artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

プレビュー:鳳が翔く:デザインが導く未来──榮久庵憲司とGKの世界

会期:2013/07/06~2013/09/01

世田谷美術館[東京都]

デザインに関心のない人であれば、榮久庵憲司という名前もGKという会社のことも知らないだろう。しかし、おそらく日本で彼等が生み出したプロダクトに一度も触れたことがない人は皆無に違いない。榮久庵憲司は、東京藝術大学工芸科助教授の小池岩太郎のもとで学んだ仲間とともに、GK(Group of Koike)を結成し、以来60年にわたって日用品からバイク、自動車、鉄道などさまざまな分野の工業デザインを手がけてきた。私たちの生活に身近なプロダクトとしては、キッコーマンの卓上醤油瓶があげられよう。世田谷美術館で開催される展覧会では、これまでに榮久庵憲司とGKグループが手がけてきたプロダクトが紹介されるほか、博覧会や博物館で用いられる情報装置やそのコンテンツ、榮久庵が長年提唱してきた「道具の思想」に基づくインスタレーションが展開されるという。「暮らしと美術と高島屋」展に続いて、生活のなかの美とデザインの世界を美術館という場がどのように見せるか、楽しみである。[新川徳彦]

2013/06/27(木)(SYNK)

サラ・イレンベルガー+木之村美穂「Reality & Fantasy」

会期:2013/05/17~2013/08/16

DIESEL ART GALLERY[東京都]

ベルリンを拠点に、雑誌や広告のための立体イラストレーションやウィンドウ・ディスプレイなどのフィールドで活躍するサラ・イレンベルガーの写真とオブジェの作品展。
 モチーフは身の回りのありふれたモノなのだけれども、どこかが奇妙。たとえば虹の写真。しかし、柑橘類の皮でできている。金色の林檎。だけれども、髪の毛の束。会場の片隅に立つマイク・スタンドの先には、マイクの代わりに丸い電球が光っている。野菜のドレス、毛糸を編んでつくられた内臓、カット・フルーツのルービック・キューブ、卵の殻のマトリョーシュカ、ザクロの手榴弾、ライターからは唐辛子の炎があがる。表面を削ってふたつにカットされたカリフラワーは、どうみても脳髄。見知ったオブジェがまったく異なる素材でつくられていたり、道具の一部が別のものに置き換えられていたり、モチーフと素材とのギャップからもたらされるユーモアとイメージの二重性に思わず微笑んでしまう。ブラック・ユーモアではない。明るい色彩、手作りのオブジェは、いずれもポジティブで楽しいものばかり。展覧会では本展を企画したクリエイティブ・ディレクター木之村美穂とのコラボレーションによる映像作品も上映されている。白と金色の紙を重ねてひねってつくったポップコーンや、電球型蛍光灯をソフトクリームに見立てた作品は、来日時に合羽橋で入手した素材でつくった新作だそうだ。[新川徳彦]

2013/06/19(水)(SYNK)

ムサビのデザインIII デザインが語る企業理念:オリベッティとブラウン

会期:2013/06/03~2013/08/18

武蔵野美術大学 美術館[東京都]

オリベッティ社とブラウン社は、ともに20世紀の多くのデザイナーに影響を与えた存在であるが、その製品分野や、デザインの用いられかたには違いがある。1908年にイタリアのイブレアに設立されたオリベッティ社は、タイプライター製造を出発点として計算機やオフィス家具などの事務機器の分野で事業を拡大した。1921年にドイツのフランクフルトに設立されたブラウン社は、音響機器、シェーバー、家電製品など、生活に身近な分野に優れたデザインの製品を提供してきた。オリベッティ社はさまざまなクリエーターたちと仕事をし、そのカラフルで印象的なプロダクト・デザインばかりではなく、広告においても製品がつねに先端にあることを印象づけてきた。また、工場やオフィスの建築にも特徴があり、芸術の支援にも力を注ぎ、企業のブランドイメージを形成してきた。他方で、ブラウン社はデザイナーであるディーター・ラムスのもとで統一された色彩とデザイン言語を用い、機能的な製品とのイメージをつくりあげていった。
 「ムサビのデザイン」第3弾は、デザインによってブランドイメージを形成したオリベッティとブラウンという二つの企業に焦点を当て、武蔵野美術大学美術館が所蔵するプロダクト、ポスター、製品カタログや、ノベルティなどを約200点が出品されている。展示品に触れることはできないが、ガラスケースに入れられているのではなく、至近距離から製品の素材や質感、構造を観察することができる。写真撮影も可能である。展覧会図録(このブックデザインは一見に値する)には、2009年にサントリーミュージアム天保山と府中市美術館で開催された「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代──機能主義デザイン再考」展シンポジウムのテキストが収録されており、資料としての価値も高い。ただ展覧会の構成としては、両社のデザインを取りまいていた社会的背景について歴史年表を提示するに留まっており、「企業の理念」の形成についてはもう少し解説が欲しい。[新川徳彦]

関連レビュー

ムサビのデザイン──コレクションと教育でたどるデザイン史(2011/06/24~2011/07/30)
ムサビのデザインII デザインアーカイブ 50s-70s(2012/05/14~2012/08/18)

2013/06/17(月)(SYNK)

未来を変えるデザイン

会期:2013/05/16~2013/06/11

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

「未来を変えるデザイン展」は、さまざまな分野の企業19社が、現在2013年時点での社会の課題と、17年後の2030年における課題解決へのヴィジョンを見せるというプロジェクトである。
 2010年にデザインハブとアクシス・ギャラリーのふたつの会場で「世界を変えるデザイン」と題する展覧会が開催された★1。これは、2007年に米国クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館で開催された展覧会、およびその記録である書籍『世界を変えるデザイン』(シンシア・スミス、英治出版、2009)をベースに、途上国におけるさまざまな課題をデザインによって解決しようというプロジェクトを紹介するものであった。しかしながら、残念なことに、そこには日本のプロダクトはほとんど見ることができなかった。もちろん、日本の企業が社会貢献に対して関心がないわけではない。また、社会貢献を意図していなくても、たとえば東日本大震災のときには、企業の持つ流通網やサービスネットワークなどのインフラが物資の輸送や情報伝達に大きな役割をはたしたことは記憶に新しい。本展はそのような事例も含め、対象を日本の企業に限定し、社会が抱える課題を抽出し、その問題の解決に企業がどのように関わりうるかを示そうというもので、企画には「世界を変えるデザイン」の企画スタッフも関わっている。
 興味深かったのは、プロジェクトの見せかたである。本展で紹介されるなかには、すでに実行されつつあるプロジェクトもあれば、机上のものもある。「世界を変えるデザイン展」がデザインされたプロダクトによる問題解決を中心としていたのに対して、本展でいうデザインは、システムの設計、ビジネスモデルというニュアンスが強く、具体的なモノではない。それゆえ、発表の媒体は冊子やウェブサイトでも済んでしまわないこともない。しかし、それではたしてどれだけの人たちがメッセージを共有してくれるだろうか。
 展覧会場には、白く光るアクリルのドームがプロジェクトごとに置かれている。ドームには二つの小さな穴がある。中を覗くと、プロジェクトを抽象的に表わした2種類のミニチュア模型が見える。片方は現在、もう片方は2030年の未来である。これ自体はほとんどなにも語っていない。穴から覗いてみただけではなにが言いたいのかよくわからない。しかし、覗くという行動をうながされると、そこに見えたものがなんなのか知りたくなる。知りたくなるから、パネルのテキストを読む。配布された冊子を読む。そういうしかけなのだ。会期末の会場には若い人たちの姿が目立ち、熱心にメモを取っていたのが印象的であった。[新川徳彦]

★1──「世界を変えるデザイン」展、会場=東京ミッドタウン・デザインハブ(2010年5月15日~6月13日)、アクシス・ギャラリー(2010年5月28日~6月13日)。

2013/06/08(土)(SYNK)

藝術学関連学会連合 第8回公開シンポジウム「芸術と記憶」

会期:2013/06/08

国立国際美術館[大阪府]

藝術学関連学会連合第8回公開シンポジウム「芸術と記憶」が国立国際美術館で開催された。「記憶」は諸芸術といかなる関係を結んでいるのかについて、研究者による発表と活発な議論が交わされた。発表の詳細は以下のとおり。香川檀氏は「漂流の前と後──不在者の縁(よすが)としての写真とモノ」、関村誠氏は「ヒロシマの〈顔〉と記憶」、平芳幸浩氏は「現代芸術におけるデジャヴュとジャメヴュ」(*筆者注:「デジャヴュ」=既視感、「ジャメヴュ」=未視感)、村上タカシ氏は「3.11メモリアルプロジェクト(のこすプロジェクト)」、大森正夫氏は「作法としての空間意匠──月待ちの日本美」、桑木野幸司氏は「初期近代西欧の芸術文化における創造的記憶」、沼野雄司氏は「前衛音楽における形式と記憶」、山崎稔惠氏は「服飾における触覚の記憶──『ユルスナールの靴』をめぐって」。いずれも、現代アート(イメージ)と建築デザイン・音楽・服飾など、取り上げられる対象/場と「記憶」のありよう(個人的/集団的/社会的)はさまざまであったが、一般に私たちが想起することの少ない不可視の「記憶」が芸術のなかではたす役割や記憶にかかわる営為について考える貴重な機会であった。そこでは、諸芸術間の相違というよりも、記憶という手がかりを通じて、むしろ統合性を感じられたのが新鮮であった。主催者の「記憶は、過去や回想といった言葉と連想されがちだが、個人や社会に直接取り込まれ、媒体なしに瞬時によみがえる記憶こそが、じつは、現在や未来と、そして芸術の創造と密接につながっている」という言葉は今日にあって示唆的だ。[竹内有子]

2013/06/08(土)(SYNK)