artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

LOVE展:アートにみる愛のかたち─シャガールから草間彌生、初音ミクまで

会期:2013/04/26~2013/09/01

森美術館[東京都]

森美術館のLOVE展へ。ものすごく作品が多い。最初の部屋こそは、ジェフ・クーンズやロバート・インディアナを核にすえ、「LOVE」のメッセージが明快だが、近代美術から最後は初音ミクまであって、全体としてはテーマが散漫になり、広がり過ぎの印象を受けた。あいちトリエンナーレ2013に参加するアルフレッド・ジャーも、被災地のリサーチをもとにして、石巻の仮設住宅と南三陸の防災庁舎の写真による作品を出品している。

2013/05/19(日)(五十嵐太郎)

カリフォルニア・デザイン 1930-1965─モダン・リヴィングの起源─

会期:2013/03/20~2013/06/03

国立新美術館[東京都]

同じく国立新美の「カリフォルニア・デザイン 1930-1965─モダン・リヴィングの起源─」は、元気で幸福だったアメリカのミッドセンチュリーのデザインを紹介する。10年ほど前にブームが起きたイームズ夫妻はすでに有名だが、まだまだ知らない人がいっぱいいるものだ。建築、家具、写真、ファッション、工芸など、多分野を横断する楽しい展示である。ちらちら向こうが見える開放的な間仕切りは、中村竜治のデザインによるもの。

2013/05/19(日)(五十嵐太郎)

フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣展

会期:2013/04/24~2013/07/15

国立新美術館[東京都]

国立新美術館「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣」展へ。五感をテーマとする、6連作のタピストリーをまるごと日本に持ってくるとは、驚くべき企画である。細い通路を経て、これらがぐるりと来場者を取り囲む部屋に導く、展示デザインも効果的かつ印象的だった。他の空間では、これを読み解くための関連資料などを紹介する。描かれた動物がキャラ化しやすいこともあり、関連グッズの多さも桁外れだった。

2013/05/19(日)(五十嵐太郎)

生誕120年 木村荘八 展

会期:2013/03/29~2013/05/19

東京ステーションギャラリー[東京都]

洋画家・木村荘八の回顧展。明治半ばの東京に生まれ、大正元年に画壇にデビューした後、岸田劉生や河野通勢、中川一政らと交流しながら、一貫して「東京」を描いてきた画業の変遷をまとめた。
注目したのは、挿絵と本画の関係性。よく知られているように、木村荘八は永井荷風の『墨東綺譚』(1937)の挿絵を手がけたが、それ以後も東京の都市風俗を描いたスケッチを数多く描き残している。佃島、神楽坂、浅草橋など、東京の各所を丹念に歩き、観察し、それらを絵と文で表現した画文は、いずれも味わい深い。無数の斜線を描き込んで陰や闇を表現することはもちろん、紙の表面にスクラッチを加えて白線を表現するなど、芸も細かい。描写された対象というより、それらを描いた当人の、生き生きとした躍動感が伝わってくるほどだ。
これらの画文は、いずれも手頃な大きさの紙に墨やインクで描かれており、なおかつ余白には関連する情報を記した文字が含まれているという点で、明らかに本画とは異なる挿絵である。むしろ今和次郎や吉田謙吉の「考現学」との親和性が高いとすら言える。
本画を中心に評価する価値基準からすれば、糊口をしのぐためにやむをえず手につけた周縁的な仕事に過ぎないのかもしれない。けれども、《牛肉店帳場》(1932)や《新宿駅》(1935)、あるいは《浅草の春》(1936)など、木村荘八の本画を改めて見なおしてみると、その絵画的な視線がいずれも都市風俗の現場に注がれていたことがわかる。挿絵と本画という制度上の違いはあるにせよ、木村荘八にとって描くべき対象は同一だったのだ。
晩年は自宅から望める風景をたびたび描いた。だが、そこには挿絵から溢れ出ていた躍動感はもはや見受けられない。その停滞が、老衰という生理現象にもとづいていたのか、それとも挿絵に注いでいた熱い視線と技術を本画に送り返すことができなかったからなのか、正確なところはわからない。ただ、いずれにせよ重要なのは、本画だろうが挿絵だろうが、木村荘八が都市風俗という主題を巧みに表現していたという点である。もしかしたら、本画と挿絵を無意識のうちに峻別してしまう、私たち自身の内なる制度こそ、相対化しなければならないのではないか。

2013/05/19(日)(福住廉)

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齋藤陽道「せかいさがし」

会期:2013/05/18~2013/06/02

青山ゼロセンター[東京都]

2010年に写真新世紀優秀賞受賞(佐内正史選)、2011年にはデビュー写真集『感動』(赤々舎)を刊行と、齋藤陽道の写真は聾唖者というハンディキャップを超えて、少しずつ、だが確実に共感の輪を広げつつある。今回の青山ゼロセンターでの個展「せかいさがし」を見ると、その作品世界がさらに深まり、強い説得力を持ち始めていることがわかる。
2階の展示会場に新作の「せかいさがし」が16点、1階に岩崎航の詩とコラボレーションした「点滴ポール」が9点、さらに奥の部屋では「せかいさがし」と前作の『感動』からピックアップした作品78点によるスライドショーが上映されていた。そのなかでは、特にスライドショーがよかったと思う。といっても、特別に趣向を凝らしているわけではなく、写真がぼんやりと現われては、次の写真と重なり合うようにして消えていくだけだ。音楽や音は一切ついていない。その写真と写真の継ぎ目(間)の部分が目に残る。映像がひと時も留まることなく現われては消えていく様を見続けていると、齋藤が「せかい」に向けたイノセントな眼差しに次第に同化していくように感じる。
「じっくりと時間をかけてみる。
見る。ぼくは見てきた。
なにを。せかいだよ」
彼の純粋な感動が目の前の対象に注ぎ込まれ、それをしっかりとつかみ取りたいという衝動に結びついていく。光、子ども、植物、街の一隅、写っているのはごく些細なものだが、それ自体に凛とした存在感がある。そのイメージ定着のプロセスが、スライドショーによって追体験できるような気がしてくるのだ。写真作品の見せ方としては、スライドショーはあまり人気がないようだが、まだまだいろいろな可能性を持つメディアではないだろうか。普通の2階建ての家を改装した展示スペースの雰囲気もとてもよかった。ただ残念なことに、会場の青山ゼロセンターは、この齋藤の展覧会でクローズしてしまうという。ホワイトキューブのギャラリーにはない、温かみのあるいいスペースなのだが。

2013/05/18(土)(飯沢耕太郎)