artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

人間写真機・須田一政 作品展「日本の風景・余白の街で」

会期:2022/09/29~2022/12/28

フジフイルムスクエア写真歴史博物館[東京都]

須田一政は1986年に、フジフイルムスクエアの前身である東京銀座の富士フォトサロンで、「日本の風景・余白の街で」と題する展覧会を開催している。今回の展示は、その時の出品作43点から32点を選び「当時の作品の階調、色調を忠実に再現」したプリントによるものだった。

須田は写真集『風姿花伝』(朝日ソノラマ、1978)に代表されるように、6×6判の黒白写真をメインに作品を制作していた。だが1980年代になると、本作のようにカラー作品を積極的に発表し始めた。カラーフィルム(富士フイルム製のフジクローム)を使用することで、色という表現要素を手にした須田は、日常の光景に潜む悪夢のような場面を、より生々しくヴィヴィッドに描き出すことができるようになる。

本作は東京だけでなく、京都、三重・伊勢、長野・小諸、大阪など、日本各地の「観光地」で撮影した写真群を集成したものだが、そこで彼が目を向けているのは「平面上に在る日常という『かげ』の存在」であり、「自らの周辺におこり得る刹那的な特殊空間」である、そのような魔に憑かれたような特異な気配を嗅ぎ分け、素早くキャッチする能力の高さこそが須田の真骨頂であり、それはまさに本展のタイトルである「人間写真機」そのものの機能といえるだろう。

「人間写真機」というのは、どうやら本展のために考えられた造語のようだが、須田の写真家としての「習性」を見事に言いあらわしている。須田は本作以後も、2010年代に至るまで、眼差しとカメラとが一体化した「人間写真機」としての仕事を全うすることになる(2019年に逝去)。そろそろどこかで、その全体像を見ることができる展覧会を企画してほしいものだ。


公式サイト:https://fujifilmsquare.jp/exhibition/220929_05.html

2022/12/04(日)(飯沢耕太郎)

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祈り・藤原新也

会期:2022/11/26~2023/01/29

世田谷美術館[東京都]

藤原新也の50年以上にわたる表現者としての歩み、そこに産み落とされてきた写真、書、絵画、そして言葉を一堂に会した大展覧会である。初期作から最新作まで、200点以上の作品が並ぶ会場を行きつ戻りつしながら考えていたのは、この人は果たして写真家なのだろうかということだった。

むろん、木村伊兵衛写真賞や毎日芸術賞など数々の賞を受賞してきた彼の写真家としての実績は、誰にも否定できないだろう。だが一方で、ごく初期から、藤原は言葉を綴って自らの思考や認識を表明し続けてきた。『全東洋街道』(集英社、1981)、『メメント・モリ』(情報センター出版局、1983)など、写真と言葉が一体化し、驚くべき強度で迫ってくる著作は、比類のない高みに達している。だが、『アメリカ』『アメリカン・ルーレット』(どちらも情報センター出版局、1990)あたりからだろうか。どちらかといえば、言葉を綴る人=思想家としての藤原新也のイメージが、増幅していったのではないかと思う。写真家としても精力的に仕事を続けていたが、どこか観念が先行しているように見えていた。

ところが、今回の展示を見て、そうでもないのではないかと思い始めた。会場の最後の部屋に「藤原新也の私的世界」と題されたパートがあり、そこに彼の99歳の父親の臨終の場面を、連続的に撮影した5枚の写真が展示されていた。藤原が、「はい! チーズ!」と声をかけると、死に際の父親は口を開けて微笑みを返したのだという。それらの写真を見ると、藤原はあらかじめ何らかの予断をもって撮影の現場に臨んでいるのではなく、まずはその光景を「見る」ということに徹してシャッターを切っているのがよくわかる。藤原は「カメラを持つ思想家」ではなく、「撮り、そして考える写真家」であることが、厚みのある展示作品から伝わってきた。


公式サイト:hhttps://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00211

2022/11/26(日)(飯沢耕太郎)

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高木由利子「カオスコスモス 壱 –氷結過程–」

会期:2022/10/07~2022/11/28

GYRE GALLERY[東京都]

1990年代に、人の身体(ヌード)をテーマに、力強い、スケールの大きな作品を発表し注目を集めた高木由利子の、久方ぶりの大規模展示を見ることができた。寒冷地の軽井沢に移住したのをきっかけにして、「氷結過程」を撮影するようになったのだという。氷点下で水が結晶していくプロセスを、クローズアップで撮影した写真群は、以前とは違う無機的で鋭角的な美しさを湛えており、自然界における「カオスとコスモスは同時多発的に共存しているのではないか」という彼女の問いかけに充分に応えうる出来栄えだった。ギャラリーの外の吹き抜けの空間を含む会場インスタレーションも、よく練り上げられていた。

展示は「始まり」「地上絵」「標本箱」「脳内過程」の4部で構成されている。そのうち、奥まった部屋に展示されていた「脳内過程」の作品群が特に興味深かった。今回のシリーズはデジタルカメラで撮影されているのだが、このパートでは、それらをリトグラフで6回刷り重ねることで最終的な作品としている。制作が進行していく段階を、それぞれの版を6枚並べることで示していた。作品制作時における高木自身、およびプリンターの思考の流れが、そのまま見えてくるように思えるのが興味深い。「氷結過程」の画像化という、今回のテーマにもふさわしい展示だったと思う。

「カオスコスモス 壱」というタイトルを見ると、このシリーズはこれで完結したわけではなく、新作(続編)の構想もありそうだ。これから先も、自然界のさまざまな事象から、「カオスコスモス」を抽出していく作品をまとめていってほしい。


公式サイト:https://gyre-omotesando.com/artandgallery/yurikotakagi-chaoscosmos-vol1/

2022/11/26(土)(飯沢耕太郎)

宛超凡「河はすべてを知っている──荒川」

会期:2022/11/15~2022/11/28

ニコンサロン[東京都]

宛超凡は1991年、中国河北省出身の写真家。2013年に来日して明治大学、東京藝術大学の大学院で学び、いくつかの公募展でも入賞を重ねている。ここ数年、あちこちで台頭しつつある中国出身の若手写真家のひとりである。

今回の展示では、埼玉県と東京都を流れる荒川をテーマにしている。流路延長173キロメートル、流域面積294平方キロメートルという荒川は、巨大都市・東京を貫いて東京湾に注ぐ。ということは、荒川を撮影することによって「東京という都市の、様々な側面」を浮かび上がらせることができるということだ。宛は、6×18センチ判のパノラマサイズのカメラを使うことで、次々に目の前にあらわれてくる荒川流域の両岸の風景を、客観性に徹した姿勢で記録していく。展示では、大きく引き伸ばした作品とフィルムをそのまま密着露光してフレームにおさめたプリントとを並置することで、源流から河口へと川を辿っていく視覚的経験をより細やかに提示していた。なお、本展の開催に合わせて同名の写真集も刊行されている。横長の判型に、紙をつなぎ合わせた経師本形式で写真図版をおさめており、とてもよく考えられた造本だった(デザイン=唐雅怡)。

宛は次のプランとして、中国の上海を流れる黄浦江を撮影する予定だという。もしそれが実現すれば、東京と上海という二つの都市と河川との関係をとらえたシリーズになるだろう。中国と日本の都市の歴史、環境、文化の違いもまた、そこからくっきりと浮かび上がってくるはずだ。


公式サイト:https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2022/20221115_ns.html

2022/11/25(金)(飯沢耕太郎)

藤野一友と岡上淑子

会期:2022/11/01~2023/01/09

福岡市美術館 特別展示室[福岡県]

岡上淑子の展覧会に掲げられた年譜などで、「1957年、画家・藤野一友と結婚」「1967年、藤野一友と離婚」といった記述を目にするたびに、どこか奇妙なズレを感じていた。藤野一友の画業について、それほど詳しいわけではないが、理想化された女性の裸体を前面に押し出した、緻密な幻想絵画の描き手であることは承知していたので、その作風と、岡上の繊細だが凛としたたたずまいを持つ写真コラージュ作品とがうまく結びつかなかったのだ。今回、初めて開催されたという岡上と藤野の作品が同時に並ぶ展覧会を見て、長年の疑問が氷解するように感じた。この異質な二人のアーティストたちの出会いと別れがもたらしたものが、それぞれの作品に宿っているように思えたからだ。

ともに1928年生まれの岡上と藤野は、1951年ごろに、二人が在籍していた文化学院で出会う。藤野は読売新聞社主催の日本アンデパンダン展などに出品し、1957年の二科展で特待となって、新進画家として認められていく。一方、岡上も瀧口修造に見出されて1953年にタケミヤ画廊で個展を開催し、その清新なコラージュ作品で注目を集めた。だが、1957年の結婚後、岡上は家事に追われ、コラージュや写真作品の発表は滞りがちになる。1959年に長男が誕生するが、1965年には藤野が脳卒中で倒れ、右半身が不自由になった。諸事情があって、二人は1967年に離婚し、岡上は息子とともに出身地の高知に移った。

このように二人の経歴を辿ると、すれ違いが目立つ邂逅だったといえそうだ。だが、彼らが互いに影響を及ぼしつつ、作品を制作していたことも確かだろう。岡上のコラージュ作品も、藤野の絵画と同様に女性の身体(ヌードも含む)が重要なモチーフになっているし、藤野の作品制作にあたって、岡上が助言することもあったようだ。確かに「藤野作品では、家父長的な戦後日本社会における男性優位のまなざしを、岡上作品では戦後の日本で女性が抱いた夢と苦悩を読み取ることも可能」(本展リーフレット)であることはその通りだと思う。だが同時に、二人のアーティストたちの世界が、互いを触媒としたきわめて独特な化学反応によって生じたことも事実だろう。それは、同じ時代に同じ空間を共有することがもたらした奇跡といえるのではないだろうか。


公式サイト:https://kyoto-ex.jp/2019/

2022/11/18(金)(飯沢耕太郎)

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