artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

安彦祐介「スウィートホーム」

会期:2013/04/26~2013/05/06

RENSEI PRINT PARK[東京都]

井上佐由紀展を開催したnap galleyは、3331 Arts Chiyoda の2Fのスペースだが、その地下のRENSEI PRINT PARKでは、安彦祐介が個展を開催していた。安彦の作品はいつもいろいろ観客を楽しませる仕掛けを凝らしている。むろん今回の展示もその例に漏れない。
今回の「スウィートホーム」の主題は、安彦の生まれ故郷でもある北海道札幌市郊外の建て売り住宅群だ。それらを雪が積もった冬の季節に「ペンタックス6×7にソフトフォーカスフィルターをつけて」撮影し、全紙サイズにプリントしている。フィルターの効果によって、画面全体が柔らかにぼかされ、白い綿のような雪が、どちらかと言えばほんのりと温かみのある雰囲気で写っている。まさに「スウィートホーム」そのもののイメージなのだが、このタイトルは「札幌近郊で今年たまたま見つけた」実際の住宅の名称なのだそうだ。つまりパステルカラーのペラペラの建て売り住宅を、いかにもメルヘンチックに撮影しているわけで、そこにはむろん安彦独特の批評的な距離感が介在している。もし雪の積もっている時期に撮影しなかったならば、ノイズが多い、ただの安っぽい住宅写真になってしまうはずだ。雪という舞台装置とソフトフォーカスフィルターを巧みに使いこなすことで、むしろ「隠されているもの」に想像力が動いていくようにもくろんでいるのではないだろうか。
「北欧やロシアや中国でも、同じコンセプトで撮ってみたい」とのこと。それはそれで、比較の対象が増えて面白くなりそうだ。

2013/05/01(水)(飯沢耕太郎)

井上佐由紀「くりかえし」

会期:2013/03/30~2013/05/12

napp gallery[東京都]

前作の波をテーマとした「意思のない生物」(nap gallery、2012)あたりから、井上佐由紀は果てしなく同じ動きをくり返す自然現象を撮影し始めた。今回の「くりかえし」では、アイスランドの間欠泉の水面に巨大な泡のようなものが盛り上がり、崩れ落ちる様を撮り続けている。たしかに、このような対象をずっと見つめていると、目眩のような感覚とともに、生命の根源に直接触れているような気がしてくる。実際にわれわれの遠い先祖である生命体は、地熱で温度が上がった水の中に誕生し、波間を漂いながら形をとっていったわけで、彼女の写真が与えてくれる安らぎや懐かしさは、もしかしたらそのあたりから来ているのではないかとも思う。
だが今回は、プリントよりも画像のプロジェクションを中心にした展示だったこともあって、作品から受ける感触がやや拡散し、抽象的、概念的に流れてしまっている気がした。会場がやや狭いので、画像を落ち着いて見ることが難しいのだ。むしろ生命の根源へと遡るという彼女のコンセプトを、より徹底させることが必要になりそうだ。とすれば、被写体として人間を再び呼び戻す方がよいのではないだろうか。2009年に刊行された『reflection』(buddhapress)は、海辺で踊る少女を撮影した、爽やかな意欲を感じさせるいい写真集だった。自然の中に人を包み込む、あるいは人の中に自然を満たすための、何かよい方法が見つかるといいのだが。

2013/05/01(水)(飯沢耕太郎)

小野規「東北─247日目から341日目に」

会期:2013/04/13~2013/05/05

アンスティチュ・フランセ関西 京都サロン3F[京都府]

小野規が「京都グラフィー」の展示の一環として開催した「東北─247日目から341日目に」展は、これまで数多く発表されてきた「震災後の写真」の展覧会とは、やや異なった感触を与えるものだった。彼はスイスの建築雑誌『TRACÉS』の依頼を受けて、2011年11月から2012年2月にかけて、岩手県宮古市から宮城県を経て福島県相馬市に至る東日本大震災の被災地を、3回にわたって撮影した。この震災当日から8ヶ月以上経過している時期というのが、なかなか微妙だと思う。すでに震災直後の混乱はおさまり、瓦礫の片付けも進んでいる。とはいえ、特に沿岸部にはまだ生々しい津波の傷跡がくっきりと残ったままだ。
小野は撮影にあたって、「被災というドラマを撮ることよりも、波の到達した縁の部分をなぞる」ことを心がけたのだという。そこから見えてくるのは「破壊され、変形し、自然の形態(フォルム)との境界が曖昧に」なってしまった「戦後経済のかたち」だ。東北の風景を、日本の戦後の経済発展(とその停滞)のフロントラインとして捉える視点はとても興味深い。それを可能としたのが、自分を「19世紀なかばに、エジプトやメキシコで考古学資料を撮影していた写真家」になぞらえるような小野の撮影の姿勢だろう。その淡々と、冷静に距離を置いて撮影された写真群を、あまりにも素っ気なく取り澄ましたものと感じて忌避する人もいるかもしれない。だが美学的なアプローチを注意深く回避して、あくまで「考古学資料」として写真を提示することに徹するという彼の選択は、それはそれで貴重な試みではないだろうか。各地の神社とその周辺を、特に入念に撮影しているのもその姿勢のあらわれと言えるだろう。
なお「京都グラフィー」では、小野のほかにも細江英公、マリック・シディベ、ケイト・バリー、アルル国立高等写真学校の学生たちの展示など、京都市内のさまざまなスペース12カ所で写真展が開催され、シンポジウムやワークショップも開催された。時期もいいので、恒例行事として大きく発展していくことが期待できそうだ。

2013/04/28(日)(飯沢耕太郎)

口枷屋モイラ/村田タマ「少女ロイド」

会期:2013/04/17~2013/04/28

神保町画廊[東京都]

口枷を使ったフェティッシュな写真とオブジェの作品を発表してきた「口枷屋モイラ」と、写真家・村田兼一のモデルからスタートして、自分も「大人の童話」のような作品を制作し始めた村田タマによるコラボレーション展である。
「少女ロイド」というのは、「2XXX年、ゆるやかに滅びつつある世界でなき主人のインプットした情報により、2体のアンドロイドが想像で“女子高生”の日常を演じるというSFストーリー」を元にしたシリーズだ。いかにもありがちな設定に思えるが、彼女たちはいたって真剣。豊富なアイディアを、玉手箱を開けるように次々にイメージ化してみせてくれる。特に、写真といろいろなオブジェを箱額に一緒におさめた作品がうまくいっていると思う。1980年代生まれの彼女たちにとって、コスチュームを身につけ、何かのストーリーを演じるという行為が、まったく特別なものではなく、日常の延長で軽々と成し遂げられるものであることがよくわかる。その無理のなさ、屈託のなさはやや拍子抜けしてしまうほどのものだ。
とはいえ、この「少女ロイド」の世界には、単なる絵空事ではない切実さがあるように思えてならない。「2XXX年、人類は緩やかに滅んでいった。人類の現象に伴い、学校や社会は機能しなくなった」という彼女たちが考えた舞台設定が、この国では決して現実からかけ離れたものではないことを、彼女たちもわれわれ観客も身に染みて実感しているからだろう。この二人のコラボレーション、一回で終わらせるのはもったいない気がする。「少女ロイド」の続編でも、新作でもいいから、あと何回か続けていってほしいものだ。

2013/04/25(木)(飯沢耕太郎)

松江泰治『jp0205』

発行所:青幻舎

発行日:2013年03月15日

以前の松江泰治の写真集は、地表や都市を一定の距離を置いて撮影したモノクローム写真を素っ気なく並べただけだった。だが、2000年代以降、そのあり方が大きく変わってきている。一作ごとにスタイルを変え、遊び心、サービス精神が発揮されるものになっているのだ。この『jp0205』も、ページをめくっていくたびに、目の前にあらわれてくる眺めを追うだけで実に愉しい。
本作は2006年に刊行された『jp-22』(大和ラヂヱーター製作所)の続編にあたるもので、静岡県を舞台にした前作に続いて青森県(jp-02)と秋田県(jp-05)の各地を空撮している。写真集の解説の清水穣の文章(「無限遠と絶対ピント──松江泰治の空撮写真」)の言葉を借りれば、「晴天、順光、低空、真正面、絶対ピントという五つの条件を全て満たしうる」本作は、「jp」シリーズにおける松江のスタイルが、完全に確立したことを示している。その最大の見所は、彼が試行錯誤の末に見出した絶妙な視点の取り方によって、それぞれの土地の原像とでも言うべきものが鮮やかに立ち上がってくることだ。秋田県象潟の水田の風景は、雨期になると日本の農村の地表が水の膜によって覆い尽くされることを示す。あらゆる場所に点在する春の桜のピンク色の塊、小さな矩形の石がちらばっているような墓地も日本独特の眺めだろう。三内丸山の縄文遺跡と石油コンビナートが、共通の構造を持つように見えるのも面白い。一枚一枚の写真から発見の歓びが伝わってくる。こうなると最終的な目標は、47都道府県すべての「jp」シリーズがそろうということになるのだろうか。

2013/04/24(水)(飯沢耕太郎)