artscapeレビュー
《タージ・マハル》《アーグラ城塞》
2018年02月15日号
[インド]
学生時代にインドをまわったときに、次のように感じた。ここでは純粋に建築を鑑賞しづらい、と。なぜなら、公共交通機関があまり整備されておらず、移動にかかる労力が半端なく、目的地に行くために、リクシャーともめたことなど、旅のノイズを思い出すからだ。今回そんなことはないように移動手段を選んでいたが、デリーからアーグラへの日帰りで大変な経験をした。あらかじめインド人の元留学生から、冬のインドはスモッグがひどいと警告されていたが、本当だった。まず早朝に出発した鉄道は、濃霧なのかスモッグなのか判別しがたいが、視界不良のため、止まっては進むを繰り返し、4時間近く到着が遅れた。昼過ぎには少し天候が良好になったが、25年ぶりの《タージ・マハル》は霧の中で幻想的な風景だった。それにしても、インドで最も有名な世界遺産は、昔に比べて、とんでもなく混んでおり、世界規模での大衆ツーリズムの急成長をここでも感じる。
《アーグラ城》のほうが空間体験の記憶がよく残っていた。観念的かつ工芸的な廟ではなく、人が使う宮殿ゆえか。実際、これはイスラム、ヒンズー、ベンガルの地域性を融合し、複雑なデザインの操作が興味深い。赤砂岩と白大理石の対比も効果的だ。なお、到着の遅延がひびき、《ファティプルシクリ》再訪はかなわず。最悪なのは帰りのバンだった。厳寒のなか車中にまともな暖房がなく、再び霧に覆われ、視界はせいぜい数m。離れすぎると前後左右のクルマが見えず、方向性がわからなくなるため、短い車間距離のまま、団子状に高速道路を移動する。日本ならあまりに危険なので、高速閉鎖だろう。事故にあわずに生還できるか? と思う恐ろしい体験だった。ついには高速の途中で運転手が休憩所で朝まで過ごすと言いだす(結局、6時間かけてデリーに戻ったが)。映画『ミスト』の最後の絶望的な気持ちを理解できなかったが、ずっと視界を失うリアルな体験をして、少しわかった。
左:鉄道、車窓の風景 中右:《アーグラ城塞》
2018/01/01(月)(五十嵐太郎)