artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

阿部直人《喜久田の家》/五十嵐淳《HOUSE H》(第7回 JIA東北住宅大賞2013)

[福島県]

JIA東北住宅大賞の審査二日目は、郡山にて、阿部直人が設計した喜久田の家を訪れる。住宅地にあって周囲の家と正面から向き合うのを避けつつ、斜めに配置したプランをつくり、その全体にシンボリックな大屋根をかける。室内では吹抜けのまわりに小部屋群がレベルを変えながら付随するが、個別の空間も大屋根の一部として天井が続く。その後、同じ住宅地に震災前に見学した阿部による住宅があり、その増築部分も見学した。3.11後、放射線の影響を考え、子どもが遊べる開放的な室内空間を庭側に継ぎ足すというもの。夜に行なわれた福島部会の建築家との懇親会でも、除染ほか、さまざまなレベルで原発の影響が現地の活動に影を落としていることがよくわかる。
五十嵐淳によるいわき市のHOUSE Hを見学した。北海道の作品に比べて、ここでも放射線への意識的な影響を考え、緩衝空間も備えた、より閉じた箱型の住宅だった。隣接する川に対してもあまり開かず、開口部もわずかである。中に入ると、大きな倉庫を住宅にリノベーションしたような独特のワンルーム空間が展開する。施主がコレクターでもあり、陳列棚に置かれたグッズを見ていると、ショップにいるような気分にもなる。室内では、大空間ながら、デッキや階段、あるいは段々に下降する床によって、同時にさまざまな場が展開されている。

写真:上=《喜久田の家》、中=阿部による住宅の増築部分。下=《HOUSE H》

2014/03/02(日)(五十嵐太郎)

蟻塚学《くぼみの家》(第7回 JIA東北住宅大賞2013)

[青森県]

今年もJIA東北住宅大賞の現地審査を行なう。まず弘前に向かい、蟻塚学の《くぼみの家》を見学する。黒い2つの直方体のヴォリュームが並ぶ印象的な外観だ。これがピュアに幾何学的に立ち現われるのは、通気笠木や暖房器具などの要素を厚みをもたせた開口部のくぼみで吸収しているからである。東北地方で納谷兄弟は断熱性能を空間の構成によって確保すべく入れ子の平面パターンを生み出したが、ここで蟻塚は巧く形を整える外観デザインのアイデアを提案している。

2014/03/01(土)(五十嵐太郎)

常設展示「建築の博物誌 ARCHITECTONICA」展

会期:2013/12/14

東京大学総合研究博物館小石川分館(建築ミュージアム)[東京都]

「建築ミュージアム」としてリニュアル・オープンした東京大学総合研究博物館小石川分館を訪れる。インターメディアテクと連動して整備されており、ここでも東京中央郵便局のスチールの窓枠が展示デザインに巧みに使われている。「建築博物誌/アーキテクトニカ(ARCHITECTONICA)」展は、1階に有名な現代建築(住宅や美術館を縮尺ごとに配列)、2階にかつて東大に存在した近代建築(写真や木造の模型)、日本やヨーロッパの古建築の模型、関連する資料などが大集合している。2008年から2009年にかけて開催された「建築模型の博物都市」展のときに、東京大学で制作された模型を活用したものだ。

2014/02/28(金)(五十嵐太郎)

せんだいスクール・オブ・デザイン 2013年度秋学期成果発表会

東北大学百周年記念館 川内萩ホール会議室[宮城県]

せんだいスクール・オブ・デザインの外部講評会にて、Nadegata instant partyの中崎透のレクチャーを行う。解体予定の阿佐ヶ谷住宅での天井に吊られたバナナをとるための床上げ作業、あいちトリエンナーレ2013の長者町で設定された架空の撮影所「STUDIO TUBE」、プロジェクト・フクシマにおける大風呂敷のプロジェクトなど、口実をつくりながら、地域の住民を巻き込む、これまでの活動が紹介された。もともとは虚構だった口実が、本当に人々が関わり出すことで、現実の出来事にすり替わっていく瞬間が興味深い。

2014/02/23(日)(五十嵐太郎)

東日本大震災被災地めぐりロケ 2(南相馬市)

[福島県]

引き続き、毎日放送の取材で、福島の小高へ。駅から西側は、地震の被害は軽度、津波も1階に浸水程度だったが、しばらくは立ち入り禁止区域となり、いまも放射線量のため日中のみ居ることが許され、夜は泊まれない。一見、普通の駅前のメインストリートなのに、誰も歩いていない。除染の袋だけがあちこちに積まれていた。20km圏内で止められていたとき、仙台から南相馬へ下りると、二軒の住宅のあいだに境界線が引かれている理不尽な場所があり、ここは園子温の映画『希望の国』の着想源になったところだ。今回、現状を知るべく再訪すると、まだ同じ場所に通行禁止の柵があった。20km圏がなくなったのに、なぜか境界線が残っている。その後、20km圏内で手つかずだった他の場所をまわると、現在も壊れた建物がそのまま残っている。石巻や女川では、かつて目にした廃墟は消えたが、ここでは3.11から時間が止まったかのようだ。生活の雰囲気が残った、一部損壊になった海辺の農村集落を歩く。こうした場所は、放射線の影響で震災遺構となるのかもしれない。被災地をあちこち案内しながら、いつのまにか自分も直後の風景を記憶している語り部のひとりになっていることに気づく。もっとも、これは2011年3月下旬に思ったことなのだが。南相馬から仙台に戻る途中、東北大の五十嵐研が手がけた仮設住宅地の塔と壁画のある集会所に立ち寄る。カラオケ大会の最中で、楽しそうに使われていた。

写真:上=誰もいない小高のまち。中上=除染袋。中下=生活の雰囲気が残る農村集落。下=塔と壁画のある集会所。

2014/02/21(金)(五十嵐太郎)