artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
インドの街並みと建築
[インド]
およそ25年ぶりにインドを訪れた。現代の中国のように、劇的に風景が変わっているのではないかと思っていたが、街のバザールは相変わらず混沌としており、路上では各種の乗り物のほかに、象、馬、牛、犬、猿などの動物も見かけるし、少なくとも観光地の周辺はそれほど変わっていなかった。歩く人々がスマートフォンを持っていたり、地下鉄や公衆トイレが増えたり、人力のリクシャーに対してオートリクシャーの比率が少し増えたくらいか。新興のエリアは別の場所なのだろう。こうしたカオス的な空間にもかかわらず、建築のデザインはきわめて幾何学的である。
ニューデリーの都市計画は、20世紀初頭にイギリスが手がけ、整然とした軸線や円形のプランが支配している。とはいえ、信号や横断歩道がほとんどないため、使われ方は無茶苦茶だ。初日の午前にデリーで見学した建築群は特に美しかった。階段井戸のアグラセン・キ・バーオリーは、壁を抜けて足を踏み入れると、突如、地下に奥深く切り裂いた壮観な眺めが展開する。掘削による構築的な空間は、アジャンタやエローラの寺院に通じるが、宗教的な装飾やアイコンがない分、さらに抽象的である。なお、小さな穴に無数の鳩が棲みつき、動物にもやさしい建築なのだが、糞の直撃弾を食らい、ひどい目にあった。
ここニューデリーにある天文台ジャンタル・マンタルは、天文観測機械が巨大化し、建築的なスケールを獲得したものだが、その空間を人間が使えないため(大きな曲面はスケーターに格好の素材かもしれない)、巨大な抽象彫刻のようだ。類似例は他の都市でも見たことがあるが、ここはビル群と近接し、独特の幾何学が際立つ。周辺の近現代建築としては、マンディ・ハウス駅周辺のル・コルビュジエ的な形態語彙をもつ文化施設のほか、チャールズ・コレアの《ブリテッシュ・カウンシル》や、大屋根をもつ《ジーバン・バラティ・ビル》(補修中だった)、ラージ・レワルによる丹下風の《STCビル》(模型がポンピドゥー・センターのコレクションになっていた)などが挙げられる。いずれも乾いた幾何学を感じるデザインだった。
左:アグラセン・キ・バーオリー 右:ジャンタル・マンタル
2018/01/06(土)(五十嵐太郎)
インド《国立博物館》《国立近代美術館》
[インド]
インドのミュージアム事情について触れておこう。《国立博物館》は、1階がハラッパーの文明、仏教の彫刻、細密画、工芸。2階が硬貨、船舶、ラーマヤーナ。3階が部族、楽器、兵器などを展示し、コレクションは見応えがある(特に仏教系)。ただし、展示デザインは洗練されていない。また3時間滞在したが、カフェが潰れていたので困った(つまり、飲食できない)。近代建築を転用した《国立近代美術館 本館》は、DHARAJ BHAGATの回顧展を開催していた。優れた作家だが、作品の並べ方の意図がまったく不明である。《国立近代美術館 新館》の常設展示も、年代や系譜による分類のほか、美術史の解説などが一切なく、これでは門外漢にはまったくわからない(なお、テキストはヒンズー語がなく、英文のみ)。《新館》の現代建築は外観こそ立派なのだが、内部空間はあまり展示に向きではなかった。そして驚かされたのは、ほとんど閉鎖しているかのようなカフェの寂しさである。
つまり、モノを置いているだけで、来場者にわかりやすく伝えようという意識が感じられない。また美術を鑑賞したあと、カフェで休むという行動も想定されていない。それは《国立ガンディー博物館》も同様である。ここは質素な展示で、偉人の生涯をたどりながら写真を並べるだけなのだが、それはそれで結果的にガンディーらしさを感じないわけではない。ここでも屋内で飲食できるカフェを探したが、屋外に小さな屋台があるのみだった。一方、晩年に身を寄せた富豪の家を改造した《ガンディー記念博物館》は、2階にこれみよがしのマルチメディア展示があったのだが、かえって操作が面倒なわりには、内容は子供だましでほとんど情報量がない。これならば、写真や史料などでたんたんと事実を伝えるアナログの展示のほうがましだ。なお、周囲が高級住宅街であり、大きな土産物店も備えていたので、レストランくらいあるのかなと期待したが、飲食できる施設はなかった。
左:「DHARAJ BHAGAT」展、展示風景 右:《国立近代美術館新館 新館》の寂しいカフェ
《国立近代美術館新館》外観
2018/01/04(木)(五十嵐太郎)
《タージ・マハル》《アーグラ城塞》
[インド]
学生時代にインドをまわったときに、次のように感じた。ここでは純粋に建築を鑑賞しづらい、と。なぜなら、公共交通機関があまり整備されておらず、移動にかかる労力が半端なく、目的地に行くために、リクシャーともめたことなど、旅のノイズを思い出すからだ。今回そんなことはないように移動手段を選んでいたが、デリーからアーグラへの日帰りで大変な経験をした。あらかじめインド人の元留学生から、冬のインドはスモッグがひどいと警告されていたが、本当だった。まず早朝に出発した鉄道は、濃霧なのかスモッグなのか判別しがたいが、視界不良のため、止まっては進むを繰り返し、4時間近く到着が遅れた。昼過ぎには少し天候が良好になったが、25年ぶりの《タージ・マハル》は霧の中で幻想的な風景だった。それにしても、インドで最も有名な世界遺産は、昔に比べて、とんでもなく混んでおり、世界規模での大衆ツーリズムの急成長をここでも感じる。
《アーグラ城》のほうが空間体験の記憶がよく残っていた。観念的かつ工芸的な廟ではなく、人が使う宮殿ゆえか。実際、これはイスラム、ヒンズー、ベンガルの地域性を融合し、複雑なデザインの操作が興味深い。赤砂岩と白大理石の対比も効果的だ。なお、到着の遅延がひびき、《ファティプルシクリ》再訪はかなわず。最悪なのは帰りのバンだった。厳寒のなか車中にまともな暖房がなく、再び霧に覆われ、視界はせいぜい数m。離れすぎると前後左右のクルマが見えず、方向性がわからなくなるため、短い車間距離のまま、団子状に高速道路を移動する。日本ならあまりに危険なので、高速閉鎖だろう。事故にあわずに生還できるか? と思う恐ろしい体験だった。ついには高速の途中で運転手が休憩所で朝まで過ごすと言いだす(結局、6時間かけてデリーに戻ったが)。映画『ミスト』の最後の絶望的な気持ちを理解できなかったが、ずっと視界を失うリアルな体験をして、少しわかった。
左:鉄道、車窓の風景 中右:《アーグラ城塞》
2018/01/01(月)(五十嵐太郎)
朴烈
ソウルからデリーに向かう大韓航空の機内で韓国の映画『朴烈』を見る。関東大震災が引きおこした朝鮮人虐殺を放置しておきながら、あまりに収拾がつかなくなり、その治安維持を目的として、象徴的に逮捕された運動家と日本人の金子文子を取り上げたものだが、恥ずかしながら、全然知らない史実だった。したがって、台湾の部族による抗日蜂起・霧社事件を壮絶な長編映画『セデック・バレ』が教えてくれたように、この映画も戦前の日本に対していかなる抵抗があったかを被支配者側の国から、忘れてはならない記憶としてつきつける。アナーキストの同志となった朴と貧しく恵まれない境遇の金子(いまの大学生か院生くらいの年齢!)は、天皇襲撃の容疑で大逆事件の裁判にかけられる。その過程で精神鑑定が行なわれるあたりは、大本教が弾圧された後、論理的な手続きで裁判するよりも、教主の出口王仁三郎の頭がおかしいことにしようとしたことを想起させる。
映画の後半は、独房に閉じ込められた2人の裁判闘争である。興味深いのは、シリアスな内容だが、ユーモアも感じさせることだ。その理由は強烈な2人のキャラ設定もあるが、例えば、最初の公判では、2人が民族衣装をまとい、メディアに対する演説の場に変えてしまった(その後、裁判は非公開に)。実際、この裁判は簡単に決着がつかず、問題が大きくなるほど、かえって政府側は窮地に立たされていく。一方で死刑判決を覚悟した2人は、獄中で結婚し、どちらかが亡くなったら、家族の権利として骨をひきとると誓う。朴の生涯を調べると、これ以外にも波瀾万丈のエピソードがあり、驚くべき人物である。ちなみに、映画は多くの日本人役も韓国人が演じ、日本語をしゃべっている。2017年に公開され、韓国でヒットしたらしい。劇中の彼らの主張は天皇批判を含むが、はたして本作品はネトウヨが騒ぐ日本でも公開されるのだろうか。
2017/12/30(土)(五十嵐太郎)
《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》
[神奈川県]
クルーズで「飛鳥II」に乗船した。おかげでfoaが設計した《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》を初めて出航と入港する側から見ることができた。頭ではわかっていたつもりだったが、本当にこれは船から見ると、さらにカッコよい。海に向かって突き出す波打つような屋上のヴォリュームのほか、客船と平行する水平のラインや層構成などがはっきりとわかる。もちろん、この建築の内部や屋上を歩くだけでも刺激的な空間を味わえるが、やはり移動しつつ海から眺めることもしないと、このデザインの醍醐味を本当に体験したことにならない。となると、世界各地を移動する超大型客船の場合、橋をくぐることができないため、ここに着岸できないのはもったいない。
同様に海から見る横浜の風景も素晴らしい。みなとみらいの高層建築や赤煉瓦の倉庫はもちろん、横浜のランドマークとして親しまれているキング、クィーン、ジャックという3つの近代建築が同時に視野に入るからだ。おそらく昔はもっと目立ったはずだ。しかも晴れていると、ビルのあいだに富士山がでっかく見える。このアングルは写真で知っていたが、本当に見たのは初めてだった。また地図上で理解していた象の鼻の形も、船から見下ろすと肉眼で確認できる。飛鳥IIはさまざまな高さから周囲を観覧できる船尾のデッキをもち、眺望を得るためのデザインがすぐれている。そして朝夕の食事もいい。
ただし、飛鳥IIの空間や内装は、ロイヤル・カリビアンのクルーズ船に比べると、意外に豪華でなかった。かといって、シックでもない。超大型(乗客3~4千人+乗組員千人以上)というスケールメリットのなせる技だろうが、なるほど、ロイヤル・カリビアンの安い価格設定はよくできている。船内で幾つかの音楽をはしごしたが、水野彰子+石井希衣が面白かった。通常、ラウンジの音楽は当たり障りのない有名な曲だけで終わるが、それも一応最初に入れつつ、途中で激しいガチのピアノ・ソロ(ショパンの「革命」とか)、最後にフルートのための超絶技巧系の現代音楽を演奏し、なかなか攻めた選曲だった。
2017/12/24(日)(五十嵐太郎)