artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
鳳が翔く──榮久庵憲司とGKの世界
会期:2013/07/06~2013/09/01
世田谷美術館[東京都]
たとえ「榮久庵憲司」あるいは「GK」の名前を聞いたことがなくても、彼らが手がけたデザインに触れたことがない人はほとんどいないに違いない。小さなものではキッコーマンの卓上しょうゆ瓶、大きなものではJR東日本の各種鉄道車両から都市計画まで、GKグループが扱うデザインの領域はとても広い。プロダクト関係では、家電やOA機器、産業機械や医療機器、モーターサイクル、モーターボート、鉄道車両や航空機の座席など。グラフィックの分野では、ポスターやパッケージからCIや商品のブランディング、情報機器のインターフェースや博物館・博覧会の情報コンテンツなど。都市、公共施設の設計や、ストリート・ファニチュア、サイン計画など、多様な分野の専門家を揃えている。領域別のグループ会社5社を東京に置くほか、京都、広島、北米、欧州、中国に六つのグループ会社(中国に2社)を置き、200名を超える社員がいる。これらのデザイン企業を統括しているのが、株式会社GKデザイン機構であり、そのトップがインダストリアルデザイナー榮久庵憲司(1929- )である。
榮久庵憲司は、1950年代に東京藝術大学工芸科助教授の小池岩太郎の下で学んだ仲間たちとともに、GK(Group of Koike)を結成。以来60年にわたってインダストリアルデザインを中心として、私たちの生活に直接・間接に関わる数々の優れたデザインを生み出してきた。その事業は実践に留まらない。GKグループの理念には、「運動」「事業」「学問」の三つが挙げられている。「運動」は、人とモノとの美しい関係──ものの民主化・美の民主化──を人々に伝えること。「事業」は、適切な価値観によるデザインを具体化すること。「学問」は、時代調査・生活調査などの研究を通じて、人の暮らしとモノの関係にある普遍的な方程式を発見することである 。GKグループは、企業から依頼されたデザインワークを実現するばかりではなく、そのデザイン思想を榮久庵憲司の著書や、グループ内外の展示会、道具学会などの研究会を通じて公にしてきた。
規模が大きく、手がけてきた領域は多岐にわたり、60年にわたる歴史を経て未来へと歩み続けるデザイン企業の仕事を包括的に見せようとするとき、いったいどのような方法がありうるのか。榮久庵憲司とGKグループ、そして世田谷美術館の野田尚稔学芸員が今回の展覧会でとった手法は、GKグループの具体的な仕事を紹介すると同時に、グループを統括してきた榮久庵憲司の思想世界を提示するというものであった。
美術館入口にはヤマハのモーターサイクルVMAXのフォルムを削りだしたオブジェがある。最初の展示室では、構想に終わったものも含めてGKが手がけた代表的なプロジェクトが紹介されている。卓上しょうゆ瓶はもちろん、各種のパッケージデザイン、GKのオリジナル商品、博覧会のゲート、都市計画などの実物、模型、映像である。雲がたなびく暗いトンネルを抜けると、真っ白な展示室が現われる。ここでは、竹村真一氏とコラボレーションした「触れる地球」、ヤマハ・モーターサイクルのコンセプトモデル、住居都市や浮遊する居住空間などの自主研究プロジェクトが紹介されている。最初の展示室が過去から現在までのプロダクトだとすると、ここにあるのは未来への提案である。そしてさらに奥に進むと、そこには「道具曼陀羅」と「道具千手観音像」による「道具寺道具村構想」、そして天女が舞い降り蓮が咲き乱れる池の上に鳳が飛翔する「池中蓮華」のインスタレーションへと至る。ここに示されるのは時間や空間を超越したモノの普遍的な美の世界である。じつに驚きの展示風景。ここにはあえて写真を示さない。実際の展示で体感されたい。
父の後を継いで浄土宗の僧侶であった榮久庵は、敗戦後アメリカ軍がもたらした数々のモノに圧倒され、レイモンド・ローウィの『口紅から機関車まで』に影響を受け、東京芸術大学でデザインを学び、また、アメリカに留学しアートセンター・スクールでも学んでいる。日本人の生活にもアメリカの文化が流入してくるなかで、彼はインダストリアルデザインによって人々の生活が進むべき方向を示そうとしてきた。その理念が「ものの民主化」「美の民主化」であり、榮久庵とGKは人々の生活を改善し、かつ豊かにするデザインを生み出していった。同時に、アメリカ的なデザインの手法と、榮久庵のバックグラウンドである仏教思想とのあいだに、独自のデザイン観である「道具世界」を唱える。「道具」とは「道に具わりたるもの」。英語では「the Way of Life」、すなわちモノとともにある人々の生活秩序を意味する 。「インダストリアルデザイン」という言葉には特定の価値観はなく、目指すべきデザインの方向を示してはいない。それに対して「道具」は人とモノ、人と空間、人と社会との関係をも指し示す言葉である。それゆえ道具世界では、デザインの対象はプロダクトやグラフィックに留まることなく、生活空間すべてに敷衍し、また特定の時代に属することなく、拡張されうるのである。そして、モノは人との関係にあって初めて「道具」となる。展覧会会場でモノを人から、あるいは本来の場から切り離して展示しても、ただの商品カタログ、編年的記録にしかならない。本展の展示・インスタレーションは、多様な領域にまたがるプロダクトが、榮久庵憲司というデザイナー・思想家をトップに抱く創造集団GKのもとで生み出されてきた「道具」であることを明らかにするひとつの方法といえよう。
この展示に足りないものをあげるとすれば、それは榮久庵の思想がどのようにグループ企業12社、200人を超える社員のあいだで共有され、現実のプロダクトへと反映されているのかという視点である。ただこれは経営論、組織論でもあり、美術館での展示という枠組みを超えた話かもしれない。さしあたり、美術館の企画としては異例のデザイン展、「ぶっとんだ」インスタレーションから、榮久庵憲司の「道具世界」をじっくりと読み解いていきたい。[新川徳彦]
2013/07/09(火)(SYNK)
鈴木悦郎──エンゼル陶器の仕事
会期:2013/07/03~2013/07/15
あるぴいの銀花ギャラリー[埼玉県]
画家・挿画家の鈴木悦郎(1924- )は、中原淳一の雑誌『ひまわり』『それいゆ』や富国出版社の『少女世界』などの挿画、児童雑誌『ぎんのすず』などの絵本、教科書や書籍の装幀、シールやハンカチなどの雑貨、学習教材のパッケージやお店の包装紙など、さまざまな仕事を手掛けてきた。その多彩な仕事のひとつに陶磁器のデザインがある。鈴木悦郎は昭和30年代半ばから20年以上にわたって、200種類を超える陶磁器のデザインを手がけてきたきたという。当初は「みわ工房」という製陶所が制作にあっていたが、その後、岐阜県多治見の「エンゼル陶器」で制作・販売された。エンゼル陶器は20年以上前に廃業してしまったが、今回の展覧会では、経営者の手元に保存されていたサンプル製品のほか、悦郎がデザインした陶磁器の図面や版下、製品カタログが出品された。
中原淳一や内藤ルネが描いた少年少女像とは異なり、『ひまわり』『それいゆ』を飾った悦郎の挿画は、武井武雄や初山滋の童画の系譜につらなる、どこかエキゾチックで素朴な線が特徴である。陶磁器の仕事では絵付けや色彩が魅力的なことはもちろん、器の形も──その時代特有のものなのかも知れないが──古めかしいという印象を与えるものではなく、むしろモダン。なかには悦郎自ら器形をデザインし、特許をとった製品もあった。彼はただ意匠を提供しただけではなく製品全体に目を配り、エンゼル陶器のロゴマークや「ひびをたのしく」というキャッチフレーズも手がけている。一企業をトータルにコーディネートしたデザイナーでもあったのだ。
展覧会場の「あるぴいの銀花ギャラリー」は、フレンチ、イタリアンなどのレストラン、ショップなどから構成される「アルピーノ村」の一角にあるギャラリー。マダムの阪とし子さんが悦郎の大ファンということで、レストランには数々の悦郎作品が掛かっているほか、窓のステンドグラス、シンボルマーク、メニューやお菓子の包装紙に至るまで、そこここに悦郎デザインを見ることができる。ギャラリーのマークも悦郎による描き文字だ。ギャラリーでは1988年から年に2回、鈴木悦郎の絵画の個展が開催されていた。毎回全国からファンが訪れ、出品作品はたちまち売約済みになる人気であったとか。残念なことに、高齢もあって新作の個展は昨年末が最後の開催となったそうであるが、ご本人がお元気なうちにその仕事を包括的に振り返る展覧会を実現して欲しいと願う。[新川徳彦]
2013/07/03(水)(SYNK)
カトウヨシオ「デザインのココロ」
サントリーのインハウスデザイナーとして、BOSS、なっちゃん、DAKARAなど、ヒット商品のデザインを生み出してきた加藤芳夫氏(サントリー食品インターナショナル・ブランド戦略部シニアスペシャリスト/クリエイティブディレクター/日本パッケージデザイン協会副理事長)は、2012年に国際的パッケージデザインアワード「Pentawards(ペントアワード)」で、日本人として初めて名誉殿堂入りした。これを記念して出版された本書は、商品デザイン、ブランドづくりの原点から、商品と消費者のコミュニケーションのありかた、手がけた製品のコンセプトまでをイラストと言葉で綴る、加藤氏の「デザインのココロ」である★1。
私たちの周りにはさまざまなパッケージがあふれている。本来は機能的な必要からモノは包まれるようになったのであろうが、モノは包まれることでまた別の意味、価値を持ちうる。たとえば、百貨店の包み紙とスーパーの袋と、中身が一緒であったとしても、人々はそこに異なる価値、物語を見出す。商品を包むパッケージは、しばしば商品そのものでもあるのだ。
サントリーの飲料部門のパッケージデザインに対するアプローチは、加藤氏がこれを「商品デザイン」という言葉で呼んでいるように、商品づくりからはじまる。デザイナーは入れものをデザインするのではなく、商品そのものをデザインする。味の設計、商品のネーミング、パッケージのデザインを、ひとつのチームで、ひとつのコンセプトのもとでつくりあげているという。飲用する人、飲用シーンを想定し、コンセプトを定め、商品の企画を方向付ける。アートディレクターとなってからの加藤氏は、あえて自らデザインすることを止め、この方向付け=ディレクションに徹しているのだという★2。方向付けが具体的すぎては、デザイナーはただの下請けになってしまいかねない。解釈の余地があるから、新しい魅力的なものが生まれる。ピーナッツのようなキャラクターによるイラスト(加藤氏の分身だろう)と、優しい言葉で商品づくりのエッセンスを綴った本書は、まさしく加藤芳夫氏のデザインへのアプローチそのものではないかと思う。[新川徳彦]
2013/06/30(日)(SYNK)
山本耀司『服を作る──モードを超えて』
──ファッションデザイナーは、その瞬間のときめきや、まだ言葉にならないけれど「これからはこうあってほしい」という空気や思いを表現する商売です。フランス語でいうところの「ici et maintenant(イシ・エ・マントゥノン)、つまり「ここで、今」が大切だと思っています。だから過去を振り返ることは嫌いです。僕の作った服が博物館のようなところに入るのも(…中略…)展覧会が開かれるときのこそばゆい感じも、過去を振り返るのが嫌なのも、苦しみながら服を作り続けるのも、言い換えれば、今の僕のほうがもっといい仕事ができるんだぞということを、言い続けたいと思っているからです。[『服を作る』、104-105頁]
1980年代、川久保玲とともに、服の既成概念を覆した独特の表現で世界のファッション業界に衝撃を与えた、山本耀司。当時タブーとされていた「黒」を前面に押し出した彼の服は「黒の衝撃」と称され一大旋風を巻き起こした。以後、賛否両論の評価を受けつつも、山本は世界を代表するファッションデザイナーとなっていった。今年70歳になる彼は、いまもなお「ここで、今。苦しみながらも服を作り続けたい」という。本書は、山本がその生い立ちから現在までを語ったもの。また本の後半には山本への100の質問が加えられている。たとえば、好きな食べ物や映画、ファストファッションへの感想、ファッションデザイナーの未来に至るまで、巨匠のプライベートやファッションへの想いを余すところなく見せてくれる。聞き手は読売新聞社の生活部長として長年ファッションなどを担当している宮智泉。ファッションはもちろん、ひとつの頂点を極めた人間、山本耀司の哲学や世界観を知る貴重な一冊となっている。[金相美]
2013/06/30(日)(SYNK)
美の響演──関西コレクションズ
会期:2013/04/06~2013/07/15
国立国際美術館[大阪府]
関西の国公立美術館6館(国立国際美術館、大阪市立近代美術館建設準備室、京都国立近代美術館、滋賀県立近代美術館、兵庫県立美術館、和歌山県立近代美術館)が所蔵する欧米美術、約80点を一堂に展観したもの。展示は次のとおり、「第1章:20世紀美術の幕開け」「第2章:彫刻の変貌とオブジェの誕生」「第3章:ヨーロッパの戦後美術」「第4章:戦後アメリカ美術の展開」「第5章:多様化する現代美術」の5部で構成される。20世紀初頭のセザンヌ、ピカソから始まり、ボッチョーニ、デュシャン、ブランクーシ、アルプ、コーネル、フォートリエ、ロスコ、ステラ、ウォーホル、リヒター、バスキア、シャーマン、21世紀初頭のジュリアン・オピー等々、選りすぐりの作品が揃う。これさえ見れば20世紀以降の美術のおもな展開を概観できるといって過言ではないほど、見どころがぎゅっと凝縮された展覧会である。[竹内有子]
2013/06/29(土)(SYNK)