artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

富士定景─富士山イメージの型

会期:2015/01/17~2015/07/05

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

IZU PHOTO MUSEUMの企画展は、いつも高度に練り上げられており、視覚的なエンターテインメントとしても楽しめるものばかりだ。ただ、今回の「富士定景─富士山イメージの型」展は、同美術館で2011年に開催された「富士幻景──富士にみる日本人の肖像」展とかぶる部分が多く、やや余裕のない印象を受けた。特に前半部の富士山を被写体とした古写真、絵葉書、プロパガンダ雑誌などを中心とする「第1部 富士山イメージの型」のパートは、前回の展覧会のダイジェスト版という趣だった。おそらく、次の企画である「戦争と平和 伝えたかった日本」展に全力投球するためだろう。もっとも、前回の展覧会を見ていない観客にとっては、富士山が日本人の感性の「型」を形成する重要なファクターになっていることがよくわかる、充分に面白い展示になっていたのではないだろうか。
今回の展示の中で、とても興味深く見ることができたのは「第2部 富士山と気象:阿部正直博士の研究」のパートである。阿部正直(1891~1966)は、「雲の博士」として知られる気象学者で、1927年に自費を投じて御殿場に「阿部雲気流研究所」を設立し、富士山にかかる雲の研究を開始した(1945年に閉鎖)。その間に、膨大な量の定点観測写真の他、立体写真、映画、スケッチ、地形図なども作成している。科学写真の領域に入る仕事ではあるが、千変万化する雲の動きを見ていると、想像力がふくらみ、伸び広がっていくように感じる。第1部の写真群から続けて見ると、富士山をテーマにした、ユニークな作品としての価値が、あらためて浮かび上がってくるように感じた。IZU PHOTO MUSEUMは、まさに富士を間近に望む絶好のロケーションにある。「富士山」の展示企画は、さらに回を重ねていってほしいものだ。

2015/07/01(水)(飯沢耕太郎)

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金村修「System Crash for Hi-Fi」

会期:2015/06/23~2015/07/04

The White[東京都]

金村修の新作は、あいかわらずのクラッシュした都市光景のモノクロームプリントによる再構築だが、いい意味での開き直りが感じられて、楽しんで展示を見ることができた。
壁に5枚×6段、6枚×7段、8枚×7段で(他にフレーム入りの写真が1枚)、びっしりとモザイク状に貼られたプリントには、暗室作業中のアクシデントの痕がちらばっている。現像液や定着液のムラ、染み、光線漏れなどが原因と思われるこれらの傷跡が、半ば意図的に作られたものであるのは明らかだろう。つまり、被写体となる都市の物質性が、暗室作業を通過することで、印画紙の物質性に置き換えられているわけであり、その手続きは職人技といえそうな巧緻さに到達している。ノイズの取り込み方、活かし方が、視覚的なエンターテインメントとして充分に楽しめるのだ。
それにしても、昨今の若い写真家たちの、デジタル化した都市の表層を「つるつる、ピカピカ」に撮影した写真群と比較すると、金村の展示のあり方はもはやクラシックに見えてくる。だが、それを否定的に捉える必要はないと思う。プリントのそこここから、血液ならぬ現像液が滲み出てくるような金村の写真には、「TOKYO2020」に向かって画一化、パッケージ化を加速させつつある都市の状況に対して、全身で抗う身振りが刻みつけられているからだ。なお、ギャラリーの奥の小部屋では、カラー写真のプロジェクションと動画作品の上映がおこなわれていた。こちらはまだ試作の段階で、発表のスタイルが定まっていない印象だった。

2015/06/25(木)(飯沢耕太郎)

村上仁一『雲隠れ温泉行』

発行所:roshin books

発行日:2015年6月1日

「雲隠れ」という言葉を辞書で引くと「人が隠れて見えなくなること。行方をくらますこと」とある。失踪、蒸発、遁世、いろいろと言い換えられそうだが、社会的なしがらみから逃れて、どこか見も知らぬ土地を、気の向くままに漂泊してみたいという欲求は、日本人のDNAに刻みつけられているのかもしれない。そしてその欲求にぴったりと応えてくれる場所こそ、地方のひなびた湯治場ということになるのだろう。
村上仁一にも、どうやら20代後半の一時期に「俗世間からの失踪願望」があったようだ。休みを利用して全国各地の温泉をほっつき歩いては「とりとめもなく」写真を撮り続けた。それらは2000年の第16回写真ひとつぼ展でグランプリを受賞し、2007年には第5回ビジュアルアーツフォトアワードを受賞して、写真集『雲隠れ温泉行』(発売=青幻舎)が刊行された。村上はその後、カメラ雑誌の編集者として仕事をするようになるが、「温泉行」のシリーズは撮り続けられ、じわじわと数を増していった。それを再編集してまとめたのが、今回roshin booksから刊行されたニューヴァージョンの『雲隠れ温泉行』である。
白黒のコントラストを強調し、粒子を荒らした画像は、1960年代後半の「アレ・ブレ・ボケ」の時代から受け継がれてきたもので、もはや古典的にすら見える。だが、それが時空を超越したような湯治場の光景にあまりにもぴったりしていることに、あらためて感動を覚えた。村上がここまで徹底して「途方もない憧れの念」を形にしているのを見せられると、単純なアナクロニズムでは片づけられなくなってくる。僕らの世代だけではなく、つげ義春や『プロヴォーク』を知らない世代でも、ざらついた銀粒子に身体的なレベルで反応してしまうのではないかと思えてくるのだ。

2015/06/25(木)(飯沢耕太郎)

畠山直哉『陸前高田 2011-2014』

発行所:河出書房新社

発行日:2015年5月30日

本書の巻末におさめられた畠山直哉のエッセイ「バイオグラフィカル・ランドスケイプ」を読んで、東日本大震災の過酷な体験が彼に与えた傷口の大きさと、それを契機にした彼自身の変化についてあらためて思いを巡らせた。「大津波によって、僕は自分が、なんだか以前より複雑な人間になったと感じている」と彼は書く。このややシニカルにも聞こえかねない言い方は、当然彼の写真にもあらわれてきている。写真もまた「より複雑」になり「気むずかしい」ものになっているのだ。
一見すると、震災後の故郷、岩手県陸前高田市の風景を淡々と記録し続けた写真の集積のようだが、「20110319」から「20141207」まで、日付が小さく右下に付された写真集のページを繰っていくと、写真家が何を見てシャッターを切っているのか(逆にいえば、何を写さないようにしているのか)、その選択の積み重ねが、息苦しいほどの緊張感をともなって感じられてくる。震災直後の凄惨なカオスの状況は、半年も経つと日常化し、「ほっかほっか亭」や「希望のかけ橋」が出現し、2012年8月には「気仙川川開き」の行事が復活してくる。とはいえ、むろん故郷が震災前に戻ったわけではない。視界には根こそぎすべてが流失してしまった海沿いの土地と、低い土地から移転するために山を崩して造成されつつある空虚な空間が、黴のように広がっている。それらを見ながら、われわれもまた畠山とともに「わからない。わからないけど……」と自問自答せざるを得ない。いや、むしろ「わからない」ことを何度でも確認するために、過去の記録として整理され、忘れ去られていくことを潔癖に拒否し続けるためにこそ、この写真集が編まれたといってもよいだろう。
震災という大きな出来事と畠山自身の「個人史」、それらを「膠着」させ、分かちがたいものとし、彼にとっても読者にとっても「手に負えないもの」として保持し続けようという強い意志が本書には貫かれている。震災が決して終わらない(続いている)のと同様に、この陸前高田を舞台とする「バイオグラフィカル・ランドスケイプ」もまだ続いていくのだろう。それを見続け、考え続けていきたい。

2015/06/24(水)(飯沢耕太郎)

荒木経惟「Birthday 75齢 2015.5.25 写狂老人A 鏡の中のKaoRi」

会期:2015/05/25~2015/06/20

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

恒例の荒木経惟のタカ・イシイギャラリーでの「Birthday」写真展である。今年は例年に増して意欲作が並んでいた。
展示作品は、室内でオブジェを中心に撮影したカラー作品53点と、日付入りコンパクトカメラによるモノクロームの「私日記」119点。鏡文字のタイトルにあわせるように、プリントもすべて左右逆になっている。つまり「鏡の中」の世界を撮影したということだが、実際にはプリントする時にネガを「裏焼き」しただけのようだ。とはいえ、この単純な仕掛けによって、虚実が逆転して奇妙な浮遊感を感じさせる反世界に引き込まれるような気がしてくる。モノクローム作品には、さらに工夫が凝らされていて、画像は全部反転しているのに、日付だけが正像、しかもすべて「25 2 21’」になっている。この日付をどうやっていれたのかが、どうもよくわからない。「’12 2 52」と入れて撮影したのかと思ったのだが、「2」を鏡文字で入力するやり方がわからないのだ。小さな思いつきを積み重ねていきながら、見る者をいつの間にか魔術的な世界に引き込んでいく荒木の手腕が、いつも以上に絶妙に発揮された作品群といえるのではないだろうか。昨年以来の創作意欲の高まりが、まだ続いているということだろう。
なお、展示にあわせて『アサヒカメラ』6月号が荒木特集を組んでいる。また、タカ・イシイギャラリーから同名の写真集も刊行された。352ページ、173点を収録。小ぶりなソフトカバー写真集だが、町口覚のデザインワークが冴え渡っている。
(タイトルは鏡文字)

2015/06/18(木)(飯沢耕太郎)