artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
京成電鉄 展
会期:2013/08/31~2013/10/14
芳澤ガーデンギャラリー[千葉県]
2013年9月に京成電鉄株式会社の本社が押上(東京都墨田区)から京成八幡駅前(千葉県市川市)に移転したことを記念した企画。展示は明治42(1909)年の「京成電気軌道株式会社」の設立から山本寛斎がデザインした最新のスカイライナーとスカイアクセス線の開通まで、会社の歴史を年表と資料でたどるほか、Nゲージレイアウトの展示、子ども向けのプラレールコーナー、映像コーナーなど。とくに興味深い展示物としては、博物館動物園駅(1997年営業休止、2004年廃止)の装飾図面や、東山魁夷がデザインした京成百貨店の包装紙原画(日本画家川崎千虎は、京成電鉄第5代社長・川崎千春の祖父、川崎小虎はいとこにあたり、小虎の長女・すみの夫が東山魁夷という関係である)、地元の絵本作家・井上洋介による京成電車をモチーフとした作品があった。鉄道関係の実物資料は多くなかったので鉄道ファンには少し物足りなかったかも知れないが、子どもから大人まで、鉄道ファンばかりではなく美術好きにも楽しめる盛りだくさんな展示。[新川徳彦]
2013/10/14(月)(SYNK)
海野弘『万国博覧会の二十世紀』
発行日:2013年7月12日
発行所:平凡社
価格:760円(税別)
サイズ:新書判、230頁
20世紀に特化して万国博覧会の歴史をたどった著作。「博覧会」に関する書物は、吉見俊哉『博覧会の政治学──まなざしの近代』(中央公論社、1992)をはじめとして、和・洋書とも多数あれど、20世紀全般を通して記述されたものは少ない。本書は、1900年のパリ万博から1970年の大阪万博、以後90年代の地方博ブームまでの期間を扱う。ほぼ十年刻みで抽出した万博(1915年サンフランシスコ博、1925年パリ装飾芸術・産業博覧会、1930年パリ植民地博覧会、1933年シカゴ万博、1937年パリ「芸術と技術」博、1939年ニューヨーク万博、1958年ブリュッセル万博、1964年ニューヨーク万博、以上、本文表記ママ)の特徴を、時代の社会文化的背景・世相・建築家やデザイナーの関与と貢献の諸観点から読み解く。読者が気になるのは、愛知万博(2005)以降の21世紀の万国博覧会の行方であろう。モノを集積して大衆の教育を目論んだことから始まった近代の万博が、マルチメディアが発達した現代においてはたす役割とはなにか。万博とはなにを提示するものなのか。万博不要論が叫ばれるいま、20世紀の万博を振り返って過去に学ぶことは大きい。[竹内有子]
2013/10/12(土)(SYNK)
民藝運動の巨匠たち──濱田庄司・河井寬次郎・芹沢銈介
会期:2013/09/07~2013/12/15
大阪日本民芸館[大阪府]
創始者・柳宗悦(1889-1961)とともに民藝運動を牽引した三人の巨匠、濱田庄司(1894-1978)、河井寬次郎(1890-1966)、芹沢銈介(1895-1984)の作品を紹介する展覧会。重要無形文化財保持者でもある陶芸家・濱田は生活に根ざした堅実な作風を確立した。同じく陶芸家の河井は多彩な釉薬を用いて変化に富んだ造形を生みだした。沖縄伝統の染色技法である紅型(びんがた)に魅せられ染織家になった芹沢は斬新なデザインの染色作品を多く残している。同展は「日本民芸館」という制約もあって展示内容やテーマは新しいとは言い難いが、三人の作品を一度に見られるというところに意義があるだろう。[金相美]
2013/10/12(土)(SYNK)
渋沢敬三記念事業──屋根裏部屋の博物館
会期:2013/09/19~2013/12/03
国立民族学博物館[大阪府]
銀行家で民間から起用された初の大蔵大臣を務めた、渋沢敬三(1896-1963)が研究のため集めた玩具や民具を紹介する展覧会。28,000件にも及ぶ彼のコレクションと資料は、のちに同館(みんぱく)の原点となった。渋沢は生物学者になることが夢だったが、祖父・渋沢栄一の後を継ぐため経済学を学び銀行員になる。だが、学問への夢を捨てきれず、親しい仲間たちと学術倶楽部を組織し、玩具や民具を収集して研究を始めた。渋沢は、こうした収集品を保管するため自宅内に小部屋を設け「アチック・ミューゼアム(Attic Museum:屋根裏部屋の博物館)」と名づけたのだが、それが同展のタイトルにもなっている。同展では昭和30年頃までの日本各地で使われていた生活用具が展示されており、日本人の暮らしの原風景を知ることができる。[金相美]
2013/10/12(土)(SYNK)
地域を彩る盆踊り
会期:2013/07/12~2013/11/11
パルテノン多摩歴史ミュージアム[東京都]
多摩市域における盆踊りの歴史と変化をたどる企画。盆踊りは、本来は盂蘭盆(うらぼん)のころに迎えた精霊を供養するための踊りを起源であるが、室町時代にはすでに宗教的な意味合いは薄れ、民衆の娯楽として発達した。かつて多摩市域では死者の供養はおもに念仏講や僧侶が担っていたため盆踊りの習慣がなかったが、青年団が主催する盆踊りが行なわれていた地域もあるという。そうした状況が大きく変化したのは、多摩ニュータウンの開発以降である。旧来の共同体との結びつきを持たない多数の住民が各地から移り住んだニュータウンには新たに多数の自治組織がつくられ、住民同士の親睦を深め、地域を活性化するための活動として、各所で盆踊りが行なわれるようになったのだそうだ。展示は解説や写真パネルのほか、盆踊りのための学校校庭使用許可願などの文書、かつて盆踊りのために用いられた手作りの櫓の一部など、ユニークな実物資料で構成されている。ニュータウン開発以降も、街の拡大、自治組織や住民層の変化、老朽化した団地の再開発などで街の姿は変わり続けている。そうした街の変化とともに祭が生まれ、やがてそのかたち、場が変化してゆく様が指摘されていて、とても興味深い。[新川徳彦]
2013/10/11(金)(SYNK)