artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
金氏徹平:溶け出す都市、空白の森
会期:2009/03/20~2009/05/27
横浜美術館[神奈川県]
アーティスト、金氏徹平の個展。横浜美術館の企画展示室すべてを用いた大規模な展観になっていた。美術館の広い空間を十分埋めるほどの作品数をそろえ、アニメーション作品に挑戦するなど新たな展開を見せてはいるものの、全体としてはどうにも物足りない印象が否めない。まるで一時ヒットした流行歌のワンフレーズを繰り返し聴かされているようだった。それは、もちろん美術家としての表現の幅が依然として狭いことに由来しているのだろうが、それ以前の問題として、表現にたいする空間の容量があまりにも大きすぎたことにも起因していると思う。たとえば、金氏はかつて「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」ですばらしい展示空間を作り上げたが、それと比べると、今回の展示はどうにも大味で、粗雑な構成だといわざるを得ない。「既製品の再構成」という以上、関心の焦点は再構成の仕方と、その結果作り上げられるその場の空間の質に合わせられるのだから、分相応な空間で勝負させることが企画者の務めではないだろうか。
2009/04/26(日)(福住廉)
井上廣子 写真展「Inside-Out」
会期:2009/04/03~2009/04/25
FOIL GALLERY[東京都]
写真家・井上廣子の個展。精神病院や少年院の室内を写した写真を壁面に展示するとともに、写真を載せたライトボックスを床置きにして並べたインスタレーションを発表した。照明を落とした空間に浮かび上がる色彩は鮮やかで幻想的だが、一点一点をよく見ると、人が隔離されている場所に特有のはりつめた空気感が立ち込めている。人体は一切写りこんでいないものの、ベッドの白いシーツには人肌の温もりが残されているように見えるし、廃墟のように剥がれ落ちた壁面は、その部屋の主のどうにもならない内面への求心力の痕跡のようだ。時間が停止したような空間でありながら、そこには生々しい息づかいがたしかに感じられる。しかも、外界との唯一の接点である窓の向こう側が白く霞み、ほとんど見通せないから、写真を見る者はまるで鉄格子の内側に収監されたような錯覚に陥るのである。
2009/04/23(木)(福住廉)
興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」
会期:2009/03/31~2009/06/07
東京国立博物館 平成館[東京都]
巷で話題の阿修羅展。阿修羅像をはじめとする八部衆像、十大弟子像、四天王立像などが一挙に公開されている。それだけでも十分見応えがあるが、なおかつ展示の構成にたいへんな工夫が凝らされているため、来場者の興奮がいやがおうにも高まるようになっている。とくに阿修羅像を除く八部衆像と十大弟子を対面させて展示したり、その後暗いトンネルを抜けた先に阿修羅像を見せるなど、いちいち演出がドラマチックで、いやったらしい。一段高いところから見る阿修羅像は華奢で繊細な印象を与えるが、下から見上げると三面六臂の身体表現が醸し出す大迫力に圧倒される。さらに周囲360°から見回してみると、三つの顔の表情が刻々と変化していく様子が存分に味わえる。とりわけ、8時頃の方角から見る左側の顔は思わず息を呑むほど美しい。
2009/04/19(日)(福住廉)
ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー展
会期:2009/02/24~2009/05/17
メゾンエルメス8階フォーラム[東京都]
ジャネット・カーディフとジョージ・ビュレス・ミラーによる個展。音響インスタレーションの《40声のモテット》と映像作品《ナイト・カヌーイング》、二つの作品を発表した。文字どおり、深夜にカヌーから川面や対岸を延々と写した後者はともかく、圧倒的なのは前者。会場をぐるりと囲むかたちで配置された40台のスピーカーからいっせいに流れてくるのは、トマス・タリス『我、汝の他に望みなし』(1573)を歌い上げるソールズベリー大聖堂聖歌隊による合唱。それぞれ別々に録音した音源を、40台のスピーカーで個別に再生しているため、来場者は日常的な暮らしでは味わえない特殊な音響空間を体感できる。文字どおり多層的な合唱はもちろんすばらしいものだが、おもしろいのは休憩中の音もそのまま録音しているところ。咳払いや私語があちこちから耳に入ってくるもんだから、まるで一つひとつのスピーカーに人格が与えられているような錯覚に陥る。ぜひとも体感しておくべき展覧会である。
2009/04/12(日)(福住廉)
生ける伝説 榎忠映像作品上映会
BLD GALLERY[東京都]
開催日:2009/3/22、3/29、4/5、4/12、4/19
美術家・榎忠にまつわる映像作品を見せる上映会。今回見たのは、半刈りでハンガリーへ行ったパフォーマンスを中心としたプログラム。音声が一切ない映像は、新婚旅行を記録したような、ほとんどプライヴェィト・フィルムに近いものだったが、それは榎の傑作の数々がそうであるように、この伝説的なパフォーマンスもまた、榎自身の暮らしと不可分であることの現われなのだろう。芸術と生活の有機的な統合を唱えるより前に、そもそも最初から両者を同一視していた榎こそ、アヴァンギャルドの名にふさわしいのではないか。
2009/04/12(日)(福住廉)