artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

井村一巴「physical address」

会期:2015/06/23~2015/07/12

みうらじろうギャラリー[東京都]

井村一巴の作品は、「ピン・スクラッチング」というユニークな手法で制作されている。モノクロームのプリントの表面を、虫ピンのようなもので引っ掻いて、微かな傷をつけていく。元になっている写真のほとんどはセルフポートレート(ヌード)で、漆黒の闇から身体の輪郭が浮かび上がってきている。その繊細な陰翳の描写と、スクラッチによって生み出されていく蜘蛛の巣の網目やプランクトンのような有機的なかたちとが、絡み合いつつ増殖して、静謐だが深みのあるイメージの小宇宙があらわれてくるのだ。同じネガからプリントしたり、裏焼きしたりした写真も使われているが、スクラッチのやり方でまったく違う作品として成立しているのも興味深かった。
今回展示されたのは2008~15年に制作された26点だが、近作になるにつれて、技法的に洗練され、内容的にも成熟してきているように感じられた。「絹の糸」(2014年)、「春の雪」(同年)のような、80×30センチという「大作」もあるが、大部分はサイズの小さな「小品」である。だが、井村の作品世界にふさわしいのは、むしろ「小さい」作品のようにも思える。「小視症」(2013年)というのはいいタイトルだが、他にもこのタイトルにふさわしい作品がたくさんあった。また、最近では「ピン・スクラッチング」だけでなく、鉛筆のドローイングと写真をコラージュした作品も制作しはじめている。こちらは、より自由にイメージを展開できるので、作品が別な方向に広がっていく可能性を感じた。

2015/07/09(木)(飯沢耕太郎)

須田一政「SOLO」

会期:2015/06/27~2015/07/18

成山画廊[東京都]

一時体調が悪かった須田一政の「復活」は、昨年あたりから続いていて、止まる所を知らない。各地で開催される個展の数だけでも相当のものだし、旧作だけでなく新作も次々に発表している。創作意欲が以前にも増して高揚してきているようだ。
今回の東京・九段南の成山画廊での「SOLO」展も、2014年に撮り下ろされた新作16点による展示である。DMにも使われた、画廊主の成山明光氏を撮影したポートレートが、まず強烈な印象を与える。諏訪敦が描いた自分の肖像画を前に煙草をくゆらす姿をストロボで写し止めた写真だが、画面全体に漂う魑魅魍魎が跋扈するような不穏な空気感がただ事ではない。他にも靖国神社や神保町など、神田界隈の写真が多く目についた。須田自身が神田の出身(1940年生まれ)なので、その辺りの地霊に促されてシャッターを切っているようにも見えてくる。この世ならざる異界の住人たちに取り憑かれるような気配は、既に須田の初期の写真から色濃かったのだが、それがさらに強まっているように思えてならないのだ。
会場には、まだタイトルも決まっていないという、未発表のカラーのスナップ写真も展示してあった。サービスサイズにプリントして構想を膨らませている段階だが、こちらも面白くなりそうな予感がする。モノクローム中心だった須田の作品世界に、風穴が開きはじめてきているのだろうか。

2015/07/09(木)(飯沢耕太郎)

Ren Hang「NEW LOVE」

会期:2015/06/19~2015/07/25

matchbaco[東京都]

1987年中国・吉林省生まれのRen Hang(任航/レン・ハン)は、北京を拠点に活動している現代写真家。最近はパリ、ニューヨーク、ウィーンなどでも展覧会を開催し、注目度が急速に上がってきている。今回の新宿のギャラリー、matchbacoでの展示が、日本では最初の個展になる。
「NEW LOVE」は、ニューヨークで撮り下された新作だが、Ren Hangの作品を特徴づけるヴィヴィッドな色彩感覚と、ヌードの男女が絡み合う、あっけらかんとしたエロスの表現は健在である。特に男女が野外で彫刻のようにポーズをとる、身体のフォルムを強調した作品群の面白さが際立っており、思わず笑ってしまうような楽しい写真に仕上がっていた。よくライアン・マッギンレーと比較されるようだが、彼の写真には、アメリカやヨーロッパの写真家にはない、中国人(アジア人)の微妙な身体感覚が投影されているように感じる。中国ではごく最近まで写真による裸体表現はタブーになっており、作品を公表するにあたっては、裸が「自然な、ありのままの」あり方である欧米諸国とは比較にならないような、プレッシャーがあったはずだ。それを乗り超え、突き抜けていくことで得られる解放感が、ポジティブなエネルギーとしてあふれ出ている。日本の若い写真家たちにも、これくらいのびやかな身体表現を期待したいのだが、最近なかなかそういう作品に出会えないのが残念だ。
なお、写真展にあわせて同名の写真集も刊行された。今回はニューヨークの写真だけだったが、北京で撮影されたより過激で過剰な作品群も、ぜひもう一回り大きな会場で見てみたいものだ。

2015/07/08(水)(飯沢耕太郎)

林直「みつめる写真舘」

会期:2015/06/30~2015/07/12

Roonee 247 photography[東京都]

林直は1967年京都府生まれ。両親が写真館を営んでいたため、幼い頃から写真に親しんでいた。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業後、一時企画会社に勤めていたが、退社後に家業を継いだ。そのかたわら、写真家としての自分の仕事も続けている。今回展示された「みつめる写真舘」のシリーズも、長い時間をかけた労作である。
林は実家の写真館にあった古いアンソニーカメラや丸椅子など見ているうちに、作り手と使い手の気持ちがこめられたモノたちが、独特のオーラを発していることに気がつく。それらを撮影することからスタートして、さまざまな人たちの「大切なもの」に被写体の幅を広げていった。今回の展覧会には、ランドセル、絵本、ぬいぐるみ、靴、ミシン、ストーブ、スーツケース、ピアス、そして写真などを、持ち主と話し合いながら、それらにふさわしい場所に置き、8×10インチの大判カメラで丁寧に撮影した写真、28点が並んでいた。
生真面目としかいいようのないアプローチであり、モノクロームの滑らかなグラデーションと柔らかなトーンで捉えられたモノたちのたたずまいが、意外に似通って見えてくるということはある。だが記憶を封じ込め、よみがえらせる装置として、写真を使おうとする林の試みは、さらに大きく広がっていく可能性を秘めているのではないだろうか。続編もぜひ期待したい。
なお展覧会にあわせて、冬青社から、しっかりした造本の同名の写真集が刊行されている。

2015/07/08(水)(飯沢耕太郎)

大島洋「幸運の町・三閉伊」「そして三閉伊」

会期:2015/06/30~2015/07/14

銀座ニコンサロン/新宿ニコンサロン[東京都]

大島洋は、今年、長く教鞭をとってきた九州産業大学芸術学部写真映像学科を退任した。写真家、教育者としての区切りの時を迎えたわけで、今回の銀座ニコンサロン、新宿ニコンサロンでほぼ同時期に開催された個展は、それにふさわしい充実した内容の展示だった。
銀座ニコンサロンの「幸運の町・三閉伊」は、1987年に刊行された写真集『幸運の町』(写真公園林)に収録された写真から、44点を選んで再構成している。エリ・ヴィーゼルの同名の小説からタイトルをとったという『幸運の町』は、「幸運の町」、「三閉伊」、「春と修羅」の3部構成で、まだ写真家の道に進む前の1950年代から80年代まで、長いスパンの間に撮影された写真がおさめられている。その中核となっているのが、岩手県三閉伊地方(上閉伊郡、下閉伊郡、九戸郡)を撮影した写真群で、江戸時代にはこのあたりで大規模な農民一揆が起こったのだという。厳しい風土だが、不思議な明るさが混じり合うこの地方の風景、人物がストレートな眼差しで捉えられ、自伝的な内容を持つ他のパートと響き合って見事なハーモニーを奏でる。まさに代表作にふさわしいシリーズであることを、今回あらためて確認することができた。
2011年の東日本大震災では、三閉伊も大きな被害を受けた。大島は「津波で町や集落の姿が失われても、あるいは大きなダメージを免れることができた地域であっても、三閉伊を隔てなく歩き、隔てなく撮らないわけにはいかない」と思い定め、カラー写真で震災後の状況を記録する作業を開始する。そこから60点余りを展示したのが、新宿ニコンサロンの「そして三閉伊」展である。距離を置いて、あくまでも冷静に撮影した写真群だが、その中の、震災直後の生々しい傷跡が残る写真はやや小さめにプリントして2段に並べた所に、「作品化したくなかった」という思いが滲み出ているように感じた。二つの写真展の同時開催によって、過去と現在とが接続する、より膨らみのある展示が実現できたのではないだろうか。なお、本展は9月3日~9日に大阪ニコンサロン及びニコンサロンbis大阪に巡回する。
銀座ニコンサロン:2015年7月1日~14日
新宿ニコンサロン:2015年6月30日~7月13日

2015/07/02(木)(飯沢耕太郎)