artscapeレビュー
朴烈
2018年01月15日号
ソウルからデリーに向かう大韓航空の機内で韓国の映画『朴烈』を見る。関東大震災が引きおこした朝鮮人虐殺を放置しておきながら、あまりに収拾がつかなくなり、その治安維持を目的として、象徴的に逮捕された運動家と日本人の金子文子を取り上げたものだが、恥ずかしながら、全然知らない史実だった。したがって、台湾の部族による抗日蜂起・霧社事件を壮絶な長編映画『セデック・バレ』が教えてくれたように、この映画も戦前の日本に対していかなる抵抗があったかを被支配者側の国から、忘れてはならない記憶としてつきつける。アナーキストの同志となった朴と貧しく恵まれない境遇の金子(いまの大学生か院生くらいの年齢!)は、天皇襲撃の容疑で大逆事件の裁判にかけられる。その過程で精神鑑定が行なわれるあたりは、大本教が弾圧された後、論理的な手続きで裁判するよりも、教主の出口王仁三郎の頭がおかしいことにしようとしたことを想起させる。
映画の後半は、独房に閉じ込められた2人の裁判闘争である。興味深いのは、シリアスな内容だが、ユーモアも感じさせることだ。その理由は強烈な2人のキャラ設定もあるが、例えば、最初の公判では、2人が民族衣装をまとい、メディアに対する演説の場に変えてしまった(その後、裁判は非公開に)。実際、この裁判は簡単に決着がつかず、問題が大きくなるほど、かえって政府側は窮地に立たされていく。一方で死刑判決を覚悟した2人は、獄中で結婚し、どちらかが亡くなったら、家族の権利として骨をひきとると誓う。朴の生涯を調べると、これ以外にも波瀾万丈のエピソードがあり、驚くべき人物である。ちなみに、映画は多くの日本人役も韓国人が演じ、日本語をしゃべっている。2017年に公開され、韓国でヒットしたらしい。劇中の彼らの主張は天皇批判を含むが、はたして本作品はネトウヨが騒ぐ日本でも公開されるのだろうか。
2017/12/30(土)(五十嵐太郎)