artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

BORDER

会期:2015/07/26~2015/09/13

旧名ヶ山小学校「アジア写真映像館」[新潟県]

第6回目を迎えた「大地の芸術祭」(越後妻有アートトリエンナーレ2015)の一環として、新潟県十日町市名ヶ山地区の廃校となった小学校で「アジア写真映像館」という写真展イベントが開催された。東京綜合写真専門学校がプロデュースする同企画は、前回の2013年からスタートしたのだが、今回はより規模を拡大し、田口芳正、石塚元太良、大西みつぐ、錦有人、進藤環、高橋和海、伊奈英次、比舎麿、金村修の9人が参加していた。
「波欠け(マクリダシ)」という海岸浸食現象をダイナミックな映像インスタレーションでとらえた錦、コラージュによって名ヶ山と他の地域の風景を多重化していく進藤、精密に撮影した産業廃棄物の画像を壁いっぱいに展開する伊奈、都市風景を引き伸したモノクロームプリントを雨ざらしにして放置する金村など、自然環境に恵まれた環境で、のびのびと競い合うようにしてテンションの高い展示を実現していた。「私たちを取り巻くあいまいさや、相反、矛盾といった”さかいめ”について、9人の写真家の視線を通して現在の写真として発信する」というテーマ設定の意図が、よく伝わってくる展示だった。
「アジア写真映像館」では、他に中国・北京で「三影堂攝影藝術中心」を運営する榮榮&映里が出品し、若手写真家の登竜門として、同藝術中心で2009年から毎年開催されている「三影堂攝影賞」の受賞者たちの作品を紹介していた。また同じ名ヶ山地区で、2006年から住人たちの「遺影」を撮影する「名ヶ山写真館」の活動を粘り強く続けている倉谷拓朴も、撮影と作品展示をおこなっていた。とはいえ、「大地の芸術祭」の全体としては、写真作品の比率は高いとはいえない。もう少し写真家の参加が増えてもいいのではないだろうか。

2015/08/22(土)(飯沢耕太郎)

本城直季「plastic nature」

会期:2015/07/30~2015/09/12

nap gallery[東京都]

東京・千代田区のアーツ千代田3331内のnap galleryが、同じ建物の中で移転して新装オープンした。手狭だった以前のスペースと比較すると、面積的には3~4倍になり、ゆったりとした展示を楽しめるようになったのは、とてもよかったと思う。
そのこけら落としとして開催されたのが、本城直季の新作展「plastic nature」である。この展示については、水戸芸術館現代美術センターの高橋瑞木が、リーフレットに寄せた文章で以下のように論じている。それによれば、今回の北海道と長野の森と山を撮影した新作は「明らかに彼の旧作と一線を画している」。旧作では大判カメラのアオリの機能によって、画面の一部にのみピントが合って、「ミニチュアの模型」のような感情移入しやすいイメージが生み出されていた。ところが新作では「上空から見る山林の表面だけ」がフレーミングされており、人間も写っていないので、フォーカシングのポイントがはっきりせず、「抽象的でオールオーバーな画面」が成立している。抽象化されている分、観客は具体性や指示性を欠いた画面に戸惑い、「鑑賞者自身の想像力や思考を投影することを余儀なくされる」というのだ。
この高橋の議論は、本城の新作の意図を、とても的確に代弁しているように思える。あまり付け加えることもないのだが、「鑑賞者自身の想像力や思考を投影」ということでいえば、ヘリコプターからの空撮という手法も含めて、松江泰治の「JP」シリーズと比較したい誘惑に駆られる。ボケとシャープネスという一見正反対な画面から受ける印象が、意外に似通ってくるのが興味深い。

2015/08/20(木)(飯沢耕太郎)

初沢亜利「沖縄のことを教えてください」

会期:2015/08/15~2015/09/06

Bギャラリー[東京都]

初沢亜利はこれまでの写真家としてのキャリアの中で、イラク戦争下のバグダッド、震災後の東北、北朝鮮を長期取材し、写真展と写真集の形で発表してきた。そして、今回は2013年後半から1年3ヶ月にわたって沖縄に滞在し、撮影を続けた。その成果をまとめたのが、新宿・Bギャラリーで開催された写真展「沖縄のことを教えてください」と、赤々舎から刊行された同名の写真集である。
こうしてみると、初沢が選択した被写体が、人々の関心を強く引きつけるニュース性の高い場所であったことがわかる。見方によっては、スクープカメラマンすれすれの行為と見なされても言い訳はできないだろう。だが初沢は、そのような視線と情報とが「インターフェイス」として集中する場所に身を置くことを、あえて意識的に自らに課し続けてきたのではないかと思う。
今回の沖縄滞在にしても、それがきわめてむずかしい条件を背負っていることを、初沢は充分に意識していた。つまり沖縄のような場所で、「ノンケのナイチャー(内地人)」として写真を撮り続けることは、「政治的権力位置」を問われる行為であるということを最初から知りつつ、その矛盾にあえて身をさらすことを選びとっていったのだ。にもかかわらず、というべきだろうか。写真にあらわれてくる沖縄の2013~14年の光景は、くっきりと鮮明で、明るくのびやかなエネルギーに満たされているように見える。歴史や文化の深層に足を取られ、情念の泥沼に落ち込むことをぎりぎりで回避しつつ、あくまでも表層のざわめきにこだわり続けることで、ある意味貴重な「ノンケのナイチャー」による沖縄の像が浮かび上がってきた。従来のフォトジャーナリズムとは一線を画す「個人的な眼差し」によって貫かれた、いい仕事になったのではないかと思う。

2015/08/20(木)(飯沢耕太郎)

ヴォルフガング・ティルマンス「Your Body is Yours」

会期:2015/07/25~2015/09/23

国立国際美術館[大阪府]

2004年に東京オペラシティアートギャラリーで開催されたヴォルフガング・ティルマンスの「Freischwimmer」は、今なお鮮やかに目に残る展覧会だった。大小の写真を壁にちりばめる、いわゆる「ティルマンス展示」が衝撃を与えただけでなく、現実世界を「自由形」で遊泳する、その視点ののびやかさ、幅の広さに驚嘆させられた。その「日本初の回顧展」から11年を経て、大阪・中之島の国立国際美術館で、彼のひさしぶりの大規模展示が実現した。
ティルマンスが1990年代から2000年代にかけての世界の写真シーンをリードする存在であったことは、誰にも否定できないだろう。20年以上にわたって、写真表現の最前線を切り拓いてきたたわけだから、当然彼を乗りこえていく、より若い世代が登場してもおかしくはない。眼前に現れる世界を等価に見つめ、フォルマリスティックなアプローチから、極端にリアリスティックな描写までを鮮やかに使い分けて、実に的確にイメージ化し、見事なセンスで壁面に撒き散らしていく彼の手つきの鮮やかさは認めざるを得ないにしても、そろそろ次世代の表現の形が見えてきてもいい頃だと思うのだ。
にもかかわらず、結論的にいえば、2015年の現在においても、ティルマンスはなお、写真表現のフロントランナーとして疾走し続けている。今回の国立国際美術館での展示にも、回顧展という装い以上に、むしろ貪欲に新たな領域にチャレンジしようという彼の意欲が全面にあらわれていた。「真実研究所(truth study center)」というパートには、日本の社会状況を含めて、彼の全方位アンテナによってキャッチされた、世界中のさまざまな出来事を報道する記事がスクラップされ、2014年のヴェネツィア・ビエンナーレに展示されて大反響を巻き起こしたスライド・プロジェクション作品「Book for Architects」では、カオス的に膨張していく都市の建築物に対する、ティルマンスのユーモアを含んだ批評精神を、たっぷりと味わうことができた。視点の多様性、深み、豊穣さ、どの観点から見ても、彼の表現能力は突出している。とはいえ、やはり「次」も見てみたい。野心的な日本の写真家の誰かに、ぜひ「ポスト・ティルマンス」の名乗りを上げてほしいものだ。

2015/08/16(日)(飯沢耕太郎)

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フォトふれ NEXT PROJECT EXHIBITION 2015

会期:2015/08/08~2015/08/09

杉山美容室隣空き店舗[北海道]

31回目を迎えた東川町国際写真フェスティバルでは、毎年イベントの運営をサポートするボランティア(フォトふれんど)を募集している。写真学校や大学の写真学科の学生を中心に、全国から北海道に集まるボランティアたちは、いろいろな出会いを経て成長し、それぞれの場所に戻って活動を続けてきた。そのフォトフレンドのOB,OGの有志たちが、「表現者として帰ってきて」、昨年から写真展を開催するようになった。休業中の店舗をそのまま利用した展示は、なかなか見応えがあった。
今回の参加者は太田悦子、詫間のり子、伝田智彦、土肥志保美、永井文仁、藤川麻紀子、フジモリメグミ、横山大介、吉田志穂の9名。2007年の写真新世紀準グランプリの詫間のり子や、2014年に1_WALL展のグランプリを受賞した吉田志穂など、既に一定の評価を得ている者もいるが、多くはこれから先に自分の作品世界を確立していかなければならない時期にある。考えてみれば、彼らのような「中堅」の写真作家たちが作品を発表していく機会は、個展を除いてはあまり多いとはいえない。このような機会に、互いに競い合いながら、自分の作品のレベルを確認し、次のステップにつなげていくのはとてもいいことだと思う。
それぞれ、のびのびと自分の世界を展開していたのだが、その中でも横山大介の作品「Telephone Portrait」に可能性を感じた。横山は吃音者であり「発話時に言葉がうまく発せられない時があり、会話でのコミュニケーションに違和感をいだいて」いるのだという。その彼が「電話をかける」という行為をする人物を被写体に選ぶことで、発語という行為をあらためて見直そうとしている。まだ数は少ないが、これから先にどんな展開があるのかが楽しみだ。残念ながら、他の参加者たちの多くは、作品をどう展開し、定着するのかというプロセスにのみ神経を集中し過ぎていて、制作の動機がくっきりと見えてこないように感じた。会場の都合で、来年以降にも開催できるかどうかは微妙だというが、形を変えてぜひ継続していってほしい企画だ。

2015/08/08(土)(飯沢耕太郎)