、どういう展開をするか楽しみだ。

参考サイト:
青森アートミュージアム5館連携協議会:https://aomorigokan.com

2021/01/22(金)(五十嵐太郎)

山形 美の鉱脈 明治から令和へ

会期:2020/12/10~2021/01/31

山形美術館[山形県]

サブタイトルに「明治から令和へ」とあるように、山形美術館の収蔵品を中心に展示し、一挙に蔵出しする内容だった。全体は1章「肖像 自己と他者」、2章「かたち ミディアムの可能性」というふうに6章に分かれているが、ところ狭しと並べられた作品数が膨大なので、個別の説明はなく、キャプションも壁につけられず、番号を見ながら、ハンドアウトで作家名と作品名を確認することになる。山形的なるものを基調としようとしているが、作品を絞って選んだわけではなく、またテーマも大づかみにならざるをえないので、むしろ鑑賞者の読解に委ねられるだろう。読みとるラインはさまざまだが、鉱脈の中で際立つのは、6章「場所 アノニマスとコレクティヴ」における三瀬夏之介らの試みである。2009年に東北芸術工科大学でスタートとした「東北画は可能か?」のプロジェクト、1930年代の東根市長瀞小学校における想画教育の再発見、文化財を修復する「現代風神雷神考」などだ。彼らの活動からは、決まった枠組に収束し、排他的になっていく地域性ではなく、開かれた地域性への志向が読みとれる。

さて、1964年に開館した《山形美術館》は、実は公立ではない。《青森県立美術館》が2006年にオープンしたとき、これで全国の都道府県に県立美術館が揃ったと思っていたが、山形県はまだなのである。展示の途中、壁に大きな年表があって、これが興味深い。戦後のかなり早い時期に、美術館設立の動きがあったものの、地元の美術家が公立化に反対したという。なぜか。敗戦前の官による検閲の苦い記憶があったからだ。そうした意味では、公立化には動きが早すぎたのかもしれないが、一方で近年、自己検閲が再び注目されていることを想起すると、これは過去の話ではない。その結果、民間の山形新聞が音頭をとって、県と市が協力して美術館が設立された。なお、現在の建築は、開館から20年程で建て替えられ、1985年に再オープンした二代目である。地元で多くの建築を手がけ、家型のデザインを作風とする本間利雄が設計した。やはり、大きな切妻屋根が印象的な建築だが、外観の壮大さに比べると、内部に吹き抜けはなく、展示室もそこまで大きくない。また、常設の吉野石膏コレクションは、フランス近代絵画の教科書的な作家を揃えており、後発の地方美術館にはないものだ。


本間利雄設計の《山形美術館》。大きな切妻屋根が印象的だ

2021/01/20(土)(五十嵐太郎)

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