artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

現代のプロダクトデザイン──Made in Japanを生む

会期:2013/11/01~2014/01/13

東京国立近代美術館[東京都]

「現代のプロダクトデザイン」というタイトルから最初は家電や自動車などのいわゆる「工業デザイン」を想像したが、そうではなかった。木や金属、陶磁器、布を素材とした日用品。展示品を見ただけでは工芸の展覧会と言われてもわからない。工芸との違いは、形を決める人とつくる人が異なること。デザイナーがデザインし、製造業者がつくる。一般的なデザインのプロセスである。他方でこれらは一般的な工業デザインとも異なる。すなわち、いずれも形以上に、素材と極めて密に関わる仕事なのである。なぜなのかと言えば、伝統工芸あるいは地場産業の振興とデザイナーとが深くかかわっている事例だからだ。伝統工芸・地場産業振興のためにデザインを活用するという試みは、新しいものではない。しかし、諸山正則・東京国立近代美術館主任研究員が指摘しているように、1990年代のそれはうまくいったとは言えない。なにが問題であったかという点は、その後も持続している喜多俊之の仕事と対比すればわかりやすい。喜多が使い手=市場を徹底的に分析したうえで地場産業の技術を援用するという手法を用いたのに対して、外部から投入されたデザインの多くは表面的・一過性に終わり、つくり手と使い手を結びつけるものにならなかったのである。大メーカーとの仕事であれば、マーケティング、製造、流通・販売は専門の部署に任せることができる。デザイナーは形だけをデザインすれば済んでしまうかもしれない。しかし、小規模な製造業者ではそうはいかない。デザイナーに求められる領域はずっと広い。今回の展覧会で紹介されているデザイナーたちの仕事の特徴は、つくり手と使い手を結びつける媒介としてのデザインの役割を強く意識している点にある。[新川徳彦]

2013/12/12(木)(SYNK)

ブルーノ・タウトの工芸──ニッポンに遺したデザイン

会期:2013/12/06~2014/02/18

LIXILギャラリー(大阪)[大阪府]

ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)が日本でデザインした工芸品、家具、デッサン画など約60点を展観している。タウトは、1933年から約3年半にわたって日本に滞在した期間を「建築家の休日」と呼び、日本の芸術文化について広く見聞、熟考した。この間、『ニッポン』『日本美の再発見』『日本文化私観』等に代表される著述活動に励んだだけでなく、工芸品の製作に取り組んだ。まず仙台の商工省工芸指導所でデザイン指導を行ない、次に大倉陶園のアドバイザーに従事した。そして、群馬県高崎市郊外にある少林山達磨寺の「洗心亭」を居住の場に定め、井上房一郎の招きによって井上工芸研究所の工芸デザインを担当するようになる。彼のデザインした工芸品は、東京・銀座の工芸店「ミラテス」で実際に販売された。本展で中心をなすのは、これら漆器、木工、竹製品の工芸品である。木工品は木を素地のまま用い、木目が見えるよう透明なラッカーをかけてある。木製のパイプ掛付煙草入れなどを見ると、職人の確かな手技が細部まで発揮され、美しい曲線を描いた形に魅了される。そのとおり、タウトのものづくりへのこだわりは職人泣かせであったという。また漆塗りの筆入れには、黒地に鮮やかな縞の彩色が映え、カラリストであるタウトの本領を垣間見ることもできる。彼は出展品の《竹の電気スタンド》のように、日本の伝統的な素材である「竹」を使ったデザインを多く残している。素材の特性をいかすことに配慮され、形や色においてはタウトの繊細でいて鋭い感覚が見て取れる。日本工芸の未来に対するタウトの真摯な思いが伝わってくる展覧会である。[竹内有子]

2013/12/08(日)(SYNK)

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ミキモト真珠発明120周年記念「ミキモトの広告にみる美の世界」展

会期:2013/12/05~2014/01/13

ミキモト本店6F ミキモトホール[東京都]

東洋大学教授・藤井信幸氏は、洋食器メーカー・ノリタケの創業者・森村市左衛門(1839-1919)と、養殖真珠を商品化したミキモトの創業者・御木本幸吉(1858-1954)のふたりの起業家の共通点として、独自のブランドの創出を挙げている。市左衛門も幸吉も起業家ではあっても技術者ではなく、洋食器にしても真珠にしても、彼らはいずれも海外ですでに存在していた市場への新規参入者に過ぎなかった。両者に共通していたのは、ブランドを構築するすぐれた努力であった。ではどのようにしてブランドを構築することに成功したのか。第1に不良品を排除し、品質管理を徹底したこと。第2に主たる市場である海外の動向を絶えず探り、新たなデザイン・技術を考案したり、販売戦略を見直したこと。そして第3に、これはとくに幸吉の場合に顕著なのだが、皇室との結びつきや新聞・博覧会といったメディアを最大限に利用し、自社の信用を高めたと指摘する。技術の向上・品質の管理と巧みなマーケティングが両社を一流のブランドへと成長させたといってよい★1。そうしたミキモトの歴史を「広告宣伝」という視点から紐解くのが、この展覧会である。
 御木本幸吉がメディアの持つ力を最初に意識したのは、20歳頃。鳥羽から東京に出たその帰路に人命を救助したことが新聞に掲載されて話題になったことから、新聞の威力を知り、その後話題づくりを主とした広告宣伝活動に積極的に取り込むようになったという。当時の主要な顧客は外国人であり、会場では英字紙に掲出された多数の広告が紹介されている。興味深いのは、お金を払って掲載してもらう広告ばかりではなく、ニュース記事になるようなパフォーマンスを行なっている点である。昭和7年、真珠業者の増加により品質の低下、価格の下落が言われた際には、神戸商工会議所前で粗悪真珠を焼却。自ら真珠をシャベルで火にくべる姿が、いくつもの新聞に写真入りで掲載されている。もちろん対外的なパフォーマンスばかりではなく、英語版のカタログやポスターには里見宗次のすぐれたデザインを用い、ジュエリーの意匠にも細心の注意を払っていた。戦後、高度成長期に入ると国内に向けた広告宣伝活動が活発になる。1959(昭和34)年の皇太子殿下御成婚を機に、ミキモトは広告やカタログ等で西洋風の結婚式とパールの組み合わせを提案。従来は限られた階層のものであった宝飾品を、ただモノを宣伝するだけではなく、宝飾品に関する歴史や文化的背景とともに広告を通じてより広い階層の人々へ伝えていく。「真珠王」御木本幸吉は1954(昭和29)年に96歳で亡くなっているが、「同氏[幸吉]独特の新聞雑誌或は印刷物による宣伝に任じ、自ら商戦の第一線に立ちて普く欧米市場を歴訪して世界販路の開拓に渾身の努力を用いた」★2という幸吉の偉業は、ミキモトのミーム(=文化的遺伝子)として引き継がれているようだ。[新川徳彦]
★1──藤井信幸『世界に飛躍したブランド戦略』(芙蓉書房出版、2009、1~19頁)。
★2──同書、205頁。明治33年に御木本真珠店に入店した久米武夫の言葉。

2013/12/06(金)(SYNK)

吉岡徳仁──クリスタライズ

会期:2013/10/03~2014/01/19

東京都現代美術館[東京都]

エスカレーターを降りて地下の会場に入ると、真っ白い部屋。積み上げられた膨大な数の白いストローが渦を巻くなかに、ガラスのベンチ《Water Block》が据えられている。チャイコフスキーの「白鳥の湖」が流れる次の部屋の中央には透明な液体が入った大きな水槽がしつらえられ、その中では結晶絵画《Swan Lake》が育てられている。壁面にはそれぞれ「白鳥の湖」の異なる楽章が流れるなかで生成された作品が展示されている。その奥の部屋には薔薇の花を核に生成した《ROSE》。ほのかな色味は、花の色素だという。展示室は再び白いストローの竜巻《Tornado》で満たされ、その間の細い道を進むと椅子の形に張り渡した細い糸に結晶を生成させた《蜘蛛の糸》が、その生成途中の姿とともに配されている。圧巻は、高さ12メートルの吹き抜け空間を使用した虹の教会《Rainbow Church》。ガラスのプリズムを通して差し込む光が、周囲に虹色の色彩を投影している。アンリ・マティスのロザリオ礼拝堂に衝撃を受けて着想したという教会建築を念頭においた、ガラスと光によるインスタレーションである。
 その規模や物量に圧倒される側面はあるが、吉岡徳仁の空間デザインに共通する魅力は、人の手によって固定化された造形ばかりではなく、チューブやストローなどの集積によってつくられる不定型な空間、結晶による造形、プリズムによる光の演出など、自然の力を借りつつも極めて純粋なオブジェ、純化された空間を生み出している点にある。自然の力を借りるといっても、すべてを委ねるのではなく、実験やシミュレーションによって明確な設計がなされている。しかし、特殊な水溶液によって結晶ができることがわかっていても、音楽を聴かせることでそれがどのような形に生成するかまではコントロールできない。羽毛に風を送ったときに、一つひとつの羽根がどのように舞うのかまではわからない。すなわち吉岡徳仁がデザインしているのは形ではなく、方法なのである。
 1階会場では、ハニカム構造を持つ紙を素材とした椅子《Honey-pop》と繊維の塊を焼いて作る椅子《PANE chair》が展示されているほか、過去の空間デザインの仕事を約50分の映像で見ることができる。またショップ奥ではヤマギワの照明《ToFU》や《Tear Drop》、ISSEY MIYAKEの腕時計などプロダクト系の作品も紹介されており、吉岡徳仁のこれまでの仕事を展望できる。東京都現代美術館で開催されている「うさぎスマッシュ展」と「吉岡徳仁展」。両展覧会の同時開催が意図されたものかどうかはわからないが、いずれも近代デザインの枠組みとは異なるアート・デザインの方法論を見せているという点で、とても興味深い組み合わせの企画である。[新川徳彦]

2013/11/19(火)(SYNK)

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うさぎスマッシュ展──世界に触れる方法(デザイン)

会期:2013/10/03~2014/01/19

東京都現代美術館[東京都]

「うさぎスマッシュ展」。サブタイトルには「世界に触れる方法」とあり「方法」には「デザイン」とフリガナが振られている。ということは、これはデザインの展覧会なのか。しかし、ここには自動車や家電のような工業製品があるわけではない。企業や商品のポスターがあるわけでもない。ということは、今日の職業デザイナーの大多数が日常的に関わっている「デザイン」ではない。21組の出品作家には、デザイナーばかりではなく、アーティストと呼ばれている人も多い。それでは、この展覧会でいうところのデザインとはどのような行為なのか。それはアートとは違うものなのか。
 もとより、デザインはかつて「応用芸術(applied art)」と呼ばれたように、造形的な手法を商業的な広告やプロダクトに応用する活動を指し、アートから分化した存在である。しかし、その後デザインはアートから距離を置き、アートとの違いを強調するようになっていった。すなわち、デザインは美という抽象的な存在、感性に訴えるものではなく、合理的な思考プロセスのもとにクライアントの抱える問題を見出し、それを造形的に解決する手段であるとする。デザインはプロダクトの機能性を改善し、消費者を魅了する外観を与え、クライアントの利益向上に資する存在であるとして、自らを商業的なシステムに組み込んでいったのである。
 しかし近年、再びデザインとアートとの接近が言われてきている。ただし、そのときの「デザイン」は、量産可能なカタチを考えるとか、付加価値のある商品を設計するというものではない。デザインという行為の根本にある、他者の抱える課題を探り、それを解決するための方法を見出す、あるいは問題を提起する行為を指している。大多数のデザイナーにとって「他者」とはクライアント企業でありプロダクトの使用者・消費者であるがゆえにデザインは商業と不可分の関係にあると思われがちであるが、その手法は社会、あるいは世界が抱えている問題にも適用できる。アートとデザインの接近はこのフィールドで生じているのである。とはいえ、このような手法はけっして新しいものではない。イラストレーションによるカリカチュア、ポスターによるプロパガンダはこの分野の先駆者であり、本展に出品されている木村恒久の予言的なモンタージュ・フォトもそのような文脈に位置づけられよう。かつてこの分野が主としてグラフィックの世界に留まっていたのは、それが比較的コストのかからないメディアであったからであり、情報技術の発達がもたらしたメディアの拡張や、生産技術の革新は、このようなデザインのフロンティアをさらに開拓しつつある。
 本展では、英国王立芸術学院(RCA)のアンソニー・ダンが主唱するクリティカル・デザイン★1という概念を中心に、世界に対する人々の認識の転換をうながす種々の「デザイン」が紹介されているが、それらの作品の種類は大きく三つに分けられる。ひとつは「データの視覚化」。社会や経済のデータをさまざまな手法でマッピングし、複雑な構造を解き明かそうとするものである。ライゾマティクスの《traders》は金融取引におけるデータを可視化する試み。ビュロ・デテュード《世界政府》は、国家という枠組みではなく国際的な企業(群)のネットワークによって世界が動いている様を示している。OMA*AMO《EUバーコード》は、EU加盟国の国旗を縦に引き延ばしてひとつのシンボルとしたもので、加盟国が増えるとアップデートが可能な構造は、合衆国の星条旗にも類似する優れたCIである。ブラク・アリカン《モノバケーション》は観光や休暇をテーマとした各国のコマーシャルを集め、そのイメージの類似性を見せつける。いずれもデータの丹念な収集と緻密な分析に基づき、グローバライゼーション(あるいはそれは単なるアメリカナイゼーションにすぎないのかもしれないが)が進行する世界の見方を私たちに提示している。
 もうひとつは「科学との新しい関係」。おもにフィクションの方法を用いて、私たちに科学の未来を考えさせる。アレキサンドラ・デイジー・キンズバーグ&サシャ・ポーフレップの作品は、遺伝子操作された植物によって作られる「除草剤散布機」(《栽培─組立》)や、顔料を生成するバクテリアを摂取することによって排泄物で病気の診断を行なうシステム(《イークロマイ:スカタログ》)。リヴィタル・コーエン&テューア・ヴァン・バーレン《ライフ・サポート》は他の動物の身体機能を、腎臓病患者や呼吸器障害を持つ人の生命維持装置として使用する姿を描く。いわばSFの世界なのだが、その結末が明るい未来なのか、それともカタストロフをもたらすものなのか。作品の本質は見る者の想像力を刺激することにあり、その結末は鑑賞者に委ねられている。
 三つめは「認識の転換を触発する方法」。イギリスでは街頭に膨大な数の監視カメラが設置され、日常的に監視され記録されていることが知られている。 キャンプの《CCTVソーシャル》は通常は監視されている側の人々をCCTVカメラの制御室に招き、オペレーターたちと語り合う姿を記録したドキュメンタリー映像。見られる側が見る側になったとき生じる認識の転換が淡々と綴られる。ジュディ・ウェルゼイン《ブリンコ》は、メキシコからアメリカへの不法移民にサバイバルツールを仕込んだスニーカーを無償で提供し、他方で同じものをアメリカの高級ショップで売るというプロジェクトによってもたらされる人々の評価の差異を、このプロジェクトを取り上げたさまざまなニュース、コメンタリーの映像によって炙り出す。
 世界に対する認識はその人が依って立つ文脈によっても、国家や地域の歴史的背景に依っても多様であるが、その多様な認識はまたささやかな刺激によって転換しうる。現実の世界は固定的なものではなく容易に変わりうるものであり、そのような変化は私たちの未来像をも描き換える。デザインにはそうした転換をうながすメディアとしての力があることを示す展覧会である。[新川徳彦]

★1──「クリティカル・デザインは、抽象的な課題を具体的に把握させ、人々に思考や意識改革をうながし、行動や理論を誘発するデザインであり、現状をより強固にするアファーマティヴ・デザインの対極にあるものである」(『うさぎスマッシュ──世界に触れるアートとデザイン』、フィルムアート社、2013年、139頁)。


OMA*AMO《EUバーコード》(2001- )


ビュロ・デテュード《世界政府》(2013)


マーニー・ウェーバー《丸太婦人と汚れたうさぎ》

2013/11/19(火)(SYNK)

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