2020年12月01日号
次回12月15日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

油津商店街

[宮崎県]

菊竹清訓が設計した《都城市民会館》の保存問題が最初に起きて以来なので、およそ10年以上ぶりに宮崎県を訪れた。もっとも、新型コロナウィルスの影響で、見学しようと思っていたほとんどの公共建築が閉鎖されていた。坂倉準三による色タイルが印象的な《宮城県総合博物館》(1971)、岡田新一による石材を多用する重厚な《宮崎県立美術館》(1995)、安井建築設計事務所による列柱廊をもつ《宮崎県立図書館》(1987)などである。



岡田新一による《宮崎県立美術館》の外観


そこで宮崎駅から約1時間半の遠出をして、日南市の油津に足を運んだ。あまり知らなかったが、町おこしで注目されている、有名な商店街がある。駅舎は真っ赤に塗られ、「Carp」の文字も刻まれており、日南市に半世紀以上キャンプを張っている広島東洋カープを応援している街だった。また駅前を歩くと、閉ざされたままの店舗は多いが、途中の駅に比べると、はるかに店の数が多く、かつてここが港で栄えていたこともうかがえる。40年前までは、マグロ漁や杉材の積み出しで賑わっていたらしい。


真っ赤に塗られた油津駅舎


日南市の市街地活性化事業によって、2013年に木藤亮太がテナントミックスサポートマネージャーに選ばれ、ここで暮らしながら、様々な空き店舗の活用を実践している。カフェのリノベーション、ABURATSU GARDEN(コンテナ群による小店舗)、IT企業を誘致したオフィス、ゲストハウス、レコードを自由にかけるコミュニティ・スペースなどだ。



商店街に誘致された油津のカフェ



ABURATSU GARDENの様子

他にも油津では、2017年に《ふれあいタウンIttenほりかわ》(商業施設+医療介護施設+子育て支援センター+市民活動のスペース+居住施設)が誕生し、運河沿いの堀川夢ひろばでイベントを行ない、街の歴史や見所を説明する看板を設置している。建築のプロジェクトとしては、多世代交流モールのコンペが行なわれ、設計者に水上哲也が選ばれ、2015年にオープンした。鉄骨造のスーパーマーケットの1スパンを減築によって間引くことで、二分割し、あいだに中庭を設け、両サイドをそれぞれ多目的スタジオなどの集会スペースと飲食スペースに変えたものである。油津では、点を線に、そして面に広げようとしている街づくりが進行中だった。



運河沿いの堀川夢ひろば



多世代交流モールの中庭



こちらも多世代交流モールの中庭(水上哲也:設計)

2020/03/10(火) (五十嵐太郎)

SDL:Re2020

会期:2020/03/08

せんだいメディアテーク[宮城県]

毎年、3月は仙台で会おう、というかけ声のもと、全国から2000人以上の学生が集まり、卒業設計日本一決定戦を開催する「せんだいデザインリーグ(SDL)」。このイベントは、せんだいメディアテークの年間行事のなかでもブロックバスター的な動員を誇るものだ。しかし今年は開催直前に、新型コロナウィルスの感染防止のため、イベントの自粛を安倍首相が全国に呼びかけたため、いったんは中止を検討していた。2011年は、審査日の後に東日本大震災が発生したため、展示がダメージを受けたが、今回は展示だけでなく、審査そのものがなくなる可能性があった。

しかし、なんとかこの危機を違うかたちで受け止め、可能な方法により代替企画を急いで構築し、実験的な「SDL:Re2020」(せんだいデザインリーグ2020卒業設計日本一決定戦 代替企画)が開催された。せんだいメディアテークの5階、6階を埋めつくす、数百の模型と図面の展示は中止し、その代わりにネットで作品データを送ってもらい、それをもとに無観客の状態で審査員が議論するというものだ。「人が集まってはいけない」というのが厄介であり、スタッフの人数も制限したことが特筆される。



「SDL:Re2020」の運営をめぐる会議風景

急遽、スタイルが変わった企画に対し、200余の作品が集まった。従来に比べると、大幅に応募数は減ったわけだが、逆に言えば、作品ひとつあたりにかけられる時間が増えたことは、悪くなかったように思う。出品数が600を超えたときなどは、どうしても瞬間的に多くの情報を伝達する模型に頼ってしまう。だが、今回は模型がなく、じっくりと作品のファイルを読み込む審査だった。そのせいか、時間の中で変化していくタイプの作品が多く残ったかもしれない。



「SDL:Re2020」の審査風景

当初、20まで作品を絞り込んだ後は、シンポジウム形式で議論する予定だったが、審査委員長の永山祐子らの強い要望によって、暫定日本一、二、三を決めることになった。結果としては、アナログな産業系の建築が多いことも今年の特徴だったが、そうした傾向を象徴するかのように、海苔と塩の生産施設が暫定日本一に選ばれた。直接対面の質疑は叶わなったが、ネットを通じて、各地にいるファイナリストとやりとりをすることはできた。大勢の観衆の前で舞い上がるプレゼンテーションをよく見ていたので、学生もリラックスしながら質疑に応えたのが印象に残った。今年の実験は、おそらく来年再開される「SDL」の方法にも影響を与えるだろう。



「SDL:Re2020」の配信風景

参考サイト:せんだいデザインリーグ2020(SDL) http://sendaisendai.sun.bindcloud.jp/

2020/03/08(日)(五十嵐太郎)

ポスト・コロナとシアターコモンズ’20

会期:2020/02/27~2020/03/08

港区エリア各所[東京都]

新型コロナウィルスの影響により、公演の自粛が増えてゆくなか、幸い、シアターコモンズが企画した、小泉明郎の『縛られたプロメテウス』を体験することができた。実はこれが二度目なのだが、一度目のあいちトリエンナーレ2019では、機器の不具合によって、VRの半分はカラフルな自然ののどかな風景を見ていたという未消化の体験だったため、もう一度完全なかたちで見ておきたかった作品である。やはり、脚本=朗読されるテキストの内容と、後半でその意味が明らかになるコラボレータの選択が傑出している。おそらく、今後もVR技術が日々進化するので、これよりもインパクトのある映像体験は簡単につくられるだろう。いや、すでに存在している。だが、作品がトータルでもたらす世界観の強度は減じないのが、まさにアートの価値だろう。


また同日の夕方、リーブラホールにて、ジルケ・ユイスマンス&ハネス・デレーレ『快適な島』を鑑賞した。壇上の二人が一言もしゃべらず、立ったままスマホを操作するだけなのだが、ドキュメタリー映像をその場で編集・上映するドキュメンタリー演劇だった。鉱石開発によって世界中の資本主義と接続し、翻弄された小さな島のテーマも興味深いが、上演形式そのものが考えさせられる作品である。考えてみるとこの後、筆者は演劇をひとつも見ていない。現時点ではこれが、最後の観劇だった。


改めてこれらの作品を思いだすと、いずれもポスト・コロナの作品としても興味深いように思われた。すなわち、小泉の作品は現存しない世界をVRで体験させており、ゴーグルの機器が一般化すれば、会場に足を運ばなくても成立するかもしれない。しかし(ネタバレになるので、ここでは詳しく書かないが)後半の展開はやはり人が集まることに意味を持たせる演出になっている。

またスマホを操作し、その画面を鑑賞するドキュメンタリー演劇の『快適な島』は、類似した例だと、内容はフィクションだが、父が行方不明の娘を捜索する『search/サーチ』(2018)のように、パソコンの画面だけを用いた映画作品があった。これはリアルタイムで操作しているライヴ感さえ確保できれば、それぞれの自宅で十分に鑑賞ができるかもしれない。自粛ムードの出口がしばらく見えないなか、上演の方法も問われるだろう。


公式サイト:
小泉明郎「縛られたプロメテウス」
https://theatercommons.tokyo/program/meiro_koizumi/
ジルケ・ユイスマンス&ハネス・デレーレ「快適な島」
https://theatercommons.tokyo/program/silke_huysmans_hannes_dereere/

2020/03/06(金)(五十嵐太郎)

尾崎森平「1942020」

会期:2020/02/18~2020/03/01

ギャラリー ターンアラウンド[宮城県]

仙台の現代美術のギャラリーにて尾崎森平の個展が開催され、トークのゲストとして招かれた。彼は、真っ青の空とクリーム色の地面を背景に「今春オープン」というイオンの看板が立つ《Mirage》や、遠景に山が見える広大な空き地に不動産の宣伝看板が立つ《売り地》など、地方のフラットな風景を簡略化、ならびにやや抽象化しつつ、カラフルな配色で作品を制作している。さて、今回の展覧会のタイトル「1942020」は、イタリアで中止になった1942年のローマ万博の都市EURと、東京2020オリンピックの年号を合体させたものだ。注目すべきは、ムッソリーニが推進したファシズム期のイタリア合理主義の建築をモチーフとしていること。すなわち、尾崎の作品において、現在はフェンディの本社になっているイタリア文明宮(この建物は第12回恵比寿映像祭[2020]において、ローマ・オリンピック1960で活躍したアベベ・ビキラをテーマとしたニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニの作品でも使われていた)がラブホテルに、あるいはアダルベルト・リベラが設計した会議場は浴場やセレモニーホールに変容している。ほかに列柱(!)があるコンビニ、ムッソリーニが糾弾されたシーンを重ねあわせた洗車場なども展示されていた。

もっとも、本来、EURの街区は人が歩くスケールを超え、ファシズム建築もメガロマニアックな傾向をもち、基本的に巨大であるのだが、尾崎が平坦な日本の地方の風景に溶け込ませると、必然的にサイズを縮小せざるをえない(本人はイタリアを訪れたことがないという)。その変容プロセスは、ゴシック様式のウェディングチャペルとも似て、いかにも日本らしい。モダニズムと古典主義を調停した合理主義の建築が、全然違う文脈に放り込まれることで、少し違和感を残しつつも、意外に地方でありそうなキッチュな建築になっているのが興味深い。尾崎は「表現の不自由展」のように、はっきりと政治的なメッセージを出しているわけではないが、日常に浸透するファシズムを読みとることも可能だろう。一方でそれを簡単に批判するのではなく、ファシズム建築に魅せられるわれわれをも示唆しているかのようだ。

2020/02/25(火)(五十嵐太郎)

俳優座劇場プロデュースNo.109 『彼らもまた、わが息子』/演劇研修所第13期生修了公演『社会の柱』

2007年から窓学のリサーチ・プロジェクトに関わり、先日、その成果のひとつとして、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」(東京国立近代美術館)が開催された。東北大学五十嵐研では、主に窓の歴史とその表象を分析しているが、テーマはさまざまな広がりをもつ。すでに美術、漫画、映画、広告などのジャンルは着手したが、他にも演劇の舞台美術における窓、あるいはインテリア・デザインにおける窓などが、調べられるのではないかと考えている。


先日、俳優座劇場において、アーサー・ミラーの重い原作をもとに桐山知也が演出した『彼らもまた、わが息子』を観劇した。アフタートークを聞いて、訳者の水谷八也による現代日本の口語になじませる苦労と解釈も興味深かったが、とりわけ印象的だったのは、舞台の前面にプロセニアム・アーチのような巨大なフレームが自律して設置されていたことだった。この抽象的な白い窓をまたぐと、俳優は物語世界に入るのだが、デザインとしても家屋のポーチの枠や奥の壁に表現された窓の群と呼応している。ほかにも不在を示す椅子の群、見えない木と林檎など、舞台美術はさまざまな工夫が施されていた。ちなみに、この演劇における囲われた世界=庭と過去は、いまだ太平洋戦争の歴史の亡霊に取り憑かれる現代日本の話でもあるだろう。


宮田慶子が演出したイプセンの『社会の柱』は、ノルウェーの小さな港町を舞台とする1877年の作品だが、まったく古びれず、現代に通用するのは、近代化というパラダイム、あるいは偽善的な村社会vs自由と真実の新世界という構図をわれわれが共有するからだろう(いささかアメリカが理想化されすぎているが)。特に悲劇を予感させる後半の展開は、目が離せない。舞台美術としては、大きなカーテンと両側の古典主義風の柱によって窓であることが表現された四角いフレーム(その中央の下側には具象的な扉がある)が、家屋の内外を区切る。その奥には何も支えない白い柱群が並ぶ(タイトルからのインスパイアか?)。窓学を通じて、窓は物語を駆動させる重要な装置であると確信したが、演劇においてもそれが当てはまるのではないかと考えている。


俳優座劇場プロデュースNo.109 『彼らもまた、わが息子』 2020/02/07/~2020/02/15 俳優座劇場/鑑賞日:2020/02/08(土)
演劇研修所第13期生修了公演『社会の柱』 2020/02/21~2020/02/26 新国立劇場/鑑賞日:2020/02/22(土)

2020/02/22(土)(五十嵐太郎)

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