artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
ミュシャ──くらしを彩るアール・ヌーヴォー
会期:2013/07/13~2013/09/01
大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)[大阪府]
19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリで活躍した、アルフォンス・ミュシャの作品を通して、都市生活におけるアール・ヌーヴォーの拡がりについて紹介する展覧会。ポスター等のグラフィック作品だけでなく、彼のパッケージデザインによる菓子の缶や、ポストカード・切手・紙幣・絵皿などの日用品が展示されている。さらに、当時流通した立体物の例(机、ファブリック製品・金属製品等)も見ることができる。エミール・ガレによる木製小椅子から、日本の建築家/武田五一による木製花台・安楽椅子・花瓶まで、日本におけるアール・ヌーヴォーの作例まで展観される。パリ時代のミュシャの製作基盤は、大量に消費される品々にある。本展を通して、大衆の生活に寄り添うデザインを見るならば、ベル・エポックの時代にアール・ヌーヴォー芸術が暮らしのなかに浸透していった様子を、いきいきと読み返すことができるだろう。[竹内有子]
2013/08/12(月)(SYNK)
柏木博+松葉一清『デザイン/近代建築史──1851年から現代まで』
発行所:鹿島出版会
発行日:2013年3月
「デザイン史」と「建築史」というふたつの領域を関連付けて解説した新しい試みの一冊。各章にそれぞれの「時代概要」が年表付きでまとめられた後、「デザイン編」と「建築編」の二領域の編年体の歴史が綴られる。1850年代から現在まで、ほぼ20年毎に区切った章立てとなっており、著者たちが設定したテーマとトピックは既存のデザイン史概論書とは異なる切り口を採用している。前書きにあるように、「デザイン史は社会思想史」を、「建築史は都市構築と都市文化の動向」を踏まえて書かれているからだ。例えば、1960年代から現代までを扱う第6章は、「モダンデザインの変質と脱近代」と題された時代概要をはじめとして、デザイン編では「異議申し立てを超えて」、建築編では、「建築本来の価値体系への回帰を目指すポスト・モダン」というように、「近代への問い」へと踏み込んだ内容となっている。掲載図版が大きく視覚資料が充実しているし、学習用の配慮がさまざまになされている。芸術史を学ぶ者にとって、新たな教本・副読本として活躍しそうだ。[竹内有子]
2013/08/10(土)(SYNK)
浮遊するデザイン──倉俣史朗とともに
会期:2013/07/06~2013/09/01
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
私は倉俣史朗の作品がよくわからない。それは好き/嫌いの問題ではない。好き嫌いでいうならば、私は倉俣の作品が好きである。アクリルやガラスなどの素材が生み出すあの浮遊感が好きである。わからないのは、彼がデザイナーと呼ばれていること、彼の仕事がデザインと呼ばれていることである。彼の仕事がデザインであるとしたとき、それがデザインの歴史のなかにどのように位置づけられるのかがわからないのである。デザインの歴史的な流れでいうならばポストモダンのひとつなのだと思われるが、彼の仕事はそうした時代の流れとも無縁に存在しているように見えるのだ。いってみれば、たとえゴシックの時代であろうと、ロココの時代であろうと、倉俣のデザインは倉俣のデザインとして、揺るぎなく存在していただろうと思われるのだ。時代ばかりではない。彼の仕事はそのオリジンである日本のイメージどころか、特定の国や地域とのつながりをも感じさせない。歴史的、地理的な様式の影響や引用を感じさせない。彼はそうした様式に無知なのではない。理解したうえでそれらをいったんすべて解体しているのだ。その結果として、時間軸においても、空間的にも、彼のデザインはその作品がもたらす印象と同様に自立し、浮遊しているように見える。彼が生み出すものが変化するのは、彼の思想が変わったときというよりも、ガラスの椅子のエピソードに見られるように、彼のつくりたかったものが技術的に可能になったときなのである。彼が活躍した領域がデザイン史の中心であるインダストリアルデザインでもグラフィックデザインでもなく、インテリアデザインであったことも歴史的な位置づけを難しくしている理由のひとつであろう。戦後日本のデザインに言及するとき、大衆を市場とするマスプロダクトを対象とすることが多いのに対して、インテリアの仕事は特定の場、特定の人々に向けられたものだからだ。その点では、倉俣の仕事はオブジェであるとする考えもありうるだろう。実際、彼とクライアントとの関係──プレゼンは契約を結んだあとに行なわれるとか、彼の仕事はしばしば極めて短期のうちにクライアントによって撤去されたとか──は、問題解決のためのデザインというよりもアートのそれに近いように思われる。展示でも示されていたように、彼のイメージの源泉が同時代ではなく幼少期の体験に根ざしていることもその感を強くさせる。他方で、彼の作品はオブジェ的であったとしても、ぎりぎりのところで機能を捨てていないところから、やはりデザインであるという主張もあり、そうなるとふたたび冒頭の疑問へとループしてしまうのである。
その歴史的位置づけの難しさとは異なり、本展はとてもわかりやすい構成であった。2年前の21_21での展覧会(「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」21_21 DESIGN SIGHT、2011/2/2~7/18)は、家具の仕事を中心にモノを見せる展覧会であったが、本展は倉俣史朗という人物の形成、美術家とのつながり、また家具のみならずインテリアの仕事をも丁寧に見せる。都立工芸高校時代に啓発されたという柳宗理のレコードプレーヤーや、桑沢デザイン研究所時代に見て衝撃を受けたという具体展、イタリアの建築誌『domus』から始まり、高松次郎との協働作業や、田中信太郎、三木富雄らとの交流にも焦点があてられる。なかでも大きな影響を与えたという田中信太郎の《点・線・面》が再現展示されている。三宅一生のブティックデザインや住宅建築、エットレ・ソットサスとの交流を経て、クラマタデザイン事務所出身者たちの仕事も紹介されていた。図録にはインテリアの仕事の多数の写真、文献目録の他、雑誌『室内』や『Japan Interior Design』などからの倉俣史朗の言葉が引用されており、資料としても充実したものになっている。[新川徳彦]
2013/08/08(木)(SYNK)
11ぴきのねこと馬場のぼるの世界展
会期:2013/07/13~2013/09/01
うらわ美術館[埼玉県]
日本の絵本の歴史の中心には、戦前からの童画家・挿画家の系譜に連なる作家たちがある。しかし戦後1960年代になると、やや毛色の違う作家たちが絵本の世界に現われる。やなせたかしや長新太、そして本展で取り上げられている馬場のぼる(1927-2001)といった、漫画家たちである。本展を企画した滝口明子・うらわ美術館学芸員によると、漫画家が絵本を手がける例は世界的に見ると珍しいことなのだという。漫画家出身の絵本作家の研究はまだ進んでおらず、その理由は明確ではないとのことであるが、出版社や編集者──馬場の場合はこぐま社の佐藤英和──のはたしてきた役割は非常に大きいようだ。絵本を手がけたことについて馬場自身は「漫画家になってすぐの頃から、いつか絵本を描いてみたいと思っていました。でも、当時は絵本がまじめ一本の路線を走っていて、とても漫画家なんぞがやる仕事という雰囲気ではなかったです」と述べている
展覧会は5章で構成されている。主題は絵本作家としての馬場のぼるであるが、第1章で幼少期のスケッチ、第2章で漫画家としての作品に遡ってその仕事をたどる。第3章「絵本の世界へ」では『きつね森の山男』や『くまのまあすけ』、『アリババと40人の盗賊』などの絵本。第4章が『11ぴきのねこ』シリーズの絵本とスケッチ、色指定などの資料。このシリーズはリトグラフ方式でつくられていて、いわゆる原画はない。会場では版ごとに色面を分けてプリントしたフィルムで、この印刷のしくみを説明している。第5章は遺作となった『ぶどう畑のアオさん』。会場壁面に展示された原画を見て、各所に用意された絵本を読み、ふたたび原画をみる。馬場のぼるの作品には、漫画でも絵本でも、絶対的なヒーローも絶対的な悪党も登場しない。人(あるいは動物)のふるまいにはつねになんらかの理由がある。だから、主人公にとって都合の良いことはしばしば相手にとっては不都合であり、主人公の不幸は相手にとっては幸せであったりもする。馬場の作品にはつねに両方の視点が描かれ、一方的な勧善懲悪には陥らない。『11ぴきのねこ』第1作に登場する怪魚の悲劇。『11ぴきのねことぶた』で、ねこたちのわがままに翻弄されるぶたと、ねこたちの結末。それは諦観ではない。展覧会のサブタイトルにあるとおり、「いろんなのがいて、だから面白い」のだ。こどもだけではなく、大人にとっても楽しめ、そして考えさせられる展覧会であった。[新川徳彦]
2013/08/08(土)(SYNK)
PAPER──紙と私の新しいかたち
会期:2013/07/20~2013/09/08
目黒区美術館[東京都]
私たちの身の回りにある身近な素材である紙。この紙を用いてどのような表現が可能なのか。3人と3組のアーティスト、デザイナー、建築家たちによるアートとプロダクトを通じて、紙による表現の現在を探る展覧会である。A展示室は紙のプロダクトによるインスタレーション。ドリルデザインの「組み立て式地球儀/折り畳み式地球儀」、寺田尚樹の「テラダモケイ 1/100建築模型用添景セット」、トラフ建築設計事務所の「空気の器」が、それぞれ床面、壁面、空間を使って展開されている。B・C展示室はアート作品。鈴木康広の「キャベツの器」「木の葉の座布団」「波打ち際の本」「本の消息」、西村優子の折りを用いた作品、植原亮輔と渡邉良重の「時間の標本」などが出品されている。目黒区美術館では20年前にも紙をテーマとした企画があったとのことであるが、残念ながらそのときの展覧会は見ていないので、相対的な意味で「今の表現」がどのようなものなのかはよくわからない。しかし、この20年における技術の進歩や紙を取りまく社会環境の変化を念頭におくことで、作品の位置づけができるかもしれない。ひとつは印刷・加工技術の進化。なかでもデジタル化がもたらした影響は大きいだろう。精緻化された印刷・加工技術は、紙を用いたプロダクトを子どもの遊びから大人の楽しみへと拡張してきているようだ(もちろんそれにはデザイナーとともにプロジェクトを進めてきた福永紙工/かみの工作所や、マルモ印刷がの役割が大きい)。紙の書籍から電子書籍への転換はまだまだ途上にあり、そのインターフェースは紙のメタファーを残している。本の白いページに波の動画を投影した鈴木康広の「波打ち際の本」は、そうした紙の書籍の記憶でもある。他方で、開いた本から蝶が飛び立つ「時間の標本」は手作業による着彩と切り抜きという、極めてアナログな方法で行なわれている。西村優子の作品も手で折られた紙の帯のコンポジション。いずれの作品も、紙の手触りと手の痕跡を目に見えるかたちで残そうとしているように思われる。館内のあちらこちらにテラダモケイの小さな人たちがいる。これを探して回るのも楽しい。[新川徳彦]
2013/07/26(金)(SYNK)