artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
ヤマハ株式会社 デザイン研究所50周年企画展「DESIGN RECIPE」
会期:2013/10/30~2013/11/04
AXISギャラリー[東京都]
この展示会を見て感じたのは、デザインにおける時間軸の長短、あるいは寿命の存在である。プロダクトによってデザインの消費のされかたには違いがある。それは北欧のデザインには長く愛されているものが多く、日本のデザインの寿命は一般に短いと言われるようなことである。とはいえ、この議論はプロダクトの性格や製造企業のポリシー、流通や消費のありかたを無視して総論を述べることにはあまり意味がないように思う。さしあたり楽器デザインの寿命は長く、変化は緩慢であり、それはことさらアコースティック楽器において顕著であるようだ。使用者や音楽の消費のされ方、社会や市場における位置づけが変化しても、その形はほとんど変わらない。それは弦楽器であれ、管楽器であれ、素材や形そのものが音を生み出すための構造であり、安易に変えることができないという特性ゆえでもある。装飾のためだけになにかを付け加えることは音に影響するばかりではなく、操作性をも損ないかねない。すなわち、究極的な機能主義デザインが求められる世界なのである。ただし、据え置き型の楽器であるピアノやオルガンには、比較的デザインの自由度があるという。
音を生み出す仕組みと形とを分離できれば、デザインの自由度は高まる。それゆえ現代の楽器デザインの主要なフィールドは電子楽器にある。本展に出品されているプロダクトも、そのほとんどが電子楽器である。しかし、会場を一周すると、たとえ電子楽器であってもその大部分はアコースティック楽器のデザインをリファレンスとしていることがわかる。まったくこれまでにない形のものは、「テノリオン」ぐらいではないだろうか。そもそもこれはリファレンスとすべきオリジナルが存在しない新しい楽器である。電子楽器のデザインにおける制約は演奏のための機能性ばかりではなく、楽器が置かれる環境、楽器に対して奏者や聴衆が抱いているイメージ、舞台におけるパフォーマンスの見映えなど、さまざまなものがある。もちろん、価格も重要な制約条件であろう。そしていわゆる消費財との大きな違いは、楽器は演奏者にとって道具であり、使い込むことによって両者が一体となってゆく存在である点にあろう。それゆえ頻繁な買い換えは望めない。自動車や家電製品のように毎年のモデルチェンジが消費をうながすというビジネスモデルは成り立たない。実際、ヤマハでは10年間使われ続けることを前提にデザインしていると教えてもらった。
このように制約が多く変化が緩慢な楽器の世界でありながらも、ヤマハは着実に新しいデザインを生み出している。ヤマハ(旧・日本楽器製造)がすでに50年前、1963年(昭和38年)にデザイン部門を設置していたということには驚いた。ヤマハの経営を多角化させていった川上源一社長の時代である。しかも、設置に先立ち美術学校の優秀学生を奨学生として採用し、「入社後二ヶ月半にわたりデザインの勉強のため欧米諸国を視察し、帰国してからは、東京支店の店舗を初め、製品のデザイン、ポスター、カタログ等にその才能をいかんなく発揮した」というのである 。50年以上前に播かれた種が、現在もヤマハのデザインとして花を咲かせつづけている。プロダクトやデザイン自体の時間軸の長さばかりではなく、優れたデザインを生み出す企業文化が継続することの重要性についても強く意識させる企画であった。[新川徳彦]
2013/11/01(金)(SYNK)
東洋学の歩いた道「マルコ・ポーロとシルクロード世界遺産の旅──西洋生まれの東洋学」
会期:2013/08/07~2013/12/26
東洋文庫ミュージアム[東京都]
東洋文庫での展覧会タイトルは「マルコ・ポーロとシルクロード世界遺産の旅──西洋生まれの東洋学」。『東方見聞録』に記されたマルコ・ポーロの足跡をたどりつつ、東洋文庫が擁する貴重書コレクションを通じて西洋から見た東洋を俯瞰する試みである。東洋文庫は大正13(1924)年に三菱第3代社長岩崎久彌が設立した。設立の基盤となったのは、ロンドンタイムズ北京特派員で中華民国総統顧問を務めたG・E・モリソンが蒐集した中国に関するヨーロッパの文献約2万4000点である。その他のコレクションを加え、現在では日本・アジア・アフリカに関する学術資料約100万点を所蔵する。もともと「東洋」とは、西洋人にとって自分たちの以外の領域を指し示すものとして現われた概念であり、アジアを旅した商人や探検家、宣教師などによって知識が記録され、探求心が醸成されてきた。マルコ・ポーロ(1254-1324頃)はその先駆者であり、『東方見聞録』は大航海時代の探検家たちも愛読したベストセラーであった。展示前半は、書籍としての『東方見聞録』にフォーカスする。東洋文庫はさまざまな国で刊行された『東方見聞録』77種類のコレクションを擁しており、これらが一堂に展示されている。もっとも古いものは、1485年にアントワープで刊行された活版印刷版。コロンブスも同じ版を持っており、これを繰り返し繰り返し読んでいたという。後半の展示は、東洋文庫のコレクションによって、マルコ・ポーロが訪れた主要な都市を紹介する。たとえばフランス人商人ジャン・シャルダンによる『シャルダン東方旅行記』(1735)に描かれたペルシャの風景や、イタリアの修道士プラノ・カルピニ『モンゴル人の歴史』(1706)によるモンゴル帝国の調査報告書である。そのほかヨーロッパでつくられたアジアの地図など、西洋人が「発見」した東洋の姿には興味が尽きない。こうした東洋文庫のコレクション形成には、学習院から帝国大学に移った白鳥庫吉らが尽力した。その白鳥は昭和14(1939)年に東洋文庫の第4代理事長に就任。また、永青文庫を設立した細川護立は第7代の理事長であり、ここにも学習院の人脈を見ることができるのである。[新川徳彦]
2013/10/25(金)(SYNK)
東洋学の歩いた道「古代中国の名宝──細川護立と東洋学」
会期:2013/10/05~2013/12/08
永青文庫[東京都]
永青文庫では「古代中国の名宝──細川護立と東洋学」のタイトルで、細川護立(1883-1970)のコレクションから東洋学への関わりを見せている。美術品の蒐集家であった護立は、大正14(1925)年に始まる漢代の楽浪遺跡の発掘支援と、大正15年から昭和2年(1926-1927)にかけてのヨーロッパ旅行を契機に、古代中国の陶器や金属製品を蒐集するようになったという。蒐集にあたっては、親交のあった学者たちに助言を求めたが、またそれらの学者たちの求めに応じて収集品を展覧会に出品し、あるいは研究調査の用に供し、東洋史研究に資してきた。ヨーロッパ旅行ではフランスの東洋学者アンリ・コルディエの旧蔵書5000点を購入している(慶應義塾大学寄託)。コレクションの恩恵を受けたのは研究者に留まらない。例えば梅原龍三郎の《唐美人図》(1950)は、護立が所蔵する《加彩舞伎俑》(唐代、8世紀)をモデルとしたもの。昭和4年に護立が購入した《金銀錯狩猟文鏡》(国宝。中国戦国時代、前4-3世紀)を納める蒔絵の箱を制作した漆芸の高野松山は、目白の細川邸内に住み「昼は殿さまのボディーガード、夜間は制作」を行なっていたという。そのほかの芸術家たちの作品にも護立のコレクションが影響を与えたことが示されている。どこまでが意図されたことなのかはわからないが、護立の蒐集は直接・間接に東洋学の研究を支援し、また芸術作品にも影響を与えたことになる。細川家に伝来する文化財や蒐集品を納めるために昭和25年に永青文庫を設立した護立は、昭和26年には東洋文庫の第7代理事長に就任している。[新川徳彦]
2013/10/24(木)(SYNK)
東洋学の歩いた道「アジアを学ぶ──近代学習院の教育から」
会期:2013/10/05~2013/12/21
学習院大学史料館[東京都]
「東洋学の歩いた道」を共通のテーマとして、学習院大学史料館、永青文庫、東洋文庫の三館が開催する展覧会。ジャンルや時代は異なるものの、いずれの施設にも東洋に関する研究や蒐集品がある。もちろん、東洋にフォーカスしたというだけでは他の美術館・博物館にも多くの優品があるだろう。地理的にも徒歩圏内に位置するこの3館による企画は、明治から昭和初期にかけての東洋学の発展、あるいは東洋美術への関心の拡がり、そして日本美術への影響の背景に、学習院の教育と人脈があったことを指摘しつつコレクションを紹介する、とてもユニークな構成になっている。
学習院会場のタイトルは「アジアを学ぶ──近代学習院の教育から」。学習院における東洋学の始まりと、学生たちによる受容の様相に焦点をあてた展示である。明治23(1890)年、学習院の歴史学の教授であった白鳥庫吉(1865-1942)が「東洋諸国の歴史(東洋史)」という科目を担当した。この科目の設置が日本における東洋史教育の始まりであるという。また、同28年に学習院長となった近衞篤麿は、清国からの最初の留学生を受け入れ、自らが所蔵する漢籍を学生の勉学に供した。展示前半では、教育のために集められた内外の書物や、発掘物などの実物標本によって、学習院における東洋学教育の展開を示す。後半では、学生たちによる東洋学の受容について触れられている。その第一は学生たちによる大陸への修学旅行あるいは個人旅行である。学習院では大正7(1918)年から定期的に海外への修学旅行が開催されるようになった。旅行には白鳥庫吉や鈴木大拙ら東洋学の教員が同行し、学生たちの見聞を広めたという。そして第二に、そうした学習院の東洋学教育を受けた人物として、志賀直哉や武者小路実篤、柳宗悦ら、雑誌『白樺』の同人たちが挙げられている。『白樺』は西洋の美術を日本に紹介したことでも知られているが、その視点は東洋美術にも及び、雑誌には李朝の陶磁器や明代の絵画に関する論考も掲載されていたという。彼らが学習院の出身であることを考えれば、その背景に学習院の教育があったことは十分に考えられる。会場には武者小路実篤が永青文庫の設立者でもある細川護立に宛てた書簡も展示されている。明治39(1906)年に学習院高等学科を卒業した護立は、白樺派の活動を財政的にも支援していた。学習院における東洋学が、次の世代の研究や美意識を育てていった様が示される。[新川徳彦]
2013/10/23(水)(SYNK)
マイケル・パリー『モリス商会──装飾における革命』
発行日:2013年7月30日
発行所:東京美術
価格:2,000円(税別)
サイズ:232x226x14、64頁
美しい本である。著者は、現在モリス商会のブランドを継承している、英国のサンダーソン社の社長。本書は、モリス商会の設立150周年を記念して出版されたもので、ウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動の遺産、そして同商会がもたらした壁紙・ファブリックの魅力を余すことなく伝えている。サンダーソン社が保有する貴重なモリス商会のコレクションは、同社のデザイナーたちのインスピレーションになってきたという。インテリア・デザインに興味がある人にとっては、サンダーソン社が現代に甦らせたアーカイヴ・コレクションを撮影した、室内セットのコーディネートに触発されるだろう。また、19世紀のデザインを学ぶ人にとっては、同時代の史実に関する記述は言うまでもなく、モリス商会の行く末に興味を引かれるだろう。本書では、1940年まで存続したモリス商会とその製品が、21世紀に形を変えどのように生まれ変わり、現在に至るのかについても知ることができる。[竹内有子]
2013/10/19(土)(SYNK)