artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
Nerhol「01」「01 Scape」
会期:2015/07/11~2015/08/29
YKG Gallery/G/P GALLERY[東京都]
写真とグラフィックデザインの領域が最も近づいたのは、1920~30年代だったのではないだろうか。バウハウスのラースロー・モホイ=ナジの『絵画・写真・映画』(1925年)などを見ると、フォトグラム、フォト・モンタージュ、そして文字・記号と写真とを組み合わせるティポ・フォトなどの新たな技法が、写真家とデザイナー(両方を兼ねる場合もある)の相互交流によって生み出されていったことがわかる。小型カメラの登場やグラフマガジンの興隆など、同時代の視覚世界の急速な拡張が、果敢な造形の実験に結びついていったのだ。
その意味では、1990年代以降のデジタル化の進行は、20~30年代の状況と重なりあって見えてくる所がある。インターネットとスマートフォンの時代における視覚表現も、写真とグラフィックデザインと境界領域を溶解、浸食しつつあるのではないだろうか。Nerhol(田中義久+飯田龍太)の作品を見ていると、彼らとモホイ=ナジやマン・レイを比較したくなってくる。今回の作品は、ある一日にインターネットに上がった画像を紙に印刷し、厚く重ねて、「0」と「1」という数字の形が浮かび上がるようにカッターで彫り込んでいったものだ。東京・六本木に新たに開設したYKG Galleryでは、その「写真彫刻」の実物が、恵比寿のG/P GALLERYではその一部を拡大して撮影した写真作品が展示されていた。
現代社会の断面図を指標化して提示しようとする意欲的な試みではあるが、それが「写真の可能性をラディカルに拡張」した「クリティカリティの冒険」(後藤繁雄)であるかどうかについては、判断を保留しておきたい。モホイ=ナジやマン・レイの作品は、まさに世界の眺めを更新するような「ラディカル」な試みであったわけだが、Nerholの二人の作品がグラフィカルなセンスのよさと、手業の極致という段階に留まるのか、そうでないのか、まだ確信が持てないのだ。
YKG Gallery:2015年7月11日~8月29日
G/P GALLERY:2015年7月11日~8月9日
2015/07/16(木)(飯沢耕太郎)
大森克己「"When the memory leaves you"-sounds and things vol.2」
会期:2015/07/11~2015/08/09
MEM[東京都]
大森克己がMEMで「sounds and things」展を開催したのは2014年2月~3月だったということを聞いて、軽いショックを受けた。ずいぶん前の展覧会だったような気がしていたのだ。それだけ多くの出来事が、目の前を通過し続けているということであり、逆に日々の出来事を記録(記憶)していくスナップショットの持つ意味について、もう一度考えてみたいとも思った。
前回の個展でも感じたのだが、大森にとってのスナップショットの意味合いが、かなり変わってきているように思う。以前は彼の周辺の現実を全身感覚的に受け止め、切り取っていくことに精力が傾けられていた。彼自身もそれが何を意味しているかわからないままに、出来事の断片を撒き散らしていたのではないだろうか。ところが、「sounds and things」のシリーズでは、むしろ「事後」に写真を選択、プリント、配列していく過程で育っていく思考と認識に大きく比重がかかってきている。スナップショットを、世界のあり方を考察していくための材料としてとらえることを、自然体でやりきっているように思えるのだ。
それをよく示しているのが、写真1枚1枚につけられたタイトル(むしろキャプションに近いものもある)である。石に刻まれた「LEHMAN BROTHERS」の文字を、モノリスのように撮影した写真には「“When the memory leaves you”」というタイトルが付され、祭りの法被を着た一団の写真には「すべての女は誰かの娘である」と記されている。千葉県浦安市の駅前のショットにつけられたのは「鳥と魚は恋に落ちることができるのか?」という謎めいたメッセージだ。写真が言葉を触発し、奇妙にユーモラスな画像とテキストとのアマルガムが形をとる。それらは確実に、この2010年代の、「震災以後」の世界の像を浮かび上がらせつつあるように思える。
なお、同時期に山梨県高根町のギャラリートラックスでは、「#soundsandthings」展が開催された(2015年7月4日~26日。iPhone6で撮影して、ハッシュタグをつけてInstagramで公開している写真による展示である。
2015/07/16(木)(飯沢耕太郎)
木村友紀「THUS AND SO RATHER THAN OTHERWISE」
会期:2015/07/04~2015/08/01
タカ・イシイギャラリー東京[東京都]
清澄白河から北参道に移転したタカ・イシイギャラリーで開催された木村友紀の展示について、会場に置いてあった解説シートに以下のように記されていた。やや長いが、作品の内容をとても正確に伝えているので引用しておくことにしよう。
「天井から床まで垂れたスクリーンには、引き延ばされたテニスコートのイメージがプリントされている。それが4枚あり、3カ所に分けて掛けられている。大中小に額装された写真は、3段に積み重ねて馬脚の上に置かれている。それらの写真はどれも同じで、階段が写っている。白いペデスタルの上の大理石の台には、大小同じ銘柄の飲みかけのテキーラが置かれている。そのボトルとボトルの間に、ハーフミラーが置かれている。床に置かれたアタッシュケースの中から、蛇腹状のパネルが垂直に伸びていて、それに小さい写真が置かれている。それが2つある。」
説明が一切ないので、観客は木村の展示意図を推し量るしかない。「テニスコートのイメージ」、「階段が写っている」写真、「小さな写真」などはいかにも意味ありげで、木村はそこに写っている視覚的な体験を、拡大・増幅・変換して伝達しようとしているように見える。だが、それらの写真が木村自身の撮影によるものではなく、「ファウンド・フォト」であることを知ると、より混乱が大きくなるだろう。にもかかわらず、作品全体から受ける印象はあまり違和感がなく、どちらかといえば心地よい。名も知らぬ他者の経験が、自分自身のそれと重なるような普遍性を持ち始めるのだ。それは何とも奇妙な、夢と覚醒の間に宙づりになってしまうような気分をもたらす。
タカ・イシイギャラリーでの木村の個展は、今回で7回目になるそうだ。彼女の作品は癖になる。そのインスタレーションは洗練の度を加え、真似のできない領域に入りつつある。もう少し大きな会場で、近作をまとめて見てみたい。
2015/07/15(水)(飯沢耕太郎)
《写真》見えるもの/見えないもの #02
会期:2015/07/13~2015/08/01
東京藝術大学大学美術館陳列館[東京都]
東京藝術大学美術学部写真センターを中心とする実行委員会が主催する「《写真》見えるもの/見えないもの」展は、2007年以来8年ぶりの開催になる。ただ、その前身といえる「写真で語る」展が1988~95年に4回にわたって開催されているので、25年以上の歴史を含み込む展示となっていた。
東京藝術大学写真センターは1980年代以来、写真表現の「アート化」の一翼を担って、ユニークな写真作家を輩出してきた。今回の展覧会には、佐藤時啓、鈴木理策、今義典、佐野陽一、下村千成、塚田史子、永井文仁、野村浩、村上友重、安田暁といった、写真センターにかかわりを持つ教員、スタッフが、クオリティの高い作品を出品していた。また韓国のArea Park、アメリカ在住のOsamu James Nakagawa、中国と日本のカップル榮榮&映里という「海外にベースをおきながら。日本をテーマとした作品を発表してきたアーティスト」が加わることで、より重層的な、広がりのある展示が実現した。
「写真で語る」の頃から本展を見続けている筆者にとっては、とても感慨深い展示だった。かつては、写真をアート作品として制作・発表すること自体に、乗り超えなければならないハードルがあったのだ。それが四半世紀を経過して、むしろこの種の展覧会はあたり前になり、クラシックな趣さえ呈するようになった。さらに1990年代半ば以降は「デジタル化」というもうひとつのファクターが加わり、「新たに生まれたデジタル技術の様々な可能性とともに、現在における「写真」を再考する必要」が生じてきた。25年の歴史をもう一度ふりかえりつつ、それぞれの写真作家の未来像を提示していく時期に来ているということだろう。
2015/07/14(火)(飯沢耕太郎)
入江泰吉/阿部淳/近藤斉「モノクロスナップ写真の魅力」
会期:2015/07/04~2015/08/30
入江泰吉記念奈良市写真美術館[奈良県]
奈良市写真美術館は、大和路の風景・仏像を撮り続けた入江泰吉(1905~92)の業績を記念して、1992年に奈良市高畑地区に開館した写真美術館。入江の作品、約8万点を所蔵・公開している。ただ、他の個人写真美術館と同様に、開館後20年以上たつと施設が老朽化し、予算も削られて、運営がむずかしくなりつつあった。そんな中で、今年4月に百々俊二が館長に就任した。百々は長くビジュアルアーツ専門学校・大阪の校長を務め、写真家としても実績を残している。その彼が、最初に手がけた展覧会が、今回の「モノクロスナップ写真の魅力」展である。
入江泰吉は、1950~60年代にかなり多くの奈良市周辺のスナップ写真を撮影している。主にライカM3で撮影されたそれらの写真は、しっかりとしたフレーミング、巧みな光と影の配分に特徴があり、「戦後」の空気感をいきいきと写しとっている。今回は「昭和大和のこども」をテーマに73点が展示されたが、そのうち15点は百々俊二があらためてプリントし直した未公開作だった。
阿部淳は1955年、近藤斉は1959年生まれで、どちらもビジュアルアーツ専門学校・大阪の前身である大阪写真専門学校を卒業している。学生時代から「モノクロスナップ写真」を続けてきたが、その作風はかなり違う。近藤の「民の町」のパートには、1981~2004年に大阪と神戸の路上で撮影された写真が並んでいた。地域性、時代性にこだわりつつ、人と街とのかかわりをダイナミックに写しとっていく。撮影を通じて「カメラを持つことでしか見えてこない世界」を浮かび上がらせていく指向性は、1960~70年代にリー・フリードランダーやゲイリー・ウィノグランドらが試みた「社会的風景」の探求に通じるものがある。
一方、阿部の「市民」には、地域性や時代性はほとんど感じられない。彼自身が「現実の現実感と夢の現実感が重なった所で写真を撮る」と書いているように、そこにあらわれてくるのは、あたかも夢遊病者の眼差しでとらえられたような、浮遊感をともなう断片的な光景だ。阿部の触手が、都市と、そこに蠢く人々の無意識の部分に伸ばされているようにも感じる。
同じ「モノクロスナップ写真」でも、まったく質感が違う3人の写真が共振する、とても面白い展示だった。近藤の写真は106点、阿部はなんと740点、入江の73点とあわせて919点という数は、むろん同館の企画では最大級だろう。入江泰吉の作品世界を追認していくだけではなく、これまであまり取り上げてこなかった若手写真家たちの作品を含めて、さらに新たな方向性が打ち出されていくことを期待したい。
2015/07/12(日)(飯沢耕太郎)