artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

有賀慎吾 長谷川翔『接続解除』

会期:2009/06/03~2009/06/14

Art Center Ongoing[東京都]

有賀慎吾と長谷川翔による二人展。いかにも若者らしい、ぶっ飛んだ作品を発表していた。2階の会場に上がろうとしたら、階段がフラットな急坂に作り変えられていた。なかなか生意気なことやるじゃねえか、この野郎、と嬉しくなりながら苦労して2階にたどり着くと、暗闇の中に水が流れる音。よく見ると、床の大半が低いプールで占められていて、その脇にはさらに噴水まである。プールの上にはタグボートのような小船が浮かんでいて、その上に乗ることもできるが、衝撃的だったのはこのタグボートがワイヤーで自動的に引っ張り上げられ、一回転して裏側に反転するところ。まったくもって無意味な運動だけれど、噴水の音とワイヤーが巻き上げられる轟音を耳にしながら見ていると、なにやら不穏な感覚がふつふつと湧き上がってくる。改めて空間を見渡してみると、全体的に黒と黄色で統一されているせいか、「立入禁止」の意味合いが強く伝わってくる。本来は進入してはいけないところに立ち入ってしまったということなのだろう。プールは見ようによっては水路のようでもあるから、ここは地下水道の世界としても考えられるけれど、壁面に貼られたドローイングは身体の内部器官を描いていたから、むしろ身体の内部世界として想定されているのかもしれない。けれども、それは子宮のような安息の場所などではなく、その暗部、実在しないにせよ、ネガティヴな体内起源として想像された場所ではないだろうか。ミクロコスモスの暗い空間を徹底的に作り上げた手腕がすばらしい。

2009/06/14(日)(福住廉)

山本太郎 展~ニッポン画物見遊山~

会期:2009/05/22~2009/06/14

美術館「えき」KYOTO[京都府]

「ニッポン画」を提唱している山本太郎の本格的な回顧展。デビュー以来10年にわたって制作してきた作品を一挙に公開した。誰もが知るキャラクターを日本画の画面に導入することで諧謔や表象批判を狙っていた初期の作品から、キャラクターを排除した上で日常的な風景を端的に描いた近年の作品まで、山本の画風の変遷を一望することができる展示になっていた。一見すると日本画の伝統的な技法を駆使しながら、欧米と日本の文化が混在した日本の暮らしの風景を表面的に描いただけのように見られがちだが、今回はじめて山本の作品をまとめて見て気がついたのは、それらは日本の「雑種文化」を反映しているだけではなく、むしろその暗部をも描写しているのではないかということだ。たとえばマンガ的なキャラクターはたしかに表層的な記号を安易に取り込んでいるように見えるかもしれないが、しかし絵そのものをじっくり見てみると、それらは写実的に模写したとは思えないほど奇妙にデフォルメされ、マンガの身体表現ではありえないところに筋肉の線が入っていることに気づく。つまり、山本の「ニッポン画」とは、大衆文化の記号表現を貪欲に取り入れつつも、同時にその記号そのものの異質性を画面が破綻する限界ぎりぎりのところまで引き伸ばし、拡大し、膨張させ、極限化しているのだ。凡庸さを装いながら異常性を紛れ込ませる戦術といってもいい。これがアニメやマンガの図像を無邪気に引用するだけの凡百の現代アートとは明らかに異なる、山本独自の絵画的特質であることはまちがいない。こうした、ある意味で「悪意のある」批評的な絵画を涼しい顔をして制作してしまうところに、山本太郎の真骨頂がある。

2009/06/13(土)(福住廉)

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「ヤノベケンジ─ウルトラ」展

会期:2009/04/11~2009/06/21

豊田市美術館[愛知県]

ヤノベケンジの新作《ウルトラ─黒い太陽》が発表された。円形のプールの中に巨大な球体がひとつ。その表面には放射状に伸びる鋭い突起物と円状の穴がランダムに続いている。その穴を通して内部を見てみると、球体の中心にテスラ・コイル(共振変圧器)が内臓されているのがわかる。見どころはこのテスラ・コイルによって人工的に稲妻を発生させるイベントで、時間を限定して一日に数回催されていた。強力な電磁波が発生するという物々しいアナウンスが緊張感を高めるが、じっさいのパフォーマンスはいささか拍子抜けするものだった。瞬間的に発生する稲妻のフォルムは思っていたほどではなかったし、その雷鳴も度肝を抜かれるほどではなく、これではそこらのノイズ・ミュージックにすら太刀打ちできないのではないかと気をもんでいたら、ほんの数十秒で終わってしまった。「黒い太陽」という詩的な名前に負けていたからなのか、あるいはその物体としての強度のほうが稲妻より勝っていたからなのか、どちらにしても存在の根底を揺さぶるほどの衝撃は感じられなかった。これでは、観客に向かって炎を噴射する《ジャイアント・トらやん》のほうが、よっぽど危険かつ滑稽であり、だからこそ魅力的といえるのではないか。ちなみに、学生を大学にリクルートするような映像作品も発表していたが、これにも興醒めさせられた。

2009/06/13(土)(福住廉)

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三喜徹雄『ネコノジカン』

会期:2009/05/16~2009/05/31

湘南くじら館[神奈川県]

1967年の結成以来、関西を中心に活動している前衛美術集団「THE PLAY」。本展は、その主要メンバーのひとりである三喜徹雄による個展。ブリキやアルミの廃材をもとに動物のかたちに加工したオブジェや、海岸で集めた流木を組み合わせたオブジェの写真、「THE PLAY」のハプニングスで用いた木彫りのカヌーを輪切りにして作ったベンチなどを発表した。いずれの作品にも通底しているのは、目前の素材を別のかたちに作り変えるという単純明快な原則。廃材利用はもちろん、海岸のオブジェも巨大な流木を細い木々で支えながら持ち上げたもので、木彫りのカヌーにいたっては美術館で保存されるに値する「作品」をぶった切ってベンチにしてしまうありさまだ。「作品」に商業的ないしは歴史的な価値を付加するのが自明視されている昨今だからこそ、こうした原則をいまだに忠実に実践している美術家は今以上に評価されるべきではないだろうか。なぜなら、私たちの心を大きく揺さぶるのは、商品と見分けがつかないアートワークなどではなく、この原則をただひたすら追求することに没頭するアーティストの潔い姿勢にほかならないからだ。美術家にとってのエートス(心意気)をまざまざと見せつけられた気がした。

2009/05/29(金)(福住廉)

水墨画の輝き──雪舟・等伯から鉄斎まで

会期:2009/04/25~2009/05/31

出光美術館[東京都]

雪舟から等伯、宗達、光琳、玉堂、鉄斎まで、水墨画の錚々たる描き手たちをそろえた展覧会。ここ最近立て続けに催された水墨画の展覧会のなかでは、質的にも量的にも突出して充実した内容だった。色彩を放棄した水墨画であるにもかかわらず、いずれの作品も光り輝いているように見えたから、タイトルに偽りはない。

2009/05/28(木)(福住廉)

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