artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

濱田祐史「Pulsar + Primal Mountain」

会期:2013/05/07~2013/06/29

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

濱田祐史は1979年大阪府生まれ。日本大学芸術学部写真学科を2003年に卒業後、出版社勤務を経てイギリスに滞在し、本格的に写真家としての活動を開始する。東京での初個展となる今回の展示には、「Pulsar」と「Primal Mountain」という2作品が出品された。
「Pulsar」は身近にある光を可視化しようとする作品。風景の一部(かなり大きなパートを占めることもある)に射し込む光が、スモークの効果で、幾筋かの光束、あるいは光のプールのような状態として見える様子が、繊細に仕上げられたカラープリントに定着されている。たまたま公園で撮影していたときに、ブランコを漕いでいた少女が「この光はどこからくるの?」と呟いたのを聞いたのが、制作のきっかけになったという。「Primal Mountain」は銀紙のようなもので架空の山の形をつくり、それらを、空を背景として撮影した連作である。こちらはある日友達から、「美しいけれど何やら嘘っぽく」感じる山のポストカードが届いたことから思いついたプロジェクトだ。
両方とも発想の妙があり、それを形にしていく手際も悪くない。だが、どこか綺麗ごとに終わってしまっているところが、なんとも歯がゆく感じてしまう。作品としてすっきりとまとめるのを優先するよりも、もう少しもがいてほしいとも思う。写真家としての潜在能力はかなり高そうなので、それは決して無い物ねだりではないはずだ。

2013/05/31(金)(飯沢耕太郎)

小平雅尋「他なるもの」

会期:2013/05/27~2013/06/08

表参道画廊[東京都]

小平雅尋は1972年、東京生まれ。97年に東京造形大学造形学部の写真コースを卒業後、写真家としてのあり方を静かに、だが着実に探求し続けてきた。2011年に刊行された写真集『ローレンツ氏の蝶』(シンメトリー)は、その成果を問うたもので、「不断に続けられる世界との細やかな対話の中で紡ぎだされてきたイメージ群」(増田玲)が、端正なモノクローム写真として提示されていた。
今回の「他なるもの」は、その『ローレンツ氏の蝶』の収録作品、及び同時期に撮影されていたアナザーカットによって構成されている。身近な東京の光景から、沖縄や隠岐島までを含むかなり広い範囲で撮影されており、内容的にも風景、昆虫や植物、自分の影を映し込んだ作品まで幅が広い。だが、そこには小平が世界に向ける眼差しのあり方がしっかりと定着されており、揺るぎない一貫性が感じられる。彼の写真の世界が、堂々とした風格を備えて確立してきた証といえるだろう。
タイトルの「他なるもの」というのは、ドイツの宗教哲学者ルドルフ・オットーの『聖なるもの』(1917)のなかの「全く他なるもの」という言葉からとったもので、「この世界に無防備に曝されているという、外界に対する強い畏れの感覚と、同時に現れる恍惚」を指す。このような宗教的な概念について、以前は警戒心が強かったのだが、「あの震災」以降に心に響くようになったという。たしかにこのシリーズには、畏れと恍惚が共存している趣がある。そしてそれは小平にとって、写真を撮るという行為を内から支える根源的な感情でもあるのではないだろうか。

2013/05/30(木)(飯沢耕太郎)

小原里美「SWEDEN」

会期:2013/05/27~2013/06/09

ギャラリー蒼穹舍[東京都]

小原里美は1999~2001年頃に写真新世紀に出品していたのだが、その頃は主にコラージュ作品を制作していた。細かい手仕事の、装飾的な画面をよく覚えている。ところが、その後モノクロームのスナップショットを主に発表するようになった。こちらはとても正統的というか、東京ビジュアルアーツで師事した森山大道の影響の色濃い、くっきりとしたコントラスト、大胆なフレーミングの作風で、その落差にずっと違和感を覚えてきた。
今回の「SWEDEN」の連作(蒼穹舍から同名の写真集も刊行)は、2006年から5回ほどスウェーデンを訪ねて撮影したもので、スナップショットとしての完成度は、以前にくらべて格段に上がっている。それだけではなく、元々小原が備えていた画面の構築力、コラージュ的に事物を配置していく能力の高さが、自然体で発揮されるようになってきているのではないだろうか。スウェーデンに通うきっかけになったのは、彼女の姉が結婚して移り住んだためで、「そこに暮らす私の家族」や親戚たちの暮らしぶりが写り込んでくることで、写真に単なる旅行者の視点ではない厚みが生じてきた。人、街、自然の絡み合いが、綴れ織りのように展開していく写真群を、気持ちよく目で追うことができた。
こうなると小原の視覚的体験は、彼女がずっとこだわり続けてきたモノクロームの世界にはおさまり切れなくなってきているのではないかとも感じる。彼女のコラージュ作品はカラフルな原色の世界だった。カラー写真の「SWEDEN」をぜひ見てみたいものだ。

2013/05/28(火)(飯沢耕太郎)

志賀理江子「นัดบอด/ブラインドデート」

会期:2013/03/08~2013/06/30

書本&cafe magellan(マゼラン)[宮城県]

仙台に帰郷したついでに、せんだいメディアテーク近くの古書店、Magellan(マゼラン)に立ち寄ったら、思いがけず志賀理江子の展示を見ることができた。
この「ブラインドデート」は、2009年にタイ・バンコクにアーティスト・イン・レジデンスで滞在中に制作した作品だ。バンコクはバイク天国で、若いカップルたちが相乗りしている姿をよく見る。志賀はそれを見て「これだけ多くのバイクに乗った人がいれば、きっとふざけて彼の目を手で隠して走り、死んだ恋人がいたかもしれない」と考える。実際にはそんな事実はなかったようだが、彼女はいつものようにその夢想(というより妄想)を身体的な現実として定着しようと試みる。バイクに相乗りする100組の恋人たち、「彼らとともに5分間バイクを走らせ」、その姿を至近距離から撮影したのだ。
それら、エクスタシーと死者との間に宙吊りになったような表情の恋人たちのポートレートが、古書店の壁や天井にパラパラと貼られている。バンコクで展示したときのテープや画鋲の穴の痕がそのまま残っているプリントを、隠れん坊の鬼になったような気分で探し歩くのがなかなかいい。実はポートレートの何枚かは、売り物の本の中に「しおり」として挟み込まれていて、それを買った人は持ち帰ることができるという仕掛けになっているようだ。「螺旋海岸」のような大作と比較すれば小品には違いないが、これはこれで、彼女の発想を形にしていくプロセスがヴィヴィッドに伝わってくる興味深い実験作だった。

2013/05/26(日)(飯沢耕太郎)

田代一倫「はまゆりの頃に 2012年 冬」

会期:2013/05/02~2013/06/02

photographers' gallery / KULA PHOTO GALLERY[東京都]

田代一倫が東日本大震災直後の2011年4月から撮り始めたのが「はまゆりの頃に」のシリーズ。東北各地を歩き回り、そこで出会った人たちに声をかけ、カメラに正対したポーズでシャッターを切る。被写体の周囲の状況をなるべく取り入れ、画面の中央に全身像をおさめるスタイルは、最初からまったく変わっていない。60×50.8センチのサイズにプリントし、展覧会の会場に並べられた写真には、撮影した日付と場所のデータが添えられているだけだが、同時に制作されるポートフォリオブックには、田代と交わした会話や彼の感想などの短いコメントが付されている。このテキストと写真との微妙な関係のあり方も、ずっと同じ形で続いてきている。
photographers' gallery とKULA PHOTO GALLERYで、季節を追って開催されてきた展覧会も回を重ね、撮影したモデルの数も1,100人を超えたそうだ。ずっと写真を見続けていると、田代の被写体との向き合い方が少しずつ変わってきたように思えてくる。震災の被災者だけではなく。前回くらいから、以前はあえて避けてきた「風俗」関係の店で働く人たちにもカメラを向けるようになった。今回は福島県福島市、いわき市、南相馬市などで撮影した写真が並んでいるが、KULA PHOTO GALLERYの展示はすべて「東京電力・福島第一原子力発電所作業員」のポートレートだ。青いビニールの作業衣を身につけた男たちが、時には満面の笑顔を見せて写っている。田代の撮影の姿勢が、より柔らかで広がりを持つものになり、写真とテキストの説得力も増してきているのだ。
写真シリーズとして、ほぼ完成されてきたのではないかと思っていたら、田代自身もそろそろ写真集にまとめたいという気持ちでいるようだ。秋に刊行予定で、もう編集作業に入っているという。1,000人以上のポートレートをすべておさめるには、相当無理をしなければならないかもしれないかもしれないが、彼のまっすぐな写真がもつ気持ちのよさを、しっかりと伝えてくれる写真集になってほしいと思う。

2013/05/21(火)(飯沢耕太郎)